残暑厳しかった9月も終わり、だんだんと涼しくなってまいりました。曇りや雨模様の日もありますが、この時期は爽やかな秋晴れが一番です。
衣替えの時節、気温の変化で風邪をひかないように気を付けたいです。
昨今はイスラエルを中心として中東情勢が緊迫化しています。戦火が広域に拡大すれば被害も相当なものだと思われます。紀元前から文明が栄えた地域である故、21世紀になっても平和とはほど遠いことに虚しさも感じます。
今回はこの地域からローマ皇帝に昇りつめた「フィリップス・アラブス」をご紹介させていただきます。
ローマコイン収集の世界では比較的よく目にする名ではないでしょうか。その治世は5年ほどでしたが、現存するコインが比較的多いため、入手しやすい皇帝でもあるのです。
マルクス・ユリウス・フィリップス
(エルミタージュ美術館収蔵)
フィリップスは204年頃にアラビア属州のシャフバ、現在のシリア南部スワイダー県で生まれたとされています。アラビア属州出身初のローマ皇帝として、そして彼自身もアラブ人の血を受け継いでいたことから「フィリップス・アラブス」の通称で呼ばれています。
現存する肖像は無骨で軍人らしい風格、質実剛健さが際立っており、ローマ帝国社会の気風の変化が見受けられます。
軍人となったフィリップスは皇帝ゴルディアヌス3世(在位:AD238-AD244)の下で急速に頭角を現し、皇帝の親衛隊長にまで出世しました。すでにセウェルス朝を経てローマ帝国中枢では東方属州の出身者が多く活躍しており、そうした時流も彼の出世を後押ししました。
ペルシア遠征で皇帝に付き従ったフィリップスは、兵糧不足と作戦失敗によって兵士たちの不満が高まっていることを察知し、ゴルディアヌス3世に対して反旗を翻す動きを見せ始めました。最前線で皇帝の支持が失われ、軍隊の推挙によって新たな皇帝が立つ前例はマクシミヌス・トラクス帝(在位:AD235-AD238)によって作られていました。
244年2月、ゴルディアヌス3世はユーフラテス河畔のキルケシウム兵営に集まった兵士たちに対し、自分とフィリップスどちらに従うかを問いました。兵士たちは同じ一兵卒出身のフィリップスを選び、歓呼の声によって新たな皇帝として推戴されました。
フィリップスは自身が仕え、さらにまだ19歳だったゴルディアヌスの処遇について逡巡するも、彼を生かしておくことは自身の政権にとって危険と判断し、処刑するよう命じたようです。
フィリップスはペルシアのシャープール王と和議を結び、軍を率いてメソポタミアから引き上げました。
その間にローマの元老院と各属州に対し、ゴルディアヌス3世は病没したため自身がその後継になったと連絡。皇帝即位の追認を得たフィリップスはドナウ河方面に転戦し、国境を脅かすカルピ族やゴート族との戦いに集中しました。
シリア属州で発行されたテトラドラクマ銀貨
(AD246, アンティオキア市)
皇帝になったフィリップスは生まれ故郷に巨大な劇場や神殿、浴場、凱旋門を建設し、ローマ風の植民都市に改造。都市名も「フィリッポポリス(*フィリップス市)」に改称されました。フィリップスの皇帝治世を通じて開発は進み、東方における最も新しいローマ植民都市として整備されました。
フィリッポポリスの劇場遺跡
(Wikipediaより)
247年になってようやくローマへ凱旋したフィリップスは、ローマ市民の支持を集めるためには盛大壮麗な国家行事が必要と考えました。そこでロムルスが新都市ローマを建国してからちょうど千年の節目にあたることを祝し「ローマ建国千年祭」を挙行しました。
もともと先帝ゴルディアヌス3世のペルシア遠征に際して凱旋式典が計画されており、これを転用・拡充して挙行にこぎつけたと云われています。
248年4月21日~23日の間、三日三晩にわたる供犠祭事がローマのテベレ河畔で行われました。マルスの野では音楽や合唱、踊りが繰り広げられ、ローマの神々に対する感謝が捧げられました。
フィリップス帝をはじめ、皇妃オタキラ・セウェラと幼い息子のフィリップス2世(*即位に際して副帝に任じられ、247年には共同統治帝に昇格)を筆頭に、多くの元老院議員や貴族、騎士階級など首都ローマの貴統が参列。多数の市民もその豪華絢爛さに酔いしれ、ローマの歴史の長さと栄光を祝福しました。
さらに帝国各地から集められたライオンやゾウ、カバ、ヘラジカ、キリン、ダチョウといった珍獣猛獣たちがコロッセオに登場し、1000人以上の剣闘士が参加する大試合が連日繰り広げられました。
この建国千年祭に際しては記念コインも発行され、皇帝一家の肖像と共に、コロッセオに集められた猛獣たちが表現されています。このコインはシリーズ化されており、現在でもローマコイン収集のテーマとして人気があります。
フィリップス・アラブス帝 アントニニアヌス銀貨
248年のローマ建国千年祭を記念して発行されたシリーズのひとつ。ローマ建国神話の重要な場面、幼いロムルスとレムス兄弟に授乳する雌狼が表現されています。
このシリーズは共通して「SAECVLARES AVGG (*千年祭の皇帝たち=フィリップス親子)」銘が配され、デザインごとに「I」「II」「III」といった番号が振られています。
フィリップス・アラブス帝 アントニニアヌス銀貨 ライオン
フィリップス・アラブス帝 アントニニアヌス銀貨 牡鹿
フィリップス2世 アントニニアヌス銀貨 エルク(ヘラジカ)
オタキラ・セウェラ妃 アントニニアヌス銀貨 カバ
エジプトのナイル川から連れてこられたカバのコイン。カバを表現したローマコインは珍しく、建国千年祭シリーズの中でも特に人気のある一種。
フィリップス帝はさらにローマ西部区域の慢性的な水不足を解消するため貯水池を建設したり、長く続いていたキリスト教徒迫害を緩和するなど、有能な施政者であることも示しました。
しかしドナウ川方面の情勢は相変わらず不安定であり、また自身の出身地である東方地域でも反乱の兆しが現れ始めていました。
エジプトでの蜂起によってローマへの小麦供給が途絶え、深刻な食糧不足が発生。さらに軍事支出、建国千年祭催行による支出増大によって財政は悪化し、アントニニアヌス銀貨の品位を引き下げたためインフレーションが進行しました。
特にアントニニアヌス銀貨(*2デナリウスの価値に相当)の製造数は増大し、現代でも現存数の多さから市場で盛んに取引されています。
経済状況の悪循環により、当初は歓呼の声でフィリップス帝を迎えた軍隊と市民も不満を募らせ、その政権基盤は急速に弱まっていきました。
249年、ドナウ川方面の指揮を任されていたデキウスが軍隊内で皇帝に推戴され、公然とフィリップス帝に叛旗を翻しました。
フィリップス帝はローマに進軍する反乱軍を迎え撃つため軍を率いて北上し、9月に現在のヴェローナ近郊でデキウスの軍勢と対決しました。しかし勢いは既に反乱軍有利であり、戦いの末に皇帝軍は敗北を喫しました。
フィリップス帝は戦闘に伴う傷が原因か、または見限った兵士による裏切りによって命を落としました。皮肉にも自らが裏切り、帝位を奪ったゴルディアヌス3世とよく似た最期を遂げたのです。
「混迷の世紀」と呼ばれた3世紀ローマ帝国にあって、フィリップス・アラブスは典型的な軍人皇帝の一人と評価されています。
属州の異民族出身で元老院の官職を経験しない、ローマの伝統から見れば新参の人物が、軍隊内の支持と武力によって政権を獲得し、また短期間で奪われたのです。
彼の治世は5年ほどでしたが、その間に国境の脅威に対応し、ローマ本国では建国千年祭を催行するなど、明確な業績も残しています。またアラビアにルーツを持つ人物が皇帝になったことは、ローマ社会の多民族化が浸透した証でもありました。
フィリップス・アラブスの出身地であるシリアでは、同国出身のローマ皇帝として英雄視されており、現在でも紙幣のデザインに採用されています。
シリア 1998年 100ポンド紙幣
シリア 2019年 100ポンド紙幣
中央銀行と共にフィリップス・アラブス帝のアントニニアヌス銀貨が表現されています。
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