こんにちは。
毎日暑い日が続いていますね。パラリンピックも始まり、選手の皆様は猛暑の中で大変だと思います。どうか気をつけながら力を発揮し、素晴らしいプレーにしていただきたいと思います。
今月はニュースでアフガニスタンの話題が大きく取り上げられています。
20年に及んだ米軍のアフガニスタン駐留は、最終的にタリバンの復権を許す形で終了することになりました。今なおアフガニスタンは混乱の渦中にありますが、米軍が撤退した後も先行きは不透明です。
アフガニスタンの中央銀行にあたる「アフガニスタン銀行」の行章は、かつてこの地で造られていたコインのデザインが取り入れられています。
1939年に設立されたアフガニスタン銀行は日本銀行と同じく発券銀行であり、紙幣の発行と監理を行っています。設立以降、アフガニスタンは王政、共和政、共産主義政権、タリバン政権、米軍による占領とめまぐるしく政府が変わりましたが、アフガニスタン銀行は一貫してその業務を継続しています。
同国で発行された紙幣に共通して配されているこの行章は、かつてアフガニスタンの地に栄えたバクトリア王国最盛期のコインをそのままメインデザインに取り入れています。
バクトリア王国(グレコ=バクトリア王国)は現在のアフガニスタン~パキスタン北部に存在したギリシャ系王朝であり、アレキサンダー大王(マケドニア王アレクサンドロス3世)による東方遠征の後、現地に残留したギリシャ人たちによって建設された植民都市から形成されました。紀元前3世紀の中頃にセレウコス朝から分離独立すると、シルクロード交易の要衝として繁栄し、東西文化の融合と発展が進みました。
基となったコインは紀元前170年~紀元前145年頃、エウクラティデス1世の時代に発行されたテトラドラクマ銀貨です。
エウクラティデスはセレウコス朝の血統を有する名門とされ、隣国パルティアの支援を得て王位に登りました。自ら軍を率いてインド方面への遠征を行い、領土拡大に邁進したことから「大王」の尊称で呼ばれることもあります。
このコインはエウクラティデス1世が建設し自らの名を冠した都市「エウクラティデア」で造られたと考えられています。
最盛期―エウクラティデス1世治世下のグレコ=バクトリア王国版図
エウクラティデス1世は良質なギリシャ式のコインを発行し、自らの権力と富を誇示しました。その多くはギリシャ本土にも劣らない、最盛期にふさわしい見事な造形です。
王の肖像には多数のバラエティが存在しますが、裏面のデザインは一貫して「双子神ディオスクロイの騎馬像」が表現されています。この裏面デザインが、現在のアフガニスタン銀行行章にそのまま取り入れられています。
バクトリア王国のコインはヘレニズム諸王朝のコインと同様に、表面には王の肖像、裏面にはギリシャ神話に登場する神を表現していました。
特にバクトリアの場合、王によって守護神が異なるため、裏面の神も王と共に変化しました。
(*デメトリオス:ヘラクレス、アンティマコス:海神ポセイドン、ヘリオクレス:ゼウス神、メナンドロス:アテナ女神.....)
エウクラティデスの場合は双子神ディオスクロイであり、コインには棕櫚の葉と槍を持って馬を駆ける双子神が表現されています。両者は共にピロス帽(*円錐形の帽子)を被り、互いに顔を向けて意思疎通している様子で表現されています。
上下には発行者を示す「ΒΑΣΙΛΕΩΣ MEΓAΛOY ΕΥΚΡΑΤΙΔΟΥ (大王 エウクラティデス)」銘が配されています。
ディオスクロイはギリシャ神話に登場するカストールとポリュデウケス(ポルクス)の兄弟であり、白鳥に姿を変えた大神ゼウスと交わったレダが生んだ子とされました。この兄弟は戦争と拳闘に優れた能力を発揮し、各地の遠征や戦闘で活躍した神話が語られています。こうした神話は後にローマへ伝わり、独自の解釈が加わりローマ騎士の守護神としても奉られました。
紀元前147年頃 デナリウス銀貨
神話ではポリュデウケスがゼウス神によって不死身にされかけた時、先にカストールが戦死してしまったため自分だけ不死身になっても仕方がないとして固辞しました。兄弟愛に感心したゼウス神は双子を天上に上らせ、夜空の「双子座」にしたと云われています。
このコインに表現された双子神ディオスクロイは勝利・武勇の象徴であると共に、インド方面へ領土を拡大したエウクラティデスによるギリシャ文化圏(バクトリア)とインド文化圏の統合・協調を示唆するものと考えられています。インド=グリーク朝の文化融合を象徴する意匠といえるかもしれません。
現在のアフガニスタン銀行の行章にはコイン内の一部デザインとはいえ、エウクラティデスの名銘が、古代ギリシャ文字で大きく明記されています。
かつてアフガニスタンの地に、ギリシャ文化を有した王国が存在した歴史を明示しています。2000年以上の時を経た今も、現行通貨のデザインとして生き続けている稀有な例といえるでしょう。
バクトリア王国の最盛期を築いた大王エウクラティデスでしたが、遠征からの帰途、息子ヘリオクレスによって殺害され、栄光に満ちた華々しい治世を突然終えることになりました。その遺骸は戦車によって轢かれ、これを埋葬して弔うことすら禁じられたと云われています。
エウクラティデス亡き後、バクトリアは隣国パルティアや匈奴など遊牧民族の介入に悩まされ、内部では豪族たちによる王位争いから群雄割拠の状態になりました。こうしてバクトリア王国は徐々に分裂・衰退し、やがて歴史の中へ埋もれていくことになったのです。
かつてこの地を征服したアレキサンダー大王も複雑な地形と独立心の強い部族たちの抵抗に手を焼き、自らも傷を負い、多くの将兵を失いました。
後にはセレウコス朝、イスラーム帝国、モンゴル帝国、大英帝国、ソ連、そしてアメリカがアフガニスタンに軍を送り込みましたが、これらの大国であっても完全に平定することはついに叶いませんでした。
「帝国の墓場」とも称されるアフガニスタンが今後どのように変化するか定かではありませんが、かつてこの地に存在した豊かな歴史と文化を大切にし、後世に守り伝えて欲しいと思います。長い苦難の歴史を乗り越え、アフガニスタンに平和と安定が定着することを願うばかりです。
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