4月になりすっかり春らしくなってまいりました。
今年の桜は咲き始めるのが早く、今月はじめには上野公園の桜はほとんど散っていました。
先日、上野の東京国立博物館で催されている企画展
『アラビアの道―サウジアラビア王国の至宝』を観覧して来ました。
サウジアラビア国立博物館をはじめ、サウジアラビア王国の各研究機関が所蔵する品々が展示されています。石器時代から現代までの貴重な宝物の数々は、知られざるアラビアの歴史を身近に感じさせます。観覧した際も多くの人で賑わっており、沢山の人が興味深そうに展示品を見ていました。
本来は先月までに終了する予定でしたが、好評のためか5月13日(日)まで期間が延長されています。ゴールデンウィーク中、上野に足をのばされた際にはぜひ立ち寄ってみて下さい。通常の入館料で観覧できる上、写真撮影も自由ですので、大変オススメです。
イスラーム以前のアラビアは交易を通じ、エジプトやペルシア、ギリシャ、ローマの文化が流入しており、展示品もそれらを物語る芸術品が多くみられました。そして、交易で繁栄したアラビアで使用されたコインもたくさん展示されていました。
中世のアラビア半島はインド洋、アフリカ、アジア、ヨーロッパを結ぶ交易路として発展し、イスラーム教の誕生と拡大によって独自の貨幣システムも確立しました。
初期のイスラーム帝国であるウマイヤ朝(シリア、ダマスカス)やアッバース朝(イラク、バグダード)が発行した「ディナール金貨」「ディルハム銀貨」は、イスラーム色を前面に出した品質の高いコインであり、アラビアで広く流通しました。
展示品の中にも、古い都市から出土したディナール金貨やディルハム銀貨が並べて展示してあります。
今回は同じく展示されていた、建国間もない時期のサウジアラビア王国が発行した「1リヤル銀貨」をご紹介します。
発行国:サウジアラビア王国
発行年:AH1354年(=AD1935年)
額面:1リヤル
重量:11.6g
サイズ:30.5mm
品位:Silver917
※上のコインの画像は展示品そのものではありません。
コイン表面
コイン自体は機械で製造されていますが、そのデザインは偶像崇拝を禁ずるイスラームの教義に則り、アラビア文字による銘文が全体にびっしりと刻まれています。
表面には発行者である国王を示す銘文が刻まれています。
ملك المملكة العربية السعودية
عبد العزيز بن عبد الرحمن السعود
=サウジアラビア王国の王
アブドゥル=アズィズ・ビン・アブドゥル=ラフマーン・アル=サウド
アブドゥル=アズィズ(1876年~1953年)は現在の首都リヤドを拠点に勢力を拡大し、小国や部族による分裂状態だったアラビア半島の統一を推し進めた王です。1926年にヒジャーズ王国を征服したことでイスラーム教の二大聖都メッカとメディナの守護者となりました。このときメッカにあったヒジャーズの造幣局を獲得し、1928年から大型の1リヤル銀貨を製造しています。
中東に影響力を持っていたイギリスの後ろ盾を得たアブドゥル=アズィズはアラビアにおける権力と権威を確固たるものにし、1932年に「サウド家のアラビア」を意味する「サウジアラビア王国」を建国。初代国王として、イスラーム二大聖地の庇護者として絶対的な指導力を発揮し、新生国家の発展を主導しました。
現在のサウジアラビア王国
武勇とカリスマ性に秀でたアブドゥル=アズィズは広大なアラビア半島の諸部族を一代でまとめ、統一王国を築き上げた名君であり、現在のサウド王家にとっても絶対的な存在です。正妻とはじめ多くの女性を結婚したため90人近い子どもがおり、アブドゥル=アズィズ以後の国王は現在のサルマン王(第7代)を含め全てアブドゥル=アズィズの息子です。
身長が2m以上あったとされる初代国王の衣装をはじめとする各種遺品は、今回の上野の展覧会にも展示されています。国王が実際に身にまとっていた衣装は大人物に相応しく、非常に大きかったことが印象に残っています。
アラビア銘文ばかりのコインにあって、例外的なのは王名の下に刻まれたデザインです。二本の刀剣が交差し、左右には椰子の木が配されています。
この刀剣は「シミター(またはシャムシール)」と呼ばれるアラビアの伝統的な刀で、ヨーロッパのサーベルの基になったとも云われています。この交差刀剣はサウジアラビアの国章になっており、二本ある意味はサウド家がメッカとメディナを守護していることの証や、イスラームにおける正義と信仰、または力と忍耐の象徴、サウジアラビア建国に携わったサウド家とワッハーブ家、もしくはナジェドとヒジャーズの二王国を示すなど、様々な説があります。
一方で椰子の木は砂漠における生命力の象徴であり、国の成長と繁栄を象徴しているとされます。
サウジアラビア王国の国章
コインに刻まれたデザインとほぼ同じ構成であることが分かります。
サウジアラビア王国国旗
聖典コーラン(クルアーン)の重要な一節である聖句「アラーの他に神はなし、
ムハンマドはアラーの使途である」と共に、同じく刀剣が配されています。
ちなみに展覧会では、かつてアブドゥル=アズィズ王が下げていた立派な刀剣も展示されています。初代国王の貴重な遺品であり、サウジアラビアにとっては国宝級の重要な宝物ですので、ぜひ直接ご覧いただきたいと思います。
なお、コインの裏面も同じくアラビア文字銘文が細かく刻まれていますが、こちらも伝統的なイスラーム様式コインと同じく、額面と発行年、発行地などの基本情報が示されています。
ريال عربي سعودي واحد
ضرب في
المكرمة
مكة
١٣٧٠
١
1サウジアラビアリヤル
聖都メッカで製造
1370(=イスラームのヒジュラ暦。西暦では1935年)
1
1920年代に発行された1リヤル銀貨は37.3mm、24.1gと、クラウンサイズの大型銀貨でした。デザインは全く同じでしたが、このとき正式国名は「ヒジャーズ・ナジェド王国」だったため、サウジアラビア国銘で発行された1リヤル銀貨は1935年の縮小版が最初です。
実は1935年から発行されたこの縮小1リヤル銀貨は、銀の品位から重量、サイズまでが、当時の英領インド帝国で発行されていた1ルピー銀貨と全く同じに造られています。このことから、英領インド帝国の1ルピーと新生サウジアラビアの1リヤルは等価で流通していたことが分かります。
・20世紀初頭の英領インド帝国の1ルピー銀貨
英領インド帝国 1906年 1ルピー銀貨
当時の1ルピーはイギリス本国の1シリング4ペンスに固定されていました。
肖像は英国王にしてインド皇帝 エドワード7世(在位:1901年~1910年)。王侯から農民に至るまでターバン等で頭部を覆うのが一般的であった当時のインド民衆にとって、王冠を戴かず禿げ頭を露出したエドワード7世の肖像は、インド皇帝の権威を損ねるものとして懸念されたそうです。
英領インド帝国 1918年 1ルピー銀貨
肖像のジョージ5世は植民地スタイルとして王冠を戴いています。しかし今度は王が首から下げる頸飾(チェーン)にあるインド象の鼻が短く、イスラーム教徒から豚に見えると苦情が相次ぎ、急遽鼻を伸ばして象と分かるよう修正しました。
裏面の銘文を囲む草花群は、それぞれバラ(イングランド)、アザミ(スコットランド)、クローバー(アイルランド)、ハス(インド)を示し、これらの組み合わせで「大英帝国」を象徴しています。
アラビア半島ではイスラーム教の厳格な解釈によって「紙幣」が否定され、20世紀半ばまでコインだけが正式な通貨による決済手段でした。再鋳造されたマリア・テレジアターレル銀貨をはじめ、イギリスが保護下に置いていた湾岸地域(現在のUAE、カタール、バーレーンなど)からインド洋沿岸部では、インドで製造されたルピー銀貨が広く流通していました。
そのため、サウジアラビアでも1ルピーと等価の1リヤル銀貨を発行し、国内と周辺地域で流通させました。1リヤル銀貨は戦後1955年まで製造され、サウジアラビアの国民だけでなく聖地へ巡礼に訪れた世界中のイスラーム教徒の手に渡りました。
しかし毎年世界中から訪れる巡礼者の数が増加すると、両替できるコインの数が不足し、また旅費を全て銀貨で持ち運ぶのは不便として問題が生じました。イギリスから独立したインドでは湾岸地域向けだけのルピー紙幣を発行し、実際にカタールやドバイなどで流通したそうです。こうした時代の変化から厳格なイスラーム教国のサウジアラビアも、1960年になってようやく正式な紙幣を発行し、金貨と銀貨の製造を停止したのでした。
こうして役目を終えた1リヤル銀貨ですが、20世紀に建国されたサウジアラビアの発展の歴史を鑑みると、非常に重みがある銀貨のように思えてきます。
上野の展覧会でガラスケースの中に展示されていた1リヤル銀貨も、かつては建国間もないサウジアラビアに生きた人々、砂漠に生きた遊牧民か、または巡礼に訪れた人の手に渡っていたのかもしれません。
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