今回で連載第9回目を迎えます「アール・クラシック」。3か月にわたりつらつらと書き連ねてきた、このアール・クラシックでございますが、今回で実は最終回を迎えます。最後までお付き合いいただいた皆様本当にありがとうございました!
今回は、ついに古代ローマの時代が始まり、その後のコインに関して追っていきます。ギリシヤの時代とは大きく異なり、ローマのコインは独自の特徴を持っておらず、ギリシヤの模倣のようなものです。しかし、カエサル以降は貨面に皇帝の肖像を描くなど、新たな試みがなされ、古代コインの新たな文化を形成していきます。
ローマの興亡
古代コインはタイムカプセルに眠る
ローマの建国は、トロイアの英雄エネアス伝説やロムルス、レムスと七代の王の伝説などたくさんの謎に満ちています。ローマの建国は、伝説的な紀元前753年が後に公認されて、ローマ紀元の元年となりましたが、歴史的な裏付けは実は全くないのです。
ラティウムの七つの丘に都市共同体ローマはエトルリア人の支配の下に、経済的・文化的に体裁を整えてきましたが、一般的には前509年頃、エトルリア人の王がローマ貴族に放逐され、共和制が樹立されたとされています。
その後150年程は近隣部族との抗争に終始し、その間に国内の身分闘争を解決し、前340年には全ラティウムを統合したと考えられています。そして、イタリー半島の統一を目論んだローマは、南イタリアでギリシヤ人諸都市と衝突したのち、ついにイタリー半島を統一し、紀元前264年、宿命のライバル・カルタゴとの100年戦争に突入することになります。
イタリア半島では、紀元前6世紀頃には既にマグナ・グラエキアのすばらしい銀貨鋳造があり、また、ローマの北方領土エトルリアでも前5世紀には貨幣鋳造が始まっていました。しかし、ローマ自体は後進的・閉鎖的な農業国家であったので、貨幣の製造は前3世紀に入るまでは行われませんでした。
当初、交換の媒体の役割を果たしたのはなんと家畜と青銅片だけだったのです。従って、ローマでは最初の貨幣は青銅で、初めて銀貨が製造されたのは前269年頃でした。これは、南イタリアの占領地から連行してきた技術者たちによって造らせたもので、第一次ポエニ戦争の戦費のためにつくられたというものでした。
これらの銀貨はまぎれもなくギリシヤ風で、ローマ独特の貨幣の出現は、第二次ポエニ戦争最中の前211年頃だというのが定説です。まさに軍国国家の面目躍如たるものがありますね。
この銀貨はデナリウスと呼ばれ、その後450年間にわたりローマの基本通貨となりました。共和制時代のデナリウスは、その貨面をローマ神話の神々や、有力貴族の祖先・過去の英雄を題材としていましたが、カエサルの時代の紀元前44年には、彼の肖像を描いたコインが登場しました。
そして、彼は暗殺され、前27年にオクタヴィアヌスがアウグストゥス帝となり、ローマの共和制は終焉を迎えることとなります。
その後、ローマ帝国の貨面を飾るのは常に皇帝かその一族に限られ、神々は、裏面に全身を描かれるのみとなりました。
帝国の幣制は、金・銀・青銅貨の交換率も確定し、規格も統一されました。定められた規格のなかで、何万というバラエティーの存在するローマコインは、千差万別で多様なギリシヤコインとは異なります。さしずめ、ヘレニズム諸王朝のコインはその中間と言えるでしょう。いずれにしましても、今や、紀元前の〝自由〝は失われ、コインのみが完全な形でその“真実”を伝えるようになったのです…
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