こんばんは!
今週も前回に引き続き「ギリシャ史概論と貨幣の発展」について書いていきたいと思います。
ギリシャ史概論と貨幣の発展③
アテネによるエーゲ海世界支配は、前5世紀末に終わった。アテネの造幣所は、ラウリオン鉱山の銀で前449年から大量のテトラドラクマ貨を造った。その大部分は、パルテノン神殿のような荘厳な建物を市内に建てるために使われたが、前431年以降は増産されたほぼ全額が戦費にまわされた。
アテネとスパルタという宿敵同士によるベロポネソス戦争は、ボイオティア市のプラタイアで起こった事件がその発端となった。この戦争は、27年間にわたって断続的に続いた。前404年にアテネは降伏し、経済的にも政治的にも大打撃を受けた。アテネは、前3世紀後半にこの大敗からの復興を遂げたが、ベリクレスの時代のような優位な地位を得ることはできなかった。アテネの地位はスパルタに移った。しかし、スパルタ人はあまりにも閉鎖性が強く、ギリシャ都市国家のリーダーとしての地位を維持していくことはできなかった。
前4世紀前半は戦争の続く時代だったが、政治の混乱にもかかわらず、ギリシャコインで最も美しいとされるコインのいくつかがこの頃に造られた。古典技術は、絶頂期を迎え、そして衰退へと向かっていった。
この頃は、西方でも紛争の続く時代だった。前5世紀の終わりに、カルタゴ人がシシリーの多くのギリシャ都市を攻撃した。シラクサの強力な支配者ディオニュソスが、ギリシャとカルタゴで島を分割することになった、なかなか決着のつかない長い戦いを指揮した。ディオニュソスは、南イタリアにおけるシラクサの影響力を拡大するために積極的な政策をとった。
二つの勢力がギリシャ世界に台頭しつつあった。北方では、聡明な若き支配者フィリップ2世が統治するマケドニア王国が現れた。フィリップ2世と息子のアレキサンダー大王は、30年もしないうちに古代社会の政治を一変させてしまう。
西方ではもう一つの勢力が頭をもたげ始めていた。その勢力は、やがて地中海世界全部を掌握しギリシャを二流の地位へと押しやってしまう。それはローマ帝国である。
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資料:『Greek Coins and Their Value』
Seaby社刊/David R Sear著/SPINK社発行
コインペンダント専門店 『World Coin Gallery』
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