先日、台東区で開かれた西洋美術史【古代ギリシャ美術入門】「古代ギリシャ展」関連講座が開かれましたので参加してきました。
講師は斉藤 陽一先生で美術研究家の方でした。素晴らしい内容に感動でした。判りやすい講座内容で参加者の方たちも大満足されていました。ざっくばらんな語り口で、冗談から入られてまずは参加者の心をぐっと掴み、一気にギリシャ美術の魅力に取り付かれた次第です。
古代ギリシャ美術入門
1) エーゲ海文明
① キュラデス文明
キュクラデス諸島に生まれた美術で、いわゆる「ギリシャ文明」の開花よりはるか古い青銅器時代、エーゲ海に独特の文明が誕生した。 そこで作られた石偶(女性大理石像)は、ギリシャ彫刻の源流である。年代はBC3000年~2000年頃。
② クレタ文明
紀元前20世紀頃、地中海の交通の要衡にあったクレタ島に「先ギリシャ文明」が根を下ろし、ミノス王朝のしたで最盛期を迎えた。
2) ミュケナイ文明
紀元前2000年頃、ドナウ河流域などの穂区報から、インド・アーリア系人種がギリシャ本土に移住、やがて前17世紀頃にはクレタ文明を摂取しつつ、独自の「ミュケナイ文明」興す。このミュケナイ人こそ「ギリシゃ文明」の直接の祖先。
① 「暗黒時代」 幾何学様式の壷
紀元12世紀頃、相次ぐ都市国家同士の戦乱の結果、ミュケナイ文明は衰退。同じ頃、穂区報からインド・アーリア系のドーリア人がギリシャ各地に侵入。その際に徹底的な破壊をもたらし、ギリシャを文化的に不毛の地とした。ドーリア人の侵入から前800年頃までを「ギリシャの暗黒時代」と呼ぶ。ドーリア人は、先住のミュケナイ人などと同系人種で、いわば新たにやってきたギリシャ人。追われた先住ギリシャ人は、島々や小アジア(イオニア地方)に移住。紀元前9世紀から8世紀に掛けて、不毛の中から新しいギリシャ美術が芽生える。
② アルカイック時代
紀元前7世紀頃から、ギリシャ美術は 「アルカイック時代」に入る。この時期に作られた女性着衣像は「コーレ」と呼ばれ、青年裸像は「クーロス」と呼ばれる。この時代の美の理想を、男性の裸像で表現し、女性は着衣姿で表現していた。アルカイック時代の彫像の多くは、口元に「アルカイック・スマイル」というかすかな微笑を浮かべ、独特な味わいを持つ。
アルカイック彫刻が花開いた紀元前6世紀は又、ギリシャ陶器が著しい進展を見せた時代。まず「黒絵式」陶器が登場し、ついで「赤絵式」陶器が生み出される。
③ クラシック時代
紀元前5世紀初め、ギリシャ本土への侵略を企てたペルシャ軍(ダリウス1世)をアテネを中心とした都市国家(ポリス)連合軍が撃退した。これを器に、勢力を拡大したアテネは黄金時代を迎える。あたらしい時代の精神がギリシャにみなぎり、さまざまな文化が花開いた。芸術の分野では、ギリシャ芸術の最盛期である「クラシック時代」に入る。
1)、初期の「厳格様式」の彫刻
2)、アテネ・パルテノンとギリシャ彫刻の黄金時代
ペルシャ戦争後、アテネの政権を握ったペリクレスは、彫刻家フィディアスを総監督に任命して、パルテノン神殿を完成させた。その建築そのものの美しさと飾られた彫刻の見事さは「ギリシャ美の頂点」と言われた。
彫刻も又黄金時代を迎える。フィディアスに続く、ポリュクレイトス、プラクシテレスなどの多くの彫刻家が輩出した。残念なことに、その原作の多くは消失してしまい、現在はローマ時代に模刻されたいわゆる「ローマン・コピー」で原作をしのぶしかない。
④ ヘレニズム時代
紀元前4世紀半ば、ギリシャ保区報のマケドニア王国のフィリッポス2世はギリシャを制圧、その後を継いだアレクサンドロス大王は、さらにペルシャ帝国を滅ぼし、エジプト、インド国境近くまでもその支配下に置いた。これによって、ギリシャ文明が広大な範囲に伝播し、オリエントやエジプトの伝統とも融合する「ヘレニズム時代」を迎える。
ギリシャ彫刻の多くは、現在ではその原作が失われ、ローマン・コピーでしか見る事が出来ない中で「ヘレニズム時代」の貴重なオリジナル作品2点を紹介。
この後、ローマ共和国~ローマ帝国時代まで、ギリシャ文明は継承されて色々な芸術品が生み出されましたが、BC3世紀には、キリスト教文化の出現により中世は一神教キリストのイコン一色となり、13世紀のルネッサンス(古代古典の再生)まで待たなければ芸術の広がりは無かった。
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