こんにちは。
豪雨に台風、さらに暑い日が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
連日35度を越え、夜になっても熱が冷めない空気で、眠れない日も多いのではないでしょうか。
今日は気分だけでも爽やかになろうと、「イルカ」のコインについてご紹介させていただきます。
イルカのコインは「クリスチャン・ラッセンのイルカ金貨」に代表されるように、現代でも人気のテーマです。
現実のイルカも水族館ではアイドル的な存在として人気を集めています。それだけ「イルカ=かわいい生き物」というイメージが、広く認識されているからでしょう。また、爽やかで美しい海をイメージさせる存在であるといえます。
2000年以上前の古代ギリシャ人にとって、海はとても身近な存在でした。海上交易や植民活動が活発だった時代、エーゲ海を中心に黒海やアドリア海など、地中海の隅々までが彼らの活動範囲でした。当時作成された陶器や壁画には、神話の物語や活き活きとした人々の生活と共に、多種多様な魚介類も表現されています。
クレタ島 クノッソス宮殿の壁画
ワイン用の陶器 (BC520-BC510)
古代ギリシャ文化においてイルカはポセイドン神やその妻アンフィトリテ女神の聖獣であり、海を象徴する動物として認識されていました。イルカは聖なる生き物として、各地で造られたコインにも表現されました。中でも港湾都市で発行されたコインには頻繁にモティーフとして取り入れられました。
紀元前5世紀に黒海沿岸の都市オルビアで造られた銅貨。イルカの形をした珍しいコインであり、打刻ではなく鋳造によって造られています。円形や四角形ではなく、 モティーフそのものをコインの形にしているという点で、非常に興味深い存在です。
パフラゴニア シノペ BC333-BC306 ドラクマ銀貨
トラキア イストロソス BC400-BC350 ドラクマ銀貨
黒海沿岸の都市ではイルカが表現された特徴的なコインが発行され、海鷲がイルカを掴むという構図で表現されました。
黒海とエーゲ海の境に位置した都市ビザンティオン(現在のイスタンブール)のコインにもイルカがみられます。こちらは牡牛がイルカの上に乗っています。
ビザンティオン BC340-BC320 シグロス銀貨
一方でエーゲ海沿岸の都市でもイルカが表現されたコインがみられます。
リュキア地方 ファセリス 4th Century BC スターテル銀貨
両面でガレー船の舳先と船尾が表現されたコイン。イルカは海の象徴として、ガレー船の下を泳いでいます。
ギリシャ人が多く移住した南イタリア~シチリア島では、イルカにまつわる伝説が各地に存在したことから、コインにも神話の要素として登場しています。イタリア半島 カラブリアの都市タレントゥムでは、ポセイドンの息子タラスが父神の遣わしたイルカに乗って難破船から脱出し、辿り着いた海岸にタレントゥムの町が建てられたという伝説がありました。そのため同都市のコインには、「イルカに乗るタラス」が多様なバラエティによって表現されました。
紀元前4世紀~紀元前3世紀頃、ローマの支配下に入る前に造られたノモス銀貨には、バラエティ豊かなタラスとイルカの組み合わせが見られます。中にはイルカに乗ったタラスが、右手で小さなイルカを持つという珍しいタイプも造られています。こうした違いは刻印彫刻師の個性を示し、また造幣所ごとの仕事を見分ける重要な目印にもなっていたと考えられていますが、当時のタレントゥムの豊かさや自由さがそのまま表現されているようです。
またシチリア島のシラクサで発行されたコインには美しい泉のニンフ、アレトゥーサが表現されていることで有名ですが、その周囲には必ず四頭のイルカが回遊していました。この配置は、現在にも通じるほどの高いデザイン力です。
シチリア島 シラクサ BC475-BC470 テトラドラクマ銀貨
シチリア島 シラクサ BC340-BC310 テトラドラクマ銀貨
このようにギリシャ文化圏ではイルカを表現したコインが数多くみられました。当時のギリシャ人たちにとって海、そしてそこで見られるイルカはとても身近な存在だったことが分かります。
一方でローマによって発行されたコインのイルカには、ギリシャには無かった変化が見られます。
ローマ BC74 デナリウス銀貨
ローマ ポンペイウス派発行 BC49 デナリウス(※デュラキウムで発行)
ローマ AD37-AD41 アス銅貨
裏面のネプチューン神が右手でイルカを差し出しているのが確認できます。
ローマ AD69 デナリウス銀貨
ローマ AD80 デナリウス銀貨
ローマ時代のコインに表現されたイルカは頭部が丸く大きくなり、さらに尾の部分を異様にくねらせる傾向にあります。上に示したティトゥス帝のコインでは、船の錨に絡みつくイルカという、自然では到底ありえないような構図で表現されています。
不思議なことにギリシャコインに表現されたイルカは、現代の我々が見ても違和感がないほどに写実的なのに対し、ローマコインのイルカは魚か爬虫類のような、全く別の生き物のように見えるのです。
この傾向はローマ時代に造られた彫像やモザイク画にもみられます。
モザイク画 (BC120-BC80)
ネプチューンの彫像のイルカ像 (ハドリアヌス帝時代 AD117-AD138)
ローマ時代の芸術作品に登場するイルカは鋭い牙があるものや、複数の背びれ・尾びれがあるもの、さらには鱗があるものまでみられます。このことから、ローマ人はイルカを魚の一種と認識していたのかもしれません。
しかしイルカはローマの時代にも地中海に多く生息し、人々の生活にも比較的近い存在の生き物だったはずです。海上交易が発達していた時代であれば実際のイルカを目にした人も多く、また網にかかって引き揚げられるイルカもいたと思われます。
1世紀に記されたプリニウスの『博物誌』には、湖に迷い込んだイルカと友情を育んだ少年の物語が記録されており、決して珍しい動物ではなかったことが分かります。
たとえ作品の製作者や注文者が海で生きたイルカを見たことがなくても、実際に見た人物の意見や、ギリシャ時代の作品に表現されたイルカ像を基にして修正が加えられても不思議ではありません。
にも関わらずローマ時代のコインをはじめ、芸術作品に表現されたイルカ像は現実とあまりにもかけ離れたものになっており、さらにそのイメージは修正されないまま、中世~ルネサンス期まで続いていきます。
ギリシャ・ローマ時代には様々な動植物が表現されましたが、それらは身体の模様や動きなどがリアルに表現されています。ギリシャ時代のイルカ像も、たとえデフォルメされていても基本的な姿は維持され、本物の特徴を踏まえて表現されていることが分かります。しかしローマ時代のイルカ像は、そもそもイルカを見たことの無い人が想像で生み出した怪物のような姿で表現され、そのまま酷くなりながら継承されているようにも見えるのです。
イルカのように時代の変遷と共に、本物からかけ離れてしまった事例は稀といえるでしょう。
アリオンとイルカ
(1899年『Stories of the olden time』より)
近代ヨーロッパでは「現実のイルカ」と「古代神話世界のイルカ」を明確に区別して表現しています。
「イルカに乗った少年」という題材は様々なパターンで各地の神話に残されており、イルカも後世の芸術作品に盛んに表現されましたが、その姿はまるでシャチホコのような姿です。
古代のギリシャ人とローマ人の間に、イルカに対するどのような認識の差があったのか、コインの変遷を見るだけでも様々なことを想像させられます。少なくともローマ人がギリシャ人ほど、イルカに愛着を抱いていなかったことは間違いないようです。
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