こんにちは。
立春を過ぎて暖かく感じる日もあれば、寒波到来の寒い日もあります。三寒四温といった趣ですが、こういう時期こそ体調を崩しやすくなります。
くれぐれもご自愛いただき、暖かい陽気の春をお迎え下さい。
今月は、アメリカのトランプ政権が1セント硬貨(*通称ペニー)の製造停止を指示したニュースが話題となりました。
トランプ大統領 1セント硬貨製造中止 指示 製造に2セント以上
(2025年2月10日, NHK)
1枚製造するために額面以上のコストがかかる上、カード決済の普及によって細かい小銭を日常で使用しなくなっていたアメリカ。これまでに何度も廃止案が出ていましたが、素材原料を供給する中西部の鉱山企業が議会に働きかけ、毎年の大量製造を継続していました。
今回の報道では、現在市場に出回っている量が十分として製造・供給を一時的に止めるのか、1セント硬貨の通用価値そのものを廃止し、今後流通市場から消し去ってしまう方針なのか、まだはっきりとは分かりません。
(*日本の一円玉は市場での流通量が充分として、2016年以降はミントセット用以外製造休止中)
また、通貨の発行は連邦議会が大きな権限を有しているため、今回の大統領の指示が永続的なものとして実行されるのかは不透明です。
アメリカでは朝一番にペニーを拾うと、その日は幸運に恵まれるという言い伝えがあります。日本でも「一円を笑う者は一円に泣く」という言葉があり、小さなお金でも大切にするという価値観を表しています。
貨幣誕生以降、小さな額面のコインはそれ一枚では何も買えませんが、貨幣経済の基礎を支える存在でもあります。たとえ製造されることがなくなっても、立派なお金として大切にしたいものです。
今回は、古代ギリシャの植民都市ヘラクレイアで造られたコインをご紹介します。
神話に登場する大英雄ヘラクレスの名を冠した植民都市は各地に存在し、現在では○○のヘラクレイアと言及して区別しています。今回は小アジア西部のエーゲ海沿岸、現在のトルコ西部に存在したヘラクレイアです。
この植民都市はラトモス山の麓に存在したことから「ラトモスのヘラクレイア」とも称されています。
ラトモス山とヘラクレイア遺跡
(*画像:Wikipedia)
ラトモス山はギリシャ神話に登場するエンデュミオンが眠る場所として知られていました。
エンデュミオンはエリスの王であり、絶世の美男子とされています。
ある夜、月の女神セレネが眠るエンデュミオンを見初めました。不死の神と命に限りある人間との恋を悲しんだセレネは大神ゼウスに頼み、エンデュミオンを永遠に眠らせることで不老不死にし、ラトモス山に隠しました。
その後、月がラトモス山の陰に隠れる夜は、セレネがエンデュミオンに会いに来たのだと伝承されるようになりました。
ダイアナとエンデュミオン
(ジェローム=マルタン・ラングロワ, 1822)
この絵画ではセレネと同一視された月の女神ダイアナが眠るエンデュミオンを訪ねる様子で描かれています。
紀元前6世紀より前からエーゲ海につながるラトモス湾内に植民都市が建設され、背後の山からラトモスと呼ばれていました。
紀元前4世紀にカリアのマウソロス王によって征服された後、西隣に新たな都市が建設され「ヘラクレイア」と名付けられました。その後、アレキサンダー大王による東方遠征を経てヘレニズム時代になると、ヘラクレイアはイオニア地方の主要な港湾都市として発展を続けました。
ヘラクレイアとラトモス湾
赤い囲いがヘラクレイア、すぐ背後にはラトモス山が迫っています。薄紫の線が当時の海岸線であり、薄くなっている緑地は現在の陸地です。
天然の入り江に守られた良港には多くの船が風を避けるために停泊し、都市には活気が満ちていました。街路は碁盤の目に沿って計画され、周囲は強固な城壁によって守られた城塞都市でした。台地の上にはアゴラ(公共広場)や神殿が建立されました。
東隣の旧市街ラトモスは墓地として利用されていたことが分かっており、大理石の建築装飾が施された石室墓が発見されています。
エンデュミオンの聖域跡
ラトモス山に眠るエンデュミオンを祀る神殿跡と考えられています。
アテナ神殿跡
ヘラクレイアの守護神は知恵と戦術の女神アテナとされ、コインにもその姿が美しく表現されました。ヘラクレイアはその名の通りヘラクレスをはじめ、アテナ、エンデュミオンを奉ずる植民都市でした。
紀元前2世紀半ば、イオニア地方の各都市では競い合うように素晴らしい大型銀貨(4ドラクマ)が発行されました。ヘレニズム様式の彫刻の影響を受けたコインが各種登場し、貨幣をより芸術作品の域にまで高めていきました。
ヘラクレイアでは都市の守護神であるアテナ女神が表現されました。
そのスタイルは同時期にアテナイ(*現在のギリシャ,アテネ)で発行されたコインのアテナ女神像と類似していますが、より細かく装飾的であり、この時代特有の写実性に満ちています。
テトラドラクマ銀貨 BC140-BC135
アテナ女神像の目は大きく、くっきりと凛々しい印象です。細い首飾りや特徴的な耳飾り、豊かな巻き毛まで表現されています。兜にはペガサスと多頭立ての馬が繊細に表現され、当時の職人の高い技術力が窺えます。
裏面にはヘラクレスの象徴である棍棒と勝利の女神ニケ、ヘラクレイアを示す「HPAKΛEΩTΩN」銘が配されています。周囲を植物のリースで囲む様式は、ヘレニズム時代の銀貨の裏面に多く見られたスタイルです。
ニケは戦術を司る女神アテナの象徴です。アテナイのコインと同じく、ニケの代わりに聖鳥フクロウが配されたパターンも造られました。
テトラドラクマ銀貨 BC150-BC142
裏面のモノグラムは彫刻・製造した職人、または発行者を示すとされ、様々な組み合わせパターンが確認されています。
やがてローマ帝国の時代になると独自のコインは造られなくなり、アシア属州内の一港湾都市として存続。ビザンチン帝国の時代には新たな要塞や修道院が建設され、キリスト教の司教座が置かれるなど、エーゲ海における要衝の一つであり続けました。
しかし、時の経過と共にエーゲ海に流れ込むマイアンドロス川(*現在のメンデレス川)からの堆積物が溜まり、徐々にラトモス湾の入口を小さくしていきました。やがて船の出入りが困難になると、湾内にあるヘラクレイアは港湾都市としての機能を果たせなくなります。かつてエーゲ海の主要港のひとつとして栄えたヘラクレイアはついに放棄され、忘れられた都市はラトモス山の草木に埋もれていったのです。
現在、ラトモス湾は堆積物によって完全にエーゲ海と遮断され、バファ湖としてトルコの自然保護区に指定されています。かつてヘラクレイアがあった地区はカプクル村という小村になっており、周辺には古代からビザンチン時代までの栄光を伝える遺跡群が点在するのみです。その背後にはラトモス山が古代から変わらず聳えています。
現在のバファ湖―かつてのラトモス湾と遺跡
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