大変ご無沙汰しておりました…
今回より古代ギリシャコインのバイブル、全2巻の名著…
『Greek Coins and Their Values』
(ギリシャコインとその価値)
Seaby社刊/David R Sear著/SPINK社発行
の冒頭にまとめられている5つのお話を随時ご紹介していきたいと思います!
1) ギリシャ史概論と貨幣の発展
2) ギリシャコインのタイプ
3) 重さの基準と貨幣単位
4) ギリシャコインの時代
5) 地域別に見るコインの特徴
それでは古代ギリシャコインワールドをお楽しみください!!
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ギリシャ史概論と貨幣の発展①
ミュケナイ文明崩壊後の“暗黒時代”を抜けだすと、貨幣が発明されるまでの数世紀の間、ギリシャ人は植民地の建設に没頭した。人口増加による土地・物資の不足と貿易促進の必要性から、母国から遠く離れた地に植民地を建設せざるを得なかったのである。特に、南イタリア・シシリーそしてエーゲ海の北海岸への植民が盛んだったが、スペインの南イゴール地方や北アフリカさらに黒海沿岸にも植民地が建設された。
こうして、貨幣が誕生する以前からギリシャ人世界は地中海全域に拡大していたので、貨幣が発明されるとあっという間にこの広い地域に拡まった。
貨幣の正確な起源については明らかではないが、紀元前7世紀後半の小アジア半島でコイン鋳造技術にめざましい進歩があったことははっきりしている。
イオニアのギリシャ人かその東隣りのリディア人が、コイン鋳造の初の試みを行った。イオニアのエフェソスで金と銀の合金でできた表も裏もない球体状の原始的なコインが発見されている。原料となったエレクトロンは、リディアの首都サルデスを流れる川の泥の中から採掘された天然の合金であった。
紀元前560年、クロイソスがリディア王の座についた。王はそれまでのエレクトロン貨に代えて金貨・銀貨を導入した。この複本位制の導入は、同時に多くの貨幣単位をもたらした。このことは、リディア王国ではすでに貨幣が経済上重要な役割を果たしていたということの証明である。
前546年、クロイソス王がペルシャ王キュロスに敗北してリディア王国は滅亡した。これ以後、小アジアのギリシャ人諸都市はペルシャの支配下に入らざるを得なくなった。これがギリシャとペルシャの長い対立の始まりで、200年後のアレキサンダー大王の東方遠征まで続いた。
小アジアで発明された貨幣の鋳造技術は、紀元前6世紀後半には西方へと拡がっていった。おそらく、ヨーロッパで初めてコインを鋳造したのは、東ペロポネソスとアッティカの間に位置する島国エイギナである。その後、アテネ・コリントそしてエウボイア島のカルキス・エルトリアの造幣所が鋳造を始め、前550〜40年の間に数多くのコインを生産した。
この頃、後の多くのギリシャコインが忠実に守った重量基準が設けられた。エイギナの約12gの銀のディドラクマスターテル貨を基にした基準は、中央ギリシャ・ペロポネソス・エイギナ諸島に普及した。アテネの約8.5gのディドラクマや後の約17gのディドラクマに基づく基準は、前5世紀後半にアテネが強大になると、エーゲ海主世界の主要な基準となった。
南イタリアやシシリーのギリシャ植民地も、前510年〜500年に多くのコインを生産した。イタリアの幾つかの造幣所では、表面の図柄がへこんでで裏面に彫り込まれているコイン(インキューズ)が多く作られた。この独特な技術も前5世紀の初めには廃れてしまった。
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資料:『Greek Coins and Their Value』
Seaby社刊/David R Sear著/SPINK社発行
コインペンダント専門店 『World Coin Gallery』
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