こんにちは。
10月も終わりに近づき、すっかり肌寒くなってまいりました。日が暮れるのもどんどん早くなっていますね。今年は秋がなく、いきなり冬に移り変わったようです。
世間では新型コロナウィルスの感染者が減ったことで、さまざまな経済活動も再始動する流れになっているようです。これから寒くなっていく分、風邪やインフルエンザにも気をつけなければならず、油断は禁物です。すべてが元通りとはいきませんが、せめて今年は楽しい年末を過ごしたいものです。
当店、ワールドコインギャラリーは来週の水曜日(11月3日)「文化の日」は祝日営業として、11時~19時まで通常営業をいたします。
感染症対策も採りながら営業を行いますので、文化の日はぜひともご来店ください。冬に近づきつつ気温ですが、コインで「文化の秋」を愉しみましょう。
【古代ギリシャ・ローマコイン&コインジュエリー専門店】
11月といえば、新しい500円硬貨がお目見えする予定ですね。11月1日(月)より日本銀行から金融機関に払い出しが始まる為、市中に出回るのは少し遅れてからになると思いますが、今から現物を手にするのが楽しみです。
新500円硬貨 11月1日から発行へ 21年ぶり | NHKニュース
中央部は白銅、周囲はニッケル黄銅になっており、さらに内部には銅がはさまれているバイカラー・クラッド方式です。海外では一般的なバイメタルコイン(二種類の金属を組み合わせた硬貨)ですが、日本では記念の500円硬貨でしか使用されていませんでした。ようやく一般流通貨幣にも活用される為、日本貨幣にとっては画期的な出来事になります。
バイメタルコインでよく知られるのがユーロコインです。ユーロ圏では1ユーロと2ユーロがバイメタルとなっており、材質や重量、大きさは統一されているものの、デザインは発行国によって異なります。アメリカの50州25セントや日本の47都道府県500円のように、額面を統一して発行国ごとに収集するコレクターも多いそうです。
中でも人気のデザインのひとつは、バルト三国のラトビアで発行されているユーロコインです。
1991年にソ連から独立したラトビアは2004年にEU(ヨーロッパ連合)に加盟し、10年後の2014年からユーロを導入しました。その際に発行された1ユーロと2ユーロのデザインには、ラトビアを代表するコインのデザインがそのまま採用されました。
2ユーロコインは中央がニッケル黄銅、周囲が白銅になっており、1ユーロはその逆になっています。
このコインはラトビア人にとって非常に思い入れのあるコインです。
第一次世界大戦が終結した1918年、エストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国はロシアから独立。第二次世界大戦までのおよそ20年間、小国ラトビアは独立国家として存在していました。
独立後は各国で独自通貨が発行され、ラトビアでは1922年にルーブルに代わって新通貨「ラッツ(*複数形ではラティ)」が発行されました。
1920年代になると、ラトビアは諸外国に劣らない大型銀貨の発行を計画します。クラウンサイズで発行されることが決まった5ラティ銀貨は、独立国家ラトビアの顔となるコインとして品格のある仕上がりが求められました。製造はイギリス、ロンドンのロイヤルミント(英国王立造幣局)が請け負うこととなり、デザインはラトビア独自のものとする方針が定まりました。
共和国だったラトビアは実在の人物ではなく、フランスのマリアンヌやアメリカのリバティのような、不特定の女性像を表現する方針となり、ラトビアを体現するような若い女性像が求められました。デザインはロシア帝国印刷局で20年間勤務していたラトビア人デザイナー リハルツ・ザリヴシュ(1869-1939)が担当することとなり、モデルとなる女性が選定されました。
リハルツ・ザリヴシュの記念切手(2019年)
ラトビアの象徴として選ばれたのは、首都リガの国家証券印刷局に勤めていたヅェルマ・ブラーレイ(1900-1977)でした。リハルツ・ザリヴシュは外部にモデルを求めず、手近な身内の職員からモデルを選出したのでした。残されている彼女のスケッチから、ザリヴシュがこの仕事に情熱をもって取り組んでいたことが読み取れます。
ヅェルマ・ブラーレイ
1929年2月、ザリヴシュが手掛けた新銀貨の発行が開始されました。実際に多くの人々の手に渡ると、デザインの良さと風格からその評判は上々であり、すぐさまラトビアを代表するコインの地位を得ました。発行されてすぐに「ミルダ(*ラトビア人に多い女性名)」の愛称で呼ばれ、人々から親しまれました。流通コインであるにも関わらず多くのラトビア人は記念品のように大切にし、結婚式や洗礼式でも配られました。
「ミルダ」5ラティ銀貨
Silver83.5%、25g、37mmのクラウンサイズ銀貨。1929年、1931年、1932年の各年銘で合計360万枚が製造されました。裏面の国章もザリヴシュが手掛けています。
エッジ(側縁)にはラトビア語で「DIEVS SVĒTĪ LATVIJU (神はラトビアを祝福する)」銘が刻まれており、現在の2ユーロコインにも再現されています。
民族衣装をまとった乙女が微笑みながら遠くを見つめる姿は、独立して間もない小国ラトビアを体現する理想的な姿でした。このコインを手掛けたザリヴシュの名声も高まり、現在でもラトビアを代表する歴史的文化人のひとりに数えられています。
しかしラトビアの独立は突如終わりを迎えます。1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、中立を宣言していたラトビアは1940年にソ連軍の進駐を受け、そのままソ連に併合されることとなったのです。ラトビア共和国は事実上消滅し、ラッツに代わってソ連ルーブルが流通するようになりましたが、しばらくはラッツも並行して使用されていました。戦争の危機が近づいた時期から、ラトビア国内では銀貨が退蔵されるようになり、結果的に多くの「ミルダ」5ラティ銀貨が残されることになりました。
しかし1941年3月25日、ソ連はラッツの完全無効化を突如宣言し、一夜にして通貨ラッツは無価値となりました。紙幣は通用価値を失い、銀貨は金属的価値だけ保証されたものの、額面価値は完全に消滅しました。推定で5000万ラティがルーブルに交換されることなく無価値となり、多くのラトビア市民が損害を被りました。
それでも「ミルダ」5ラティ銀貨はラトビア人にとって思い入れの深いコインであり、多くの市民が手放さず少なくとも一枚は家に保管していました。いつしかこの銀貨は愛国者を象徴するものとなり、シベリアへ送還される人々や西側への亡命者などが手にしていました。ブローチやペンダントしても加工され、幸運のお守りとして子から孫へと引き継がれていきました。
一方で、皮肉にもソ連側もこの見事な銀貨に利用価値を見出していました。
ラッツが無価値なった際、ソ連はルーブルとの交換や接収などで得た大量の5ラティ銀貨を保持していました。1960年代、ソ連国立銀行(コズバンク)は既に無価値となった古い金貨や銀貨の買い入れを行い、5ラティ銀貨は60コペイクで交換されることとなりました。こうして集められたソ連以前のコインは海外、特に西側諸国の貨幣業者へと流され、貴重な外貨獲得手段になっていたのです。特にラトビアの5ラティ銀貨は人気があり、西ドイツでは28マルクで販売されたと云われています。
ソ連による併合から半世紀を経た1991年、バルト三国は再び独立し、ラトビアは独自通貨ラッツを回復しました。その際、人々は自宅に仕舞いこんでいたミルダのコインブローチやコインペンダントを再び身に付け、独立と祖国の復活を喜びました。
独立後新たに発行された紙幣の肖像や、記念コインとしても度々「ミルダ」のデザインが再現され続けました。ソ連による支配を受けていた時代、ラトビアの人々が独立の希望に対する証として持ち続けていたミルダのコインは、独立国家ラトビアの通貨として再び登場したのです。
独立後に発行された500ラティ紙幣
そして2014年のユーロ導入に際し、ついにミルダを通常コインのデザインとして復活させました。ラトビア政府が新しいコインの顔として相応しいデザインを世論調査したところ、圧倒的な人気を得たのが「ミルダ」でした。独自通貨ラッツは再び消滅しましたが、ミルダは生き残ることができたのです。
時代に合わせてバイメタルのコインとして表現されたミルダは、80年以上の時を経て再び人気を得ています。ユーロコインは国境を越えてヨーロッパ中で使用することができるため、ラトビアに留まらずより多くの人々の手に渡ります。
激動の歴史を経てもなお愛されるコインとして、特筆すべき存在と言えるでしょう。
来月から発行される日本の新500円硬貨は、昭和57年(1982年)の発行から3代目になります。最初は白銅貨でしたが、平成12年(2000年)に登場した2代目はニッケル黄銅貨、今回は白銅とニッケル黄銅を組み合わせたバイメタルです。素材とセキュリティ技術は変化していても、基本的なデザインは変わっていません。
昭和・平成・令和と変化している500円硬貨も、時代を経て愛されているコインといえるでしょう。
令和版500円硬貨のお目見えを、心待ちにしたいと思います。
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