こんにちは。
いよいよ9月になりましたね。
まだまだ暑い日は続いていますが、少しずつ秋らしくなっているように感じます。
今年も既に3分の2が終わりましたが、今後も引き続き頑張っていきましょう。
さて、今回は、「ギリシャコインの世界」第14回目です。
先週までは「ギリシャコインの重さと貨幣単位」をご紹介してきました。
今週は「ギリシャコインの年代」に関する記事をお届けします。
それでは、よろしくお願い致します。
ギリシャコインの年代
紀元前2世紀の後半まで、ほとんどのギリシャコインには発行年が印されていなかった。
この習慣を始めたのは、シリアやエジプトなどのヘレニズム王国である。セレウコス王国では、セレウコス1世がバビロンを取り返した紀元前312年を紀元とする発行年をコインに印した。
セレウコス1世
(在位:紀元前305年~紀元前281年)
バビロンを奪還した紀元前312年に発行が開始された銀貨。
裏面に発行年が印されている。
一方、プトレマイオス朝では、即位紀元だけを示すという不十分な方法を使っていた。エジプトのギリシャ王の誰もが“プトレマイ”という名であったので、コインに印されている発行年は、プトレマイオスシリーズの正確な年表を作る際にあまり役に立たない。また、これらの王朝の後期コインの多くには発行年がなく、この習慣は少数の自治国家の造幣所にしか広まっていなかった。
ギリシャコインの研究者は、正確な発行年を確定しようとする場合、型や素材のような他の判断基準を用いなければならない。
ギリシャコインは、ローマ帝国成立以前の6世紀間にわたり造り続けられたが、その年代は芸術様式と生産方法で大きく3つの時期に分けられる。
①アルカイック期
アッティカ アテネ テトラドラクマ貨
(紀元前454~紀元前404年)
表面にはアテナ神、裏面にはフクロウが描かれている。
アルカイック期(コインの創成期から紀元前479年のペルシャ帝国の滅亡まで)の人体表現は不自然である。 横顔の肖像では、目が顔いっぱいに大きく描かれ、横向きの全身像では、頭と足は横向きで、胴体は正面を向いているように描く傾向があった。
同様に、飛んでいる鳥の場合でも、体は横向きで翼はまるで下から見上げたように描かれている。
後の時代の芸術的繊細さや彫刻的な質の高さはないが、初期の彫刻家が作り出した多くの作品は、私たちの目を十分に楽しませてくれる。
さらに、それらが文明史の中で最も興味をそそられる時代のものであることも私たちの心をひきつける。そもそも、コインには裏模様がなく、刻印を打ち込んでできた跡があるだけだった。後の古典時代になると、この四角い窪みは目立たなくなり、さらに紀元前6世紀近くになると、初めて裏面に彫刻が見られるようになった。
エイギナ スターテル貨 (紀元前456年~紀元前431年)
表面には「亀」、裏面には四角い「窪み」が刻印されている。
しかし、エイギナの造幣所のように、最後まで裏面の四角い窪みをなくさなかったところもある。(上、写真参照。) エイギナの初期コインは、厚くてほとんど球体であったが、次第に薄く伸ばされて造られるようになった。逆に西方では、薄く伸ばされていたものが次第に丸くなった場合が多い。面白いことに、マグナグラエシアン造幣所のコインは、形状は旧型で表の刻印が裏面に写っている。
②古典時代
シシリー テトラドラクマ貨(紀元前414年~紀元前413年)
紀元前479年~紀元前336年のペルシャ戦争から、アレキサンダー大王の治世に至るまでの時代は、ギリシャコインの古典時代とされている。その最初の数十年間に、アルカイック時代の不自然な描写から写実的な描写へと著しい進歩があった。
紀元前5世紀後半のシシリーの貨幣は、気品にあふれた芸術作品といえるものであり、多くのコインが写実的肖像画の傑作となっている。それから24世紀が経過したが、これらに匹敵するものは造られていない。
これらシシリーのコインは、紀元前5世紀末のカルタゴ人の侵略によって中断されてしまった。ギリシャの他の地方の造幣所でも、すばらしいコインが造り出された。そして、マケドニアによるギリシャ支配が始まるまで発行は続けられた。
ギリシャ世界は、ペロポネソス戦争の政治的騒乱をものともしなかった。
③ヘレニズム時代
マケドニア テトラドラクマ貨(紀元前310年)
表面には、ライオンの皮を頭に被ったアレキサンダー大王が描かれている。
アレキサンダー大王の東方遠征と、大王国の建設は、造幣鋳造に大きな変化をもたらした。エジプトのクレオパトラの自殺(紀元前30年)まで3世紀間続いたヘレニズム時代に、ペリクレス時代のアテネが発行した“ふくろう”のコインを例外とすれば、ギリシャコインの大量生産が初めて行われた。ヘレニズムの専制君主達が統治していた巨大な王国が、都市国家時代には想像もつかなかったほどの大量の貨幣を必要としていたのである。
経験豊富な彫刻家達は、過酷な労働を強いられ、彼らが優れた作品を作ることは期待できなかった。そして、コインの芸術的水準は、時が経つにつれて確実に衰退していった。ローマの東方遠征によって多くの都市が王政支配から解放された紀元前2世紀に、一時的な復興があったが、後期ヘレニズムコインについての一般的な印象は、芸術的な価値に乏しく、急いでぞんざいに造られているというものである。
アントニウスとクレオパトラ
(サー・ローレンス・アルマ=タデマ 画 1883年)
前述の解説で、アルカイック・古典期・ヘレニズムそれぞれの主な時期の最も重要な特徴を明らかにしようとした。個々の貨幣を造った造幣所の歴史を詳しく研究することで、貨幣のより正確な日付に辿り着く貴重な手掛かりを、ときには得ることができる。
多くのギリシャ都市国家は隣国や、外国からの侵攻によって破壊され、後になって復興されたが再び壊滅させられたこともあった。
都市の名前は、一度ならず二度も変わったこともある。「シバリス」というイタリアの都市は紀元前425年に「ツリオリ」と名を変え、紀元前194年にはローマ人によって「コピア」と変更された。
このような出来事は、都市のコインの年代順の枠組み作りを可能にしてくれる。大多数の造幣所が断続的にしか操業していなかったので、特別な発行の理由を正確に決定することがときにはできるであろう。このような情報は、近接する他の造幣所の貨幣の年代を推定するのにも利用できる。
そして、大きなジグソーパズルのように徐々にできあがっていくギリシャコインの年表については、まだまだ知っておかなければならないことが多い。私たちの見解は、秘蔵物(コレクターが密かに持っているコイン)が提供してくれる証拠に照らし合わせて、時々修正される必要がある。
この簡単な概説で、読者にギリシャコインの年代決定の難しさを知ってもらい、さらに難解で異論の多い課題が与えてくれる魅力ややりがいについてのいくらかでも伝えられたらと思う。
下記の表は、ギリシャ文字の数字を説明している。紀元前2世紀~1世紀のいくつかのコインには、この数字で日付が表されている。
1:A 9:Θ 80:Π
2:B 10:I 90:φ
3:Γ 20:K 100:P
4:Δ 30:Λ 200:Σ
5:ε 40:M 300:T
6:ζ 50:N 400:Y
7:Z 60:Ξ 500:Φ
8:H 70:O 600:X
今週はここまでとなります。
ここまで御読み下さり、誠にありがとうございます。
次回からは、「地域別にみる古代ギリシャコインの特徴」をご紹介します。
お楽しみに!
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資料:『Greek Coins and Their Value』
Seaby社刊/David R Sear著/SPINK社発行
コインペンダント専門店 『World Coin Gallery』
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