その後はいわゆる軍人皇帝による内戦が恒常化し(190年頃から)、軍事費の増加が財政を圧迫する状態が続きました。3世紀になると軍人皇帝が乱立し、東方よりササン朝ペルシャ、北方からゲルマン人が侵攻し帝国は危機に瀕します。ついにディオクレティアヌス帝によって帝国は東西に分割され東の皇帝が専制君主として君臨し、共和政治は幕を閉じました。
しかし次の帝位を争って再び内戦が始まり、キリスト教を公認したことで知られるコンスタンティヌス帝がその座を獲得します。専制君主制は一応進展し、首都をコンスタンティノープルに遷都し、キリスト教を国教とするなど変化しながらもローマ帝国は統一されることなくゲルマン民族の大移動にさらわれてしまいます。
476年、西ローマ帝国はゲルマン人によって帝位を廃され、滅亡します。東ローマ帝国は、かつての首都こそ西ゴート人によって占領されてしまいますが、ゲルマン人を遠ざけることに成功しやがてビザンティン帝国の礎となります。
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