こんにちは。
9月も終わりに近づき、段々と涼しくなり秋らしくなってまいりました。
今回は世界七不思議のひとつ『マウソロスの霊廟』をご紹介します。
世界七不思議とは古代ギリシャ~オリエントに存在した七つの巨大建築物を指し、「ギザの大ピラミッド」「バビロンの空中庭園」「エフェソスのアルテミス神殿」「オリンピアのゼウス神像」「ロードス島のヘリオス神像」「アレクサンドリアの大灯台」などが挙げられています。
それらに並ぶ「マウソロスの霊廟」は紀元前4世紀、小アジアの古代都市ハリカルナッソス(*現在のトルコ,ムーラ県の港湾都市ボドルム)に建立された巨大な霊廟です。
マウソロスの霊廟(16世紀の想像図)
ハリカルナッソスを中心とするカリア地方を統治したマウソロスを祀るこの大霊廟は、名建築家ピュティオスとサテュロスによって設計され、均整の取れた形と豪華なレリーフによって装飾された建築物でした。
この霊廟はハリカルナッソスを見下ろす丘の上に建立され、エーゲ海を航行する船から確認することができたほど壮大な建物でした。近づいて見ると側面部分には、小アジア西部一帯に残る女戦士アマゾネスの伝説が、美しいレリーフ彫刻によって表現されていました。こうしたレリーフはギリシャから招聘された名彫刻家たちによって作成され、莫大な富を費やして建設されたことが分かります。
霊廟を飾ったレリーフ彫刻
(大英博物館蔵)
巨大な規模と高い芸術性から霊廟の評判は広く知られるようになり、ギリシャやローマの知識人たちの興味をかき立てました。様々な書物の記述にも登場し、当地へ赴いた際には訪れるべき場所として紹介されました。そうした古代世界での高い評判から、世界七不思議のひとつにまで数えられるようになったのです。
マウソロスの霊廟を表現したコイン
(キューバ 1997年 10ペソ銀貨-世界七不思議シリーズ)
マウソロスの一族は代々カリア地方を治める家系であり、アケメネス朝ペルシアに従属して同地方のサトラップ(太守)に任じられていました。ペルシアから遠く離れギリシャに近いカリアは、表面上はアケメネス朝の服属下にありましたが、実質的に独立した王国としての地位を確立させていました。
マウソロスの胸像
マウソロスは紀元前377年にカリアの太守となり、以降は国力を高めるため積極的に周辺地域、特にギリシャへの介入を深めていきました。小アジア沿岸部のギリシャ系植民都市を次々に影響下に置いたばかりでなく、ギリシャ本土の戦争に介入してキオス島やコス島、ロードス島などの島々まで属国化し、勢力を拡大させたのです。
マウソロスは西方に勢力圏を拡大させ、島嶼部の都市を従属させました。
マウソロスがハリカルナッソスを新たな首都に定めたのもこの頃であり、入り組んだ港湾都市を難攻不落の城塞都市にして外敵の侵入に備えました。
ハリカルナッソスはドーリア人が建設した植民都市とされ、歴史家ヘロドトスの出身地としても知られたギリシャ系の都市でした。ギリシャ文化に対する強い思い入れがあったマウソロスはハリカルナッソスをさらに壮麗なギリシャ都市に改造し、豪華な宮殿や劇場、神殿や広場を整備していきました。さらに優れた技術者を招聘して造幣所も建設し、カリアの国力を誇示するような、ギリシャ本土に劣らない芸術的コインを生産させました。
テトラドラクマ銀貨 BC377-BC353 アポロ神/ゼウス神
ゼウス神の右側にはマウソロスの名を示す「ΜΑΥΣΣΩΛΛΟ」銘
彫刻のような立体感。正面像は最も盛り上がった鼻が磨耗しやすいため、コインの意匠としては本来不向きです。
テトラドラクマ銀貨 BC377-BC353
ドラクマ銀貨 BC377-BC353
紀元前353年にマウソロスが亡くなると、カリアの統治権は妻のアルテミシアが引き継ぎました。アルテミシアはマウソロスの妹でしたが、カリアの伝統に基づき形式上の結婚を成立させて一族の権力を保持していました。
霊廟の建設計画は既にマウソロスの存命中に進んでいたとされ、後継者となったアルテミシアは名君である兄の偉業を後世に伝えるため、さらに壮麗な霊廟の建立を推進しました。葬礼ではマウソロスを称えるための追悼演説大会が催され、名だたる弁論家たちが各地から集まりました。時同じくして建築家や彫刻家もギリシャ各地から集められ、霊廟建設を進めたのです。
アルテミシア
(1630年頃, フランチェスコ・フリーニ作)
アルテミシアは兄にも劣らない優れた統治者であり、指導力を発揮してよくカリアを統治しました。ハリカルナッソスに攻め込んできたロードス島の反乱軍を、兄が築いた要塞を巧みに利用して撃退し、逆にロードス島に反撃を仕掛けて反乱を鎮圧するなどの実績を残しています。
しかし兄の死からわずか2年後にアルテミシアも亡くなり、兄と同じく霊廟に葬られることになります。しかしこの時点ではまだ霊廟は完成しておらず、依頼主である兄妹二人の遺灰を納めた数年後に完成したと考えられています。
その後、アケメネス朝がアレキサンダー大王の東方遠征によって滅ぼされ、カリアの統治権が移り変わった後も、ハリカルナッソスのマウソロス霊廟は都市のランドマークとして存在し続けました。世界七不思議に並べられたことから広く存在が知られ、各地からの訪問者も多かったことでしょう。
時が経てハリカルナッソス自体が衰退してもなお、霊廟は朽ちつつも丘の上に建ち続けていたようです。建設から1800年後の1494年、当地を征服した十字軍、聖ヨハネ騎士団が要塞を建設する際、霊廟の残骸をその資材に転用し、多くの彫刻や石柱は撤去されてしまいました。
現在、マウソロス霊廟は土台だった部分が遺跡として残されるのみとなり、かつて世界七不思議に数えられたほどの壮麗さは見る影もありません。残されたわずかな痕跡と2000年以上前の記述から、ありし日の様子を想像するのみです。
ボドルム城
建設資材としてマウソロス霊廟の大理石が用いられているとされます。
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