こんばんは!
今週で第6回目です。お楽しみくださいませ!
今週で「ギリシャ史概論と貨幣の発展」を終えます。
ギリシャ史概論と貨幣の発展⑥
古代ギリシャが終焉する頃のコインは、変化に富んでいて興味深いものではあるが、芸術性には欠けるものが多い。マケドニア王国・ベルガモン・シリア・エジプトの各王国は、かなりの量のコインを生産した。そのほとんどが、アレキサンダー大王とその後継者が創ったパターンを踏襲した銀のテトラドラクマであった。これと並んで、貿易と防衛のため結束していた諸都市が独自に発行したコインがますます多くなっていった。後期マケドニア王国のテトラドラクマの特徴である、大きな平べったいコイン盤は、新たに自由を得た多くの都市国家のコイン盤の基準となった。
アテネは、大きな、手の込んだ新しいスタイルのコインを造った。一方、キュジコス・ランプサコス・カウノス・コロフォン・ヘラクレイア・マグネシア・スミルナなど広範な小アジアの造幣所は、大きくて印象的なテトラドラクマを生産した。また、様々な連合体や同盟のコインの中で特筆すべきは、北のテッサリアの見事な2種類のピクトリァティ銀貨と、20ヶ所以上もの造幣所で莫大な量が生産されたペロポネソスのアカイア同盟の小さなヘミドラクマである。
ローマは、次第にギリシャや東地中海世界への圧迫を強めていった。その結果、ギリシャコインの最後の盛り上がりとしぼんでしまった。そして最終的には、ほとんどのギリシャの都市が銀のコインの発行を禁じられ、一斉にコイン生産を辞めてしまった。
しかし、ローマ帝国のもとで、東方、特に小アジア地方の多くの造幣所でギリシャコインの生産が復活された。この帝国版ギリシャコインは、ローマ帝国が政治的・経済的な終焉を迎える3世紀まで造られ続けた。ほとんどの帝国版ギリシャコインには、その表面に皇帝の肖像が描かれ、裏面には知事やその地方の首長の名前を記したり、その地方の競技会や祭りなどの出来事、土地の建築物や彫像が描かれたのが特徴である。
ローマ帝国の東方の属州について、多くの詳しい情報を提供してくれる最後のギリシャコインについてはここでは取り扱わない。年代的にローマ時代に属するそれらのギリシャコインについては、別の機会に触れることにしたい。
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資料:『Greek Coins and Their Value』
Seaby社刊/David R Sear著/SPINK社発行
コインペンダント専門店 『World Coin Gallery』
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