こんにちは。
11月に入りすっかり秋らしい陽気になってまいりました。今回は「収穫の秋」にちなんで、古代ギリシャの葡萄酒の神 ディオニソスのコインをご紹介します。
古代ギリシャ・ローマ時代は多神教の時代であり、様々な神が信奉されていました。
その中でも女性達を中心に熱狂的信奉を集めたのが「ディオニソス」でした。
ディオニソスは比較的新しい外来神とされ、豊穣をもたらす神とされていました。
ギリシャに伝来した後、転じて葡萄酒(ワイン)の守護神とされ、酩酊や陶酔、熱狂と興奮を司る快楽の神ともされました。その姿は髭の男性であることもあれば、女性的な美しい青年の姿で表現されることもありました。頭部には葡萄の葉で作ったリースを巻き、松笠が付いたテュルソスの杖を持っています。彫刻や絵画では半人半馬の酔っ払いシレノスや豹、踊る女性たちを引き連れた姿で表されています。
ローマでは「バッカス(バッコス)」の名で知られ、ギリシャと同じように女性達の間で広まりました。また束縛や禁忌、常識からの解放を表す「リーベル」の名で表されることもありました。
「ディオニオスの秘儀」の集会やその快楽性、集団での熱狂性から「退廃的」とみなした元老院が禁止令を出したこともありましたが、魅惑的かつ熱狂的なディオニソス信仰を絶やすことはできませんでした。その後、地方でも豊穣祭としてディオニソス信仰が浸透していきました。男女の別なく仮面をつけて下品な歌を歌いながら路上を練り歩き、羽目を外したお祭り騒ぎが繰り広げられたと伝えられます。
人気のあったディオニソス(バッカス)は、ギリシャやローマで発行された様々なコインにも表現されました。
中でも特徴的なものは、エーゲ海のタソス島で造られたテトラドラクマ(=4ドラクマ)銀貨です。
このコインは紀元前90年~紀元前75年頃にタソス島の造幣所で造られました。
表面にはディオニソス神の横顔像が打ち出されています。頭部には葡萄の蔦が巻かれており、ハート型の葉や葡萄実が確認できます。ヘレニズム時代の美術彫刻で流行した女性的な姿ですが、アマゾネスのような逞しさも感じられます。
裏面は英雄ヘラクレスの立像が表現されています。筋骨隆々とした逞しい姿です。全裸のヘラクレスは棍棒とライオンの毛皮を持っており、右側にはヘラクレスの名銘「ΗΡΑΚΛΕΟΥΣ」、下部にはタソスを示す「ΘΑΣΙΩΝ」の銘が刻まれています。
このコインが発行された紀元前1世紀、タソス島をはじめトラキア地方やマケドニア地方はローマの支配下にありました。アンティゴノス朝マケドニア王国が滅亡した紀元前168年以降、ローマはアンティゴノス朝が統治していたトラキアやマケドニアを再編し、分割統治を行いました。中でもエーゲ海の北端部に位置しているタソス島は、戦略的にも重要な島とみられていたようです。
※赤い島がタソス島。現在ではギリシャのリゾート地として知られている。
当時、トラキア地方には豊かな銀山が存在していました。ローマはトラキアで産出された銀を大量にタソス島とマロネイア(トラキア南部の港湾都市)の造幣所へ輸送し、同じデザインのテトラドラクマ銀貨を造らせたのです。その際にデザインとして選ばれたのは、トラキアやマケドニアの各地に伝承が残る「ディオニソス」と「ヘラクレス」だったのです。
当時、タソス島は葡萄とワインの名産地とされていたことから、ディオニソスとも浅からぬ縁がありました。
こうしてタソス島とマロネイアで造られたディオニソスのテトラドラクマ銀貨は、エーゲ海各地、トラキア、マケドニアの各都市に広まってゆきます。ローマ支配下では交易決済の手段として盛んに用いられていたとみられ、各地の遺跡から多く発見されています。またトラキアの良質な銀から造られたこのコインは、ローマの影響外にある人々、社会にまで浸透していました。
東ヨーロッパのドナウ川流域に暮らしていたケルト族が造ったとされるコイン。そのデザインはタソス島のコインを模倣していますが、上手く再現できていなかったり、諦めてオリジナルのアレンジを加えているものもみられます。
ルーマニアやブルガリアの遺跡からこうした模倣貨が多く発見されていることから、エーゲ海から離れた地域にまでタソス島のコインが浸透していたことが分かります。
森深い未開の地域に暮らす人々も、ギリシャ・ローマ文化に対して憧れを抱いていたことがうかがえます。
秋も深まり日が短くなっている今日この頃、ディオニソス神のコインを片手に往時に思いを馳せながら、お酒をゆっくり味わうのも良いかもしれません。
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