こんにちは。
2月も終わりですがまだまだ寒いですね。今年の2月は一日多く、少し得をした気分になりますね。その分、春の訪れも先延ばしになったように感じられます。一日も早く暖かい、過ごしやすい陽気になることを願うばかりです。
本日は古代ローマ帝国の皇妃ルキラとそのコインについてご紹介します。
ルキラ/コンコルディア女神
(AD166-AD169, デナリウス銀貨)
アンニア・アウレリア・ガレリア・ルキラ(*Lucilla, ルッシラとも呼ばれる)はローマ帝国の黄金時代とされる2世紀半ばに生まれました。父親は哲人皇帝として知られるマルクス・アウレリウス・アントニヌス、母親のファウスティナは五賢帝の一人アントニヌス・ピウスの娘でした。
マルクス・アウレリウスとファウスティナの間には14人の子が生まれましたが、その多くは成人前に病没しました。ルキラの双子の兄ゲメルス・ルシラエも幼くして没しています。
アントニヌス・ピウス帝治世下に発行されたアウレウス金貨 (AD149, ローマ)
裏面には交差する二本のコルヌ・コピア(=豊穣の角)が表現され、上部には幼児の頭部が確認できます。これはルキラとゲメルス・ルキラエを表現したものとされ、皇帝の孫の誕生を記念する意匠となっています。
祖父アントニヌス・ピウス帝が崩御し、父のマルクス・アウレリウスが帝位を継承した161年、弟コンモドゥスが誕生します。アントニヌス朝の皇子として大切に育てられたコンモドゥスは、将来の皇帝として生まれた時から期待されていました。
一方でルキラもアントニヌス朝を盤石にするための役割を与えられました。
父マルクス・アウレリウスは即位にあたり、義理の弟であるルキウス・ウェルスを共同統治帝に指名し、兄弟共に即位しました。ルキウス・ウェルスはかつてハドリアヌス帝の後継者とされたルキウス・ケイオニウス・コンモドゥスの息子であり、マルクス・アウレリウスと共にアントニヌス・ピウス帝の養子となっていました。
マルクス・アウレリウスとルキウス・ウェルス
マルクス・アウレリウス帝は義弟ルキウス・ウェルスに自らの娘であるルキラを嫁がせることにより、二人の皇帝による共同統治体制を盤石なものにしようとしました。164年に結婚が成立。この時ルキウスは34歳、ルキラは15歳でした。
この結婚によりルキラは母親であるファウスティナと同じアウグスタ(=皇妃)の称号を得、彼女の姿を表現したコインが発行されるようになりました。
ルキラのデナリウス銀貨 (AD166-AD169, ローマ)
ルキラのコインはルキウス・ウェルス帝と結婚した直後の164年から、夫が亡くなる169年までのおよそ5年間発行されました。
すべてのコインには「AVGVSTA(=皇妃)」の称号が刻まれ、彼女が皇妃であった時期にのみ製造されたことが分かります。そのため確認されているコインの種類はファウスティナと比べて少なく、発行数も父や夫と比べると少なかったことが窺えます。
金貨・銀貨・銅貨もすべて同じ肖像のスタイルが採用されています。母親のファウスティナとよく似た髪形をしていますが、やや丸顔で幼さを残した印象です。
母ファウスティナのデナリウス銀貨 (AD161-AD164)
ルキラは夫のパルティア遠征にも付き従い、ローマを離れてシリアで過ごすようになります。この間に3人の子供を授かり、夫婦としての関係性は保たれていましたが、結婚から5年後の169年2月ルキウス・ウェルスは外征先で脳溢血に倒れ、そのまま崩御してしまいました。
ルキウス・ウェルスは神格化され丁重に葬られましたが、夫の死によってルキラは皇妃の称号を失うことになります。父マルクス・アウレリウスは後添えとしてティベリウス・クラウディウス・ポンペイアヌス・クィンティアヌスというシリア出身の貴族と再婚させますが、これによって皇妃の身分を再び得ることはできず、格下げのような形になりました。
180年に父マルクス・アウレリウスが崩御すると、帝位は息子コンモドゥスに継承されました。哲人皇帝と称えられた父親と異なり、コンモドゥスは暴力的で自己顕示欲が強く、誇大妄想の傾向がみられました。この頃から姉ルキラと弟コンモドゥスの不和と対立が始まったと推測されています。
さらにコンモドゥスの妻であるクリスピナとも不仲であり、皇妃の称号を失ったルキラは宮廷から遠ざけられる状況に危機感を覚えていました。この頃からアウグスタの称号を添えたクリスピナのコインも発行され始めています。
コンモドゥスとクリスピナ
コンモドゥスは父マルクス・アウレリウスと似た風貌ですがやや目蓋が重い印象です。クリスピナはファウスティナやルキラと比べると細面で、首元が長く表現されています。
皇帝一族内の確執は単なる御家騒動に収まらず、やがてクーデターの陰謀として多くの人々を巻き込んでいきました。ルキラと夫クィンティアヌスを軸とし、元近衛長官パテルヌス、ルキラの娘プラウティア、夫クィンティアヌスの甥などが関与し、コンモドゥス帝暗殺計画が練られました。皇帝暗殺後はクィンティアヌスが皇帝に即位し、ルキラが再び皇妃の称号を得て復権する予定でした。
182年、皇妃クリスピナが妊娠したことを契機とし、コンモドゥス帝暗殺計画が実行に移されました。クィンティアヌスの甥が物陰に隠れ、近づいてきたコンモドゥス帝を短剣で刺し殺そうとしたものの、その際に「これが元老院からの贈り物だ!」と叫んだことですぐさま近衛兵に捕らえられ、計画は失敗に終わりました。
コンモドゥス帝は傷ひとつ負いませんでしたが、ただちに計画に関与した姉ルキラと夫クィンティアヌス、その子供たちを逮捕し、カプリ島に追放した後に当地で処刑しました。
こうしてルキラの復権の野望はあえなく潰えましたが、実姉に命を狙われたことや暗殺者の掛け声(=これが元老院からの贈り物だ!)はコンモドゥス帝の人間不信感情をより悪化させ、ますます政治から遠のき暴君・暗君の道を辿ることになったのです。
暗殺未遂事件から10年後の192年、コンモドゥス帝は近習の近衛隊長と愛人の策略によって暗殺され、アントニヌス・ピウス、マルクス・アウレリウスと続いたアントニヌス朝は終焉しました。
権力闘争によって最期を遂げたルキラですが、暴君となった弟に処刑された悲劇性からか、後世の映画ではヒロインとして描かれることも多くあります。
『ローマ帝国の滅亡』(1964)
『グラディエーター』(2000)
『ローマ帝国の滅亡』ではソフィア・ローレン、『グラディエーター』ではコニー・ニールセンがルキラを演じました。どちらの作品でも弟コンモドゥスによって虐げられ、その暴政を止めようと尽力し、主人公によって救われるヒロイン像として表現されています。
伝わっている史実とはイメージが大きく異なりますが、映画作品としては見応えがありますので、気になる方はぜひご覧ください。
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