こんにちは。
この頃はすっかり秋めいてきましたね。肌寒い日が多くなり、段々と冬の気配も感じるようになりました。
昨今は円安によって輸入品の価格が上昇しています。海外オークションで入手するコインについてはその影響が顕著で、計算し直しで入札の手も鈍ります。また、海外でも物価高の影響からか、オークションの手数料も値上げ傾向です。
コインの価値が上がるのは良いことなのですが、仕入れには堪えますね。
今回は古代ギリシャ時代の加刻印コインについてご紹介します。
加刻印(Counter mark)とは既に出来上がっているコインの上に、新たな記号やデザインを加えることを意味します。貴金属の品位を検査した際に打たれたバンカーズマーク(Banker`s mark)とは異なり、法的な通貨として流通させる目的で、政府など発行主体が公式印を加えたものを指します。
具体的には自国通貨の生産・供給が間に合わないため、他国のコインに自国の印を加えることで国内で流通させる例が多く見られます。
日本では幕末にメキシコ8レアル銀貨(=メキシコ銀)に「改三分定」を加刻し、3分通用の銀貨として国内で流通させようとした例が知られています。
グアテマラ 1894年 1ペソ銀貨
1884年銘のペルー1ソル銀貨に1/2レアル銀貨の刻印を表裏に加刻し、グアテマラ国内で1ペソ通用の銀貨として発行。
また、通貨改革によって額面を変更する場合など、古いコインに新しい額面を加える場合もあります。近現代ではインフレーションが進行した際、紙幣や切手に加刷して金額を変更する例が多くみられます。
ブラジル 1835年 40レイス銅貨
1835年9月6日の法令に基づく通貨切り下げ(=1/2のデノミネーション)の一環。1829年に発行された80レイス銅貨に、1835年に「40」印を加刻。
コスタリカ 1923年 1コロン銀貨
1902年発行の50センティモ銀貨に加刻し、二倍の額面に変更
コスタリカ 1923年 50センティモ銀貨
1890年発行の25センタヴォ銀貨に加刻し、二倍の額面に変更
こうした処置は古代ギリシャでもみられました。
紀元前2世紀、地中海東部を版図としたセレウコス朝シリアでは、他地域との交易で得たコインに自国の印を加え、そのまま国内で流通させていたことが分かっています。
パンフィリア シデ 紀元前183年-紀元前175年頃 テトラドラクマ銀貨
アテナ女神像の兜部分に「錨」の加刻印
パンフィリア アスペンドス 紀元前190年-紀元前189年 テトラドラクマ
ゼウス神の右側に「錨」の加刻印
シデとアスペンドスは小アジア南部、パンフィリア地方(*現在のトルコ、アンタルヤ県)の古代都市であり、ヘレニズム時代には経済の中心都市として多くのテトラドラクマ(=4ドラクマ)銀貨を生産していました。
この両都市で発行されたコインは、交易を通じてセレウコス朝シリアの首都アンティオキアへ流入していました。
通常、交易によって得られた域外のコインは退蔵されるか溶解される場合が多いのですが、セレウコス朝は加刻を施して国内で再流通させました。
なお「錨」の刻印はセレウコス朝の象徴であり、セレウコス1世ニカトール王(在位:紀元前312年-紀元前281年)時代のコインにも刻まれています。錨を加刻することでセレウコス朝の権威を付与し、公式に認められている通貨として認識させる目的がありました。
セレウコス朝で発行されたテトラドラクマ銀貨は伝統的にアッティカ基準(*アテネのフクロウコインや、マケドニアのアレキサンダーコイン)を継承していたため、同じ基準で造られているコインは同じ価値で流通させることができました。溶解⇒再計量⇒打刻するよりも、ただ錨の印を打ち付けるだけで発行できる方が経済的と判断されたのでしょう。
しかし再流通させる目的から、錨の加刻印は基のデザインを損ねない位置(アテナ神の兜など)に狙って打たれており、一枚一枚丁寧に作業が行われていたとみられます。こうした作業は首都アンティオキアや、最初に造幣所が設置されたセレウキアなどの造幣所内で行われたと考えられています。
基となったコインの発行年代から、こうした加刻印コインは紀元前2世紀前半に生産されていたと推定されます。
同時期、セレウコス朝のアンティオコス3世(在位:紀元前223年-紀元前187年)は小アジアへ遠征し、シデを含めた地域を勢力下に置いたことから、この地域よりもたらされた戦利品とする見方があります。
また、ローマとの戦いに敗れ多額の賠償金を支払う必要から、正規の銀貨の製造が間に合わず、緊急処置として他地域から得たコインを利用したという説もあります。
いずれにせよ、古代コインの加刻印はほとんど場合誰によって打たれたものか不明ですが、ある程度まで特定できる例は大変珍しい存在です。
こうした加刻印コインは無傷のものに比べると人気は下がりますが、当時の経済状況や歴史的背景を考える上では貴重な史料となります。
後から付け加えられた刻印の意味を自由に推察するだけでも、より楽しさが増すように感じます。
アケメネス朝ペルシア 紀元前450年-紀元前330年 シグロス銀貨
表裏に打たれた刻印は銀品位の検印とも考えられますが、アケメネス朝の権威が及ぶ範囲外(*おそらくインダス方面)でコインとして流通していた痕跡とも推察できます。
キリキア地方 ナギドゥス 紀元前356年-紀元前350年 スターテル銀貨
「牛」の刻印は当地を支配していたアケメネス朝に関係すると考えられます。ギリシャ様式のコインにペルシア文化の印を打つことで、ゾロアスター教神殿への献納に用いたとする説がありますが、推測の域を出ず謎多き印です。
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