こんにちは。
そろそろ寒さが和らぎ始める頃ですが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。
現在コロナウィルスの影響により、人が集まる行事や大規模なイベントも自粛傾向にあります。経済への影響と健康への不安とが重なり、日常生活も落ち着かないような感じがいたします。
春の訪れと共に、事態が収束することを願うばかりです。何より健康第一で、御自愛いただきたく思います。
さて今回は少し視点を変えて、現代の紙幣に描かれた古代ギリシャコインをご紹介します。
統一通貨ユーロの導入後は、ヨーロッパ各国の紙幣やコインの独自性が消えてしまいましたが、それ以前は各国の特色が表現されたデザインが数多く見られました。
特にギリシャでは古代の建築物や風俗・文化・歴史が豊かに表現されていました。
その中でもお金つながりで古代ギリシャのコインも多数の種類が表現されています。今回はそのうちの幾つかをご紹介します。
19世紀初頭にオスマン帝国からの独立を果たしたギリシャでは多種類の紙幣が発行されましたが、その多くはイギリスやフランスなど他国の印刷企業に委託されていました。
それらの多くは古代の遺跡や彫像、女性像などが表現されていましたが、1940年に銀貨の代用として小額紙幣が発行されると、そこに古代ギリシャコインのデザインがそのまま採り入れられました。
もともと銀貨のデザインは古代ギリシャ時代のコインを再現したものだったため、結果的に古代コインが紙幣のデザインに採用されることになりました。
1940年にギリシャ政府によって発行された10ドラクマ紙幣。 ↓は1930年代に発行された10ドラクマ銀貨。豊穣の女神デメーテールの横顔が表現され、ギリシャ語によりデメーテールを示す「ΔΗΜΗΤHP」の文字も確認できます。
基となったコインは、紀元前4世紀にデルフォイで発行されたスターテル銀貨とみられます。しかし裏面はルカニアのメタポンティオンで発行されたコインの麦穂が表現され、異なる古代コインを表裏で組み合わせた意匠です。↓
【表面】デルフォイのスターテル銀貨 (BC338-BC333)
【裏面】メタポンティオンのノモス銀貨 (BC330-BC290)
同じくデメーテールですが、こちらはヴェールを被らない横顔像です。
同じく1940年に発行された20ドラクマ紙幣。↓は1930年代の20ドラクマ銀貨。共に海神ポセイドンが表現され、その名を示す「ΠΟΣΕΙΔΩΝ」銘も配されています。
基となったコインはアンティゴノス朝マケドニア王国で発行された↓のテトラドラクマ銀貨です。
マケドニア王国のテトラドラクマ銀貨 (BC227-BC225)
構図の美しさから古代ギリシャコインの名品に数えられる一種です。アンティゴノス3世ドーソン王の治世下、アンドロス島での戦いにおいてセレウコス朝シリアの海軍と連携し、プトレマイオス朝エジプト軍の艦隊に勝利したことを記念して造られたとされます。
ギリシャの紙幣に古代コインが描かれるようになった時期は、戦争の影がヨーロッパを覆っていた期間と重なります。銀貨の製造から紙幣へと切り替えられたのも、緊迫する経済状況を反映しています。
1940年、イタリア軍がギリシャへ侵攻し、それを助ける形でドイツも参戦。敗北したギリシャはドイツ、イタリア、ブルガリアの三国によって分割され、1944年まで占領統治下に置かれました。
イタリアはペロポネソス半島~テッサリア平原にいたる広大な地域を獲得した一方、ドイツは戦略的に重要なアテネやテッサロニキ、クレタ島などを占領しました。
ヒトラーをはじめナチスの幹部達は古代ギリシャをヨーロッパ文明の源として崇拝し、ギリシャ占領に大きな歴史的意味を見出していました。占領中はハインリヒ・ヒムラーなどの要人も視察に訪れ、アテネのアクロポリスはさながらドイツ兵の記念撮影スポットになったほどでした。
1941年4月27日、パルテノン神殿の前には鉤十字旗が翻り、ドイツ軍が撤退した1944年10月12日まで掲げられていました。
アテネにはドイツによって傀儡の政府が立てられ、ドイツ軍によるギリシャ支配の協力機関とされました。ドイツは占領期間中の費用を全てギリシャ持ちとし、資源や食糧の徴発、パルチザン掃討作戦によって多くのギリシャ人が命を落としました。
同時期に発生した冷害の影響による農作物の不足や連合国による経済封鎖も重なり、一説には占領期間中に30万人が餓死したとも云われています。
占領時代の過酷な統治は現代にまで尾を引き、現在もギリシャ政府はドイツに戦時中の賠償を請求し続けています。
苛烈な占領統治はギリシャの経済を破綻させ、物資不足による激しいインフレーションを引き起こしました。アテネの傀儡政府はインフレ紙幣を発行し続け、通貨ドラクマの価値は下落の一途を辿りました。皮肉なことに、この時期のインフレ紙幣には古代ギリシャ時代の美しいコインが数多くデザインに採用されています。
占領期間中の紙幣印刷はドイツのギーゼッケ&デブリエント社が担い、占領下のギリシャに大量供給しました。ギーゼッケ&デブリエント社は後年ジンバブエの100兆ドル紙幣を印刷・供給し、現在ではユーロ紙幣を製造しています。
ドイツでは古代ギリシャコインの収集が盛んであったことから、原画の参考元になるコインも豊富に揃っていたと思われ、通貨のデザインとして採用しやすかったのかもしれません。
1941年 2ドラクマ紙幣
リュシマコス発行のアレキサンダーコインが表現された小型紙幣。
1941年 1000ドラクマ紙幣
マケドニアで発行されたテトラドラクマ銀貨(BC95-BC70)が表現され、アレキサンダー大王の横顔像が再現されています。
1944年 100,000ドラクマ紙幣
アテネのテトラドラクマ銀貨「フクロウコイン」が表現された大型紙幣。表面のアテネ神と裏面のフクロウが並んで表現されています。
1944年 25,000,000ドラクマ紙幣
エペイロスのディドラクマ銀貨(BC238-BC168)の両面図。表面はゼウス神とディオネ女神、裏面は牡牛。
1944年 10,000,000,000ドラクマ紙幣
シラクサの名品コイン、アレトゥーサのデカドラクマ銀貨が表現。コインが魚網にかかっているかのような構図。
100億ドラクマに相応しいデザインですが、ギリシャ本土から遠く離れたシチリア島のコインを採用した経緯が興味深いです。
あまりのインフレーションの進行によって発行された紙幣の多くは無価値となり、1944年には新1ドラクマ=旧500億ドラクマのデノミネーションが実施されますが、同年末にドイツ軍は撤退し、ようやくギリシャは解放されました。
戦後になると新紙幣が発行されますが、占領時代の名残か、そこにも古代コインがデザインとして採用されました。
1950年 1000ドラクマ紙幣
デザインに使用されたコインはエリス(オリュンピア)で発行されたスターテル銀貨(BC271-BC191)、ゼウス神と大鷲、蛇が表現されています。
ギリシャで印刷された紙幣ですが、構図は占領時代の紙幣を彷彿とさせます。
1950年 500ドラクマ紙幣
ビザンチン帝国の椀型(カップ)コインが表現されていますが、額面は現代風にアレンジされています。構図からコンスタンティノス9世の時代(1042-1055)に発行されたコインを基にしているとみられます。
1953年、再度デノミネーション(新1ドラクマ=旧1000ドラクマ)によって新ドラクマが導入され、2002年のユーロ導入まで使用され続けました。その後の50年間にも、古代コインを基にしたデザインが度々採用されました。
1964年 50ドラクマ紙幣 アレトゥーサ
1978年 50ドラクマ紙幣 ポセイドン神
1987年 1000ドラクマ紙幣 アポロ神
下にはエリス(オリュンピア)で発行されたスターテル銀貨の時代違い(BC323-BC271)が配されています。
数年後には日本でも新紙幣がお目見えしますが、今は無き過去のコインが表現された通貨は興味深いテーマだと思われます。
自分達が持つ歴史と、その連続性を重要視していることがうかがえるようです。特にギリシャの場合、昔からコイン=先人達が残した芸術遺産として評価していたことが分かります。
ちなみにご紹介したギリシャの紙幣は、インフレーション期の発行ということもあり、現代でも比較的安価に入手することができます。古代ギリシャコインの参考として、一枚お手元に置いておくのも良いかもしれません。
コメント