こんにちは。相変わらず夏の暑さは堪えますね。
8月も半ばを過ぎても、日中の外気温の高さは相変わらずです。
都内だけでしょうか、今年の夏はセミの鳴き声が少ないように感じられます。大量発生するとうるさく感じますが、全く聞こえないのも物足りなく感じますね。
今年は終戦から80年目となりました。20世紀を象徴する節目と言える第二次世界大戦は、甚大な被害と影響をもたらし、現代世界のあり方を決定づけた戦争です。年々あの戦争が遠い時代の記憶となり、まさに「歴史」の中の出来事として語られているように思います。
今回は当時のアメリカで発行された戦時コイン、銀で造られた5セントについてご紹介します。
総力戦が本格化した第一次世界大戦以来、使える資源は全て戦争に回され、平時のように自由に物資が利用できなくなりました。国民生活、経済活動に欠かせないコインも例外ではなく、貴金属で造られていたコインは卑金属に置き換えられました。特にニッケルは弾薬や兵器を製造する際に必要となるため、ニッケルで造られていた小額のコインは回収され、代わりにアルミや錫などに変更される例が多くみられます。
こうした戦時コインは第二次世界大戦中、参戦していた世界各国で発行されました。特に戦局が逼迫していたドイツや日本で顕著でしたが、戦勝国のアメリカでもみられました。
1941年12月の真珠湾攻撃をきっかけにアメリカ合衆国が参戦すると、ニッケルは重要な軍需物資となり、造幣局はニッケルの使用削減を迫られました。
当時、ニッケルを素材に使用していたコインは5セントのみでした。実際には銅75%、ニッケル25%の合金=白銅貨でしたが、一般的な通称として広く「ニッケル」と呼ばれていました。
1942年3月27日、議会は従来のコインに他の金属を添加する権限を造幣局に与えました。造幣局は研究を重ねた末、銅56%+銀35%+マンガン9%の合金が適しているとし、1942年10月から実際に製造を開始しました。
戦時発行の5セント。デザインやサイズ、重量は変わらず、素材だけ変更。肖像は第三代大統領トマス・ジェファーソン。
ニッケルは兵器の大量生産に必要な原料でしたが、銀は物資が豊富なアメリカにとって戦争遂行に必要な金属とは見なされず、ニッケルの代用品として用いられたのです。
同時期でも10セント、25セント、50セントの銀貨(Silver90%)は増産が図られており、当時の日本やドイツが銀貨を製造できなくなった状況と比べると、物量と国力の差がコインにも表れているようです。
アメリカ 1942年 50セント銀貨「ウォーキングリバティ」
従来の白銅貨と区別しやすく、終戦後に選別・回収しやすくするため、裏面のトマス・ジェファーソンの邸宅「モンティチェロ」の上部に大きなミントマーク(*造幣局を示す印)を示しました。なお、フィラデルフィアを表す「P」銘は、アメリカのコインにこのミントマークが登場した最初の事例でした。
上部にサンフランシスコのミントマーク「S」が配されています。従来は建物の右側に小さく配されていました。
この銀で造られた5セントは1942年から戦争終結の1945年まで、フィラデルフィア、サンフランシスコ、デンヴァーの各造幣局で製造されました。
総計で8億6989万6100枚が製造され、アメリカ国内で流通しました。当時の公衆電話や、バス・地下鉄など市内公共交通機関の基本料金が5セントからだったこともあり、日常生活での需要は大きく、戦時下のアメリカの市民生活に大いに役立ちました。
ただし銀とマンガンが含まれていたため、流通の過程でこれまでの白銅貨より黒くくすみ、見栄えが良くないといった問題もありました。
白っぽい白銅貨と比べると、戦時発行貨との色合いの差は一目瞭然です。
戦争が終結した翌年の1946年、戦前の白銅貨が再び製造されるようになり、ミントマークも以前の小さなものになりました。(*フィラデルフィアのミントマークPは消滅)
銀の代用によって、本来5セントに使用される分のニッケルは節約されましたが、実際どの程度まで兵器の増産体制に貢献したかは不明瞭です。
2000年に貨幣収集専門誌『The Numismatist』の記事においてマーク・A・ベンヴェヌート氏は「この変更によって節約されたニッケルの量は戦争遂行には大きくは影響しなかったが、戦時貨幣は勝利のために必要な犠牲を日常的に思い起こさせるものとして機能した」と述べています。
物量的には豊かで不足に悩まされなかったアメリカの市民生活において、現在が戦時下であることを喚起する上では、ある程度意味のあるものだったといえるでしょう。
その後、戦時発行の5セントは随時回収され、再び大量生産された白銅貨に置き換わっていきました。特に60年代~70年代の銀価格高騰に際しては、額面より素材の金属価値がはるかに高くなったため、わずかに流通していた分も消えていきました。
(*現在でも5セントの製造コストは一枚当たり13セントを上回り、素材価値も額面以上となっているため、1セントに続き廃止論の対象となっています)
4年間の製造枚数が膨大だったため、収集市場では現在も入手は容易です。アメリカでは第二次世界大戦の歴史の証として、コレクター市場でも広く知られています。
コイン収集家以外にも、戦時中の史料として販売されています。
コインは日常の経済活動で使用されるいわば消耗品ですが、その時々の世相を、歴史として後世に伝え残す役割も担っています。身近なものである一方、社会や時代の変化が明瞭に反映され、後の時代の人々に当時を思い起こさせる貴重な史料でもあります。
今後、逼迫した状況を反映するコインが再び登場しないことを、切に願うばかりです。
《古代ギリシャ・ローマコイン&コインジュエリー専門店》
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