こんにちは。
すっかり寒くなってきました。秋をすっ飛ばして一気に冬模様です。
今年もあと一ヶ月。時の流れはあっという間です。健康に冬を乗り切るためにも、体調管理にはくれぐれもお気を付けください。
今回はローマ五賢帝の筆頭である「ネルヴァ帝」のご紹介です。
ネルヴァはローマ帝国の最盛期とされる「五賢帝時代」を切り開いた人物でありながら、その治世はわずか16ヶ月の短命な政権でした。
それゆえにローマコイン、五賢帝のコインを揃える上では最も入手し難い皇帝です。
マルクス・コケイウス・ネルヴァは35年11月にイタリア中部のナルニアで生まれました。家は共和政時代から続く由緒あるローマ貴族であり、元老院議員や法律家を輩出していました。
彼自身も法律を修め、ローマの政治中枢へと進んでいきました。ネロ帝の時代には詩の才覚によって皇帝に気に入られたと云われています。
ネロ帝亡き後の権力争いに勝利したウェスパシアヌス帝の治世下でも執政官などを歴任し、ローマ元老院において確固たる地位を築いていきました。
長年の政界での経験はネルヴァの政治能力と名声を高め、次々と代わる皇帝たちとの関係も円滑にしたと推察されます。
転機が訪れたのは96年に起きた皇帝ドミティアヌスの暗殺でした。9月18日、ドミティアヌス帝は粛清を恐れる側近たちの手で刺殺されたのです。
ドミティアヌス帝の独裁的・独善的な統治姿勢は元老院の反発を買い、両者の対立は激化していました。皇帝暗殺未遂事件が度々起こったことにより、猜疑心を強めたドミティアヌス帝は元老院を敵対視し、多くの名士を迫害、粛清していきました。さらには自らを現人神として扱うよう要求し、こうした特徴からネロ帝の再来と見做されました。
そうした最中であっても、ネルヴァ自身は皇帝の同僚執政官に選出されるなど信頼と尊敬を得ていました。父帝の代から信頼されていたことに加え、既に60歳を超えた高齢であったこと、また軍事経験もない文官だったことから、競合相手として警戒されなかったとみられます。
ドミティアヌス帝のデナリウス銀貨
ドミティアヌス帝の近くにありながら恐怖政治の時代を生き抜いたネルヴァでしたが、皇帝暗殺の計画を知っていたという説もあり、皇帝に対する忠誠心があったのかは疑問です。
いずれにせよ、ネロ帝・ドミティアヌス帝といった猜疑心の強い暴君の信頼を勝ち得ていたという点において、老練なネルヴァが優れた政治感覚を持ち合わせていたことは間違いないでしょう。
暗殺の報せに歓喜した元老院は、すぐさまドミティアヌス帝の神格化拒否と記録抹消(ダムナティオ・メモリアエ)を決定。そして元老院議員の中で最も尊敬を集めていたネルヴァを新たな皇帝に推戴しました。斃された暴君に近い存在でありながら、元老院での支持も維持していたネルヴァの人徳評判の高さが覗えます。
即位直後の時期に発行されたネルヴァ帝のデナリウス銀貨
顔の輪郭や鼻の形状から、先帝ドミティアヌスの肖像に手を加えて急遽作成されたとみられます。皇帝暗殺という不測の事態に、ローマの中枢が目まぐるしく変化していたことが覗えます。
当時のローマ人から見れば高齢の域に達していたネルヴァ帝は、ドミティアヌス暗殺によって生じた混乱を収めるという難しい舵取りを任されました。
ドミティアヌス帝によって迫害されていた人々には恩赦や名誉回復がなされた一方、恐怖政治に協力した密告者たちに対する報復が始まったからです。
ネルヴァ帝と元老院は抑圧からの解放と和解を謳い、伝統的なローマ社会の秩序回復を宣伝しました。
解放と自由の女神リベルタスが表現されたデナリウス銀貨
女神は解放奴隷が被るピレウス帽を携えており、左右には「LIBERTAS PVBLICA (=公共の解放)」銘が配されています。
ネルヴァ帝の即位は直ちに帝国属州各地へ伝えられ、総督や軍団には新皇帝への忠誠を求めました。ネロ帝の最期のように政治的空白を生じさせず、反乱を防ぐ方策でもありました。
彼の公式肖像も帝国中に伝達されました。首が長く、特徴的な鷲鼻は高貴さを醸し出す反面、やせ細った神経質そうな老人といった印象も受けます。
この肖像を手本にして、東方の属州では現地発行の新たなコインが製造されました。ローマ本国から遠く離れた属州のコインであってもドミティアヌス帝は追放され、新皇帝ネルヴァに置き換えられたのです。
2000年近く前でありながら、首都ローマから発せられた情報が、迅速に帝国中に伝達されるシステムには驚くばかりです。
シリア属州都市アンティオキアの4ドラクマ銀貨
エジプト属州都市アレクサンドリアの4ドラクマ貨
即位後に発行されたコインを見ると、ネルヴァ帝がどのような治世を志向していたかが分かります。先の恐怖政治時代から転換するため、市民の公正と福祉、そしてローマの伝統を重視する姿勢を示しました。温和で堅実、慎重なネルヴァの性格が表れているような治世であり、元老院では即位後すぐに「元老院議員を殺さぬ誓い」を立てて政治の変化を示しました。
公正の女神アエキタスが表現されたデナリウス銀貨
健康・衛生・国家安寧の守護女神サルースが表現されたデナリウス銀貨
儀式で用いる神器が表現されたデナリウス銀貨
幸運の女神フォルトゥーナが表現されたデュポンディウス貨
しかしそうした政治は軟弱・優柔不断とも批判される危険性がありました。ドミティアヌス帝暗殺の余波はなかなか収束せず、特に軍隊には不穏な空気が付きまとっていました。
ネルヴァ帝自身はドミティアヌス帝の政権に協力したこともあり、支持派・不支持派の対立に肩入れすることはありませんでした。しかし軍隊や近衛隊にはドミティアヌス帝を支持する者が多く、先帝を惜しむ声が日に日に高まっていたのです。
ネルヴァ帝の政治的な弱点は軍隊の支持を得られていない点にありました。文官として出世したネルヴァは軍隊との関係を構築する機会に恵まれず、皇帝になったが故にその溝に悩まされたのです。
軍隊との協調関係を示したデナリウス銀貨
軍旗、握手図と共に「CONCORDIA EXERCITVVM (=軍隊との協調)」銘が配されています。皇帝と軍隊の協調関係を示し、兵士たちに皇帝への忠誠を訴えた意匠です。
97年夏、ついに近衛兵たちの不満が爆発し、皇帝の宮廷に押し入る事件が勃発しました。兵士たちはドミティアヌス帝を暗殺した実行犯二人の身柄を引き渡すよう要求。これに対してネルヴァ帝は自らの首を突き出し、要求を拒否したと伝えられています。
しかし老皇帝の威厳ある行動にも関わらず、兵士たちは実行犯であるペトロニウスとパルテニウスを捕らえて勝手に処刑してしまいます。
ネルヴァ帝自身は無事でしたが、この事件は皇帝が軍隊を制御できておらず、武力の前には為す術が無いことを露見しました。皇帝の権威は大きく傷つけられ、ネルヴァ帝も自らの身の安全を図るために策を講じました。
高齢のネルヴァには息子がおらず、血縁者にも適当な後継者がいませんでした。そこで軍隊内で人望が厚く、軍事行政の両面で能力が高かったマルクス・ウルピウス・トラヤヌスに白羽の矢を立てました。
97年10月27日、カピトリウム丘のユピテル神殿においてネルヴァ帝はトラヤヌスを養子にすると宣言。事実上の後継者指名であり、次の皇帝が決定した瞬間でした。
この時トラヤヌスは軍を率いてゲルマニアで活動しており、ローマにはいませんでしたが、彼の支持者や友人たちが活発に運動し、根回しを図っていたと考えられています。
複数の軍団を率いていた有力者を後継者に据えることで軍隊内は落ち着き、ネルヴァ帝の延命にも役立ちました。
トラヤヌス帝の治世最初期に発行されたデナリウス銀貨
裏面には握手するトラヤヌスとネルヴァが表現され、平和的かつ正統に帝位が継承されたことを宣伝しています。
この決定によって、有能な人物を養子に迎えて後継者とするローマ五賢帝の性格が特徴づけられました。事実ネルヴァが後継者に指名したトラヤヌスは即位後優れた統治者として能力を発揮し、その治世下でローマ帝国の版図は史上最大となったのです。
後継者指名から3ヵ月後の98年1月28日、皇帝として最大の仕事を果たしたように、ネルヴァ帝は息を引き取りました。熱病とも脳卒中ともいわれています。
すぐさま元老院はネルヴァ帝の神格化を決定。国葬後に遺灰はアウグストゥス廟に安置され、その功績が讃えられました。
ローマから離れたゲルマニアで帝位を継承したトラヤヌスはすぐに帰国せず、一年ほどを任地での後仕事に集中します。その間、トラヤヌスが皇帝として最初に行なった決定は、前年にネルヴァ帝への反乱を扇動した近衛隊長をゲルマニアに呼びつけ、その職を解任(または処刑)したことでした。
ネルヴァ帝の治世はわずか16ヶ月と大変短いものであり、ゆえに彼の皇帝としての功績は「トラヤヌスを後継に指名したこと」と言われるほど、五賢帝の中では影の薄い存在でした。しかしその政治的決断によって、後に続くローマ帝国繁栄の時代を決定付けたことも事実です。
また、短い治世の間にも市民への食糧配給や免税措置、公共施設建設の指示など、市民のための施策を数多く行ないました。こうした事業は後継のトラヤヌス帝にも引き継がれており、ネルヴァ帝が有能な施政者、名君であり賢帝であったことを示しています。
もし彼の治世がもう少し長ければ、後世の評価も変わっていたかもしれません。
トラヤヌス帝時代に発行されたアリメンタ制度を讃えるデナリウス銀貨
アリメンタ(alimenta)は福祉政策の一環であり、孤児をはじめとする子供たちを経済的に援助する制度でした。この公的養育制度はネルヴァ帝によって創設され、トラヤヌス帝に引き継がれました。
コインには食糧供給の女神アンノナと少年像、「ALIM・ITAL」銘が表現され、イタリアにおけるアリメンタ制度を示す意匠です。
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