彼の後を継いだ養子オクタビアヌスは、カエサルと同様にクレオパトラと手を組むアントニウスを政争の果て戦死させ、前27年に「アウグストゥス(尊厳者)」の称号を手にし、ローマの初代皇帝となります。ローマは共和政治の原理を持つ帝国となったのです。アウグストゥスは優れた政治力でその基礎を固めますが、病弱で後継ぎがなく、妻と先夫の間に生まれた子、ティベリウスに帝位を譲り他界します。その後、暴君ネロが自殺する(68年)まで、このユリウス=ティベリウス朝が続き、表面上は「ローマの平和」が保たれます。
しかし、宮廷の中には陰謀が渦を巻いていました。ティベリウス帝の後はクラウディウス帝が継ぎますが、妃アグリッピナに毒殺され、アグリッピナはその子ネロによって暗殺されます。この暴君ネロは浪費を重ね、財政は逼迫し、ついにクーデターによって帝位を追われ自害します(68年)。代わりに、反乱を指揮した属州の総監ガルバが帝位につきますが、この反乱をきっかけに権力闘争が内戦に発展しウェスパシアヌス帝によって収拾されるまで続きました。
そしてその息子も執政によって暗殺されるに至って、元老院はそれまでの世襲制を廃し、ネルヴァ帝(在位96年~)を選出し、その後は「五賢帝」と呼ばれる優れた皇帝たちが選挙によって続きローマ帝国は最盛期を迎えました。
コメント