3月12日から神戸にて、古代ギリシヤ展が行われています。ギリシヤ展に伴ってフジタクブログでは、今週からギリシヤ文化の歩みについて連載していきます。お越しの際に予備知識としておさえていただくと、より一層楽しめるかもしれません!古代ギリシヤ文化の美への歩みをぜひご一読ください。
“西洋文化のあけぼの”
”アール・クラシック”はクラシック美術のことで、古代ギリシャ・ローマ美術の総称です。その躍動感にあふれ均整のとれた美の極致は、ルネサンス以降、19世紀までの西洋文化・美術の根幹を成し、これからも人類が存続する限り、そのエスプリ(精神)は永遠に受け継がれていくこととなるでしょう。
紀元前3000年以降に始まり1100年まで続いたエーゲ文明は、後のギリシヤ文明の母胎となった文明で、前期と後期に分けられます。前期はクレタ島が中心だったので、「クレタ文明」或いはクノッソス王ミノスの名にちなみ「ミノス文明」と呼ばれ、その最盛期は前1600~1400年頃まででした。後期は、ギリシヤ本土のミケーネが中心だったので「ミケーネ文明」と呼ばれ、前1600年頃~1100年頃まで続いたとみられます。
ミケーネ文明の滅亡と共にギリシヤの地は一時、文化的に未開の状態に戻ります。しかし、その後の積極的なポリス建設と他の文明との接触により、やがて人類史上画期的な文明を開花させることになります。新たな文明であるギリシヤ文明は、「ポリス」によって育まれた新しい種類の文明でした。「ポリス」とは「都市国家」と訳され、城壁をめぐらした都市を中心に周囲の農村地帯を含む自治独立の都市国家のことを言います。ポリスはミケーネ文明の時代では、文字通り”小さな国家”でしたが、ドーリヤ人の侵入など時代の変遷と共に、王制が否定され、英雄たちの出現と共に民主的なものになっていきました。
この民主制への変遷の背景には、ギリシヤ神話のある考え方がありました。ギリシヤ神話において、偉大な人というのは神と異なった存在ではなかったのです。つまり、神は人間に近い存在で、英雄は神に近い存在だったということです。そして、すべての創造物は王のものではなく、神のものであり、ポリスの為に働くことが自分自身と神のために働くことになると考えられていたのです。この点がエジプト文明や、メソポタミヤ文明と決定的に異なる点でした。
また、自分自身の為に考えるというギリシヤの自由と個人主義の精神は、やがて知的革命を生むことになりました。ギリシヤ人は思索を積極的にしましたが、空想をすることは決してありません。それ故、今日でも理解可能な科学や哲学を生み出しました。特に劇や、哲学的対話や、神殿、彫刻などはいずれも規則正しく明快なものばかりです。
小アジア、イオニアで発展の兆しをみせたギリシヤ文明はやがてギリシヤ本土へと逆輸入され、花開くことになります。ギリシヤ文化・美術の流れは大きく分けて3期に分類されます。
1.アルカイック期 紀元前750年頃~480年前後
2.クラシック期 紀元前480年頃~336年
3.ヘレニズム期 紀元前336年~27年
はじめにアルカイック期に関してですが、「アルカイック」とは「太古」を意味するアルカィオスからでた言葉で、ドーリヤ人侵入以降の暗黒時代が終わり、ようやくギリシヤ固有の彫像や神殿が造られ始めた頃から、サラミス海戦の勝利によってペルシャ戦争がひとまず終結するまでの時代を指します。エジプト・メソポタミヤからの影響を背景としておりますが、明らかにギリシヤ的独創性を有するようになった時代と言えるでしょう。政治的には、ポリスを中心とした定住が進み、「ヘラス」(ギリシヤ人が呼んだギリシヤ人全体を指す国家概念)の形成期から完成期にあたります。つまり、大きく広がった諸ポリスが、同一とまではいかないまでも共有の価値観で結びついた時代でした。美術的には後の時代に比べると力強いのですが、反面、重苦しく、動きが少なく優美さを欠いていました。そのため、「古拙」「若々しい」と評価されます。この背景としては、まだ人体の動き、自然の摂理など科学的な法則に基づかなかったことだと考えられます。特に彫像の多くは、口元に微笑みをたたえたように表現されていることから“アルカイック・スマイル”と呼ばれています。
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