桜の季節が過ぎると急に暑くなってきました。春から初夏への急な移り変わりですね。
今年のゴールデンウィークは皆様いかがお過ごしでしょうか。
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ご来店を心よりお待ち申し上げております。
今回は古代ギリシャを代表する歴史家ヘロドトスをご紹介します。
ヘロドトス
Ἡρόδοτος
(ギリシャ 2018年 200ユーロ金貨)
ヘロドトスは紀元前484年頃に小アジアの都市ハリカルナッソスの名家に生まれました。当時のハリカルナッソスはカリア王国の首都として栄え、女王アルテミシアによって統治されていました。ヘロドトスの一族は女王の血縁だったと推測されています。
彼自身はギリシャ系入植者の家系でしたが、当時のカリアはアケメネス朝ペルシアに従属し、ペルシア戦争(紀元前499年-紀元前449年)ではギリシャ連合軍と戦っていました。こうした複雑な背景から、彼はギリシャ人と周辺民族に関する知見を深めていったと考えられています。
またこの時代にイオニア哲学やホメロスの叙事詩に触れ、歴史観・世界観の基礎を発展させていきました。
しかし女王亡き後の権力争いに巻き込まれ、紀元前460年頃にカリアを追われることになります。
サモス島を経て紀元前445年頃にアテナイ(アテネ)に渡ったヘロドトスは、この地でペリクレスやソフォクレスといった当時の有力者、文化人たちと交流を持つようになります。さらに歴史に関する講義を自ら行い、その度にアテナイから多額の礼金を得ていたと伝えられます。
ペリクレス
(ギリシャ 1984年 20ドラクマ)
ペリクレス(紀元前495年-紀元前429年)は最盛期のアテナイを率いた将軍。市民中心の民主政を尊重する一方、類稀な指導力を発揮してアテネの黄金時代を築いた英雄として知られます。
その後、ペリクレスの政策によってイタリア半島への入植活動が進められると紀元前443年に植民都市トゥリオイに移住し、紀元前425年頃に当地で生涯を終えました。
ヘロドトスはその人生で北アフリカのリビア~エジプト、フェニキア~バビロン、さらには黒海北岸までを旅し、各地で見聞を得ていきました。旅先で得た様々な情報や知識をヘロドトスは詳細に記録しました。
こうして得られた知識・知見によって叙述されたのが、現代でも知られる『ヒストリアイ(ἱστορίαι)』、日本語で『歴史』と訳された書物です。
内容は同時代のペルシア戦争が主軸に置かれ、それに関わった英傑たち個人から民族・都市・王朝について細かく記録されています。文章はイオニア方言が用いられ、自ら旅して得た見聞録を織り込むことで説得性を高めています。
その構成はホメロスの『イリアス』の影響を受けており、ギリシャ世界と非ギリシャ世界の対立を通して両者の功業やエピソードを伝えるものになっています。長大な原典はヘレニズム時代に9巻に分割され、現代まで伝わる形式に整えられました。
第1巻はペルシアの興隆と滅ぼされたリディア、メディア、バビロニアに関して、第2巻はヘロドトスの訪問記を基にしたエジプトの地誌・歴史、第3巻はカンビュセス王によるエジプト征服とダレイオス王の登場、第4巻はダレイオス王による諸地域への遠征が綴られます。
第5巻にしてようやくイオニアのギリシャ人反乱に端を発するペルシア戦争が始まり、第6巻はペルシアを迎え撃つギリシャ諸都市国家の成り立ちについて、第7巻~第9巻で重要な個々の戦いについて語られ、最終的にギリシャ連合軍がペルシア軍を撃退する結びとなっています。
サラミスの海戦
(ヴィルヘルム・フォン・カウルバッハ, 1868)
紀元前480年9月に勃発したペルシア軍とギリシャ連合軍による一大海戦。詳細は『歴史』第8巻に綴られており、ヘロドトスと由縁あるカリアの女王アルテミシアの活躍も記述されています。丘の上には海戦を見守るペルシア王クセルクセスがおり、下には矢を射るアルテミシア女王の姿が描かれています。
タイトルの「ヒストリアイ」はラテン語でhistoria、英語のhistory(ヒストリー)の語源となり、そのまま歴史を意味する単語となりました。
しかしもともとギリシャ語では調査や探求、尋問といった意味であり、ヘロドトス自身の調査研究をまとめた内容であることが示されています。
コインに関する事象では、リディア王国は「金銀の貨幣を鋳造して使用した最初の人々であり、また最初の小売り商人でもあった。」と記述していることから、リディアは史上初めてコインを発行した国とされました。
リディアのエレクトラム貨
またペルシア支配下のエジプトを訪問し、当時の文化・風俗や、現地で語り継がれていた歴史を記録したことで後世のエジプト学発展にも貢献しました。ナイル川の肥沃さを語った「エジプトはナイルの賜物」という一文は今でも広く知られています。
古代ローマのキケローによって「歴史の父」と称されたヘロドトスは、後世の歴史観に大きな影響を及ぼしました。特にギリシャ、エジプト、ペルシアの古代史を語る上での主要原典として『歴史』は用いられていました。それはヘロドトスが当時を生きた同時代人というだけでなく、実際に各地を旅して見聞を集めた説得力があったからでした。
ただしヘロドトスの『歴史』には当時から批判的な見方もありました。
当時ギリシャ人から野蛮で専制的と見做されていたエジプトやペルシアの文明を称えたことも理由のひとつでした。
また各地で聞き及んだ荒唐無稽な逸話を多く織り交ぜていることから、歴史的事実と民間伝承が混在している点も批判の対象となりました。『歴史』が長く広く読み継がれた要因はこうした多彩な逸話故でもありましたが、原資料や信憑性の欠如、数量や戦いに関する記述の正確性に対する疑問が常につきまとっていました。
当時のヘロドトスは叙述を講演という形で人々に語り聞かせていました。
聴衆が集まるアゴラ(広場)やオリンピア大祭にまで赴き、自らがまとめた成果を発表していたとされています。
その最中では聴衆受けの良さそうな分かりやすい逸話や、下世話で人間味あるエピソードが多く語られたと思われます。『歴史』の記述に本筋からの逸脱や説話のようなエピソードが多いのは、こうした語り聞かせも影響しているように考えられます。
イソップ(アイソポス)が動物の姿を借りて人間の因果を語ったのと同じく、ヘロドトスは古の英雄たちを通して当時の世情を風刺し、聴衆を沸かせていたのかもしれません。
もちろんヘロドトスも聞き集めた話全てを信用していた訳ではなく、明らかに事実とは思えないような内容については「お伽話」と断じ、あくまでそうした話が伝わっているという旨の前置きを入れています。ヘロドトスに様々な逸話を語り聞かせた人々も、聞かせるために面白おかしく誇張していたと考えられ、彼自身それを認識しつつ書き残さずにはいられなかったのでしょう。
ヘロドトスが生涯をかけて著した『歴史』は古の出来事をそのまま記録したものではなく、彼が生きた時代の価値観や風俗、人々の興味関心までもを伝えるものでした。今や彼の残した著作そのものも歴史になりましたが、人の営みに対する知的好奇心が「歴史」の基軸にあることを思い起こさせてくれます。
詳しい内容に興味を持たれた方は、ぜひこの『歴史』を手にとってみてください。古代史だけでなくヘロドトスの飽くなき好奇心も伝える古典の名作、この連休のお供にもぴったりな一冊です。
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