こんにちは。久々の更新です。
3月に入ってもなお寒い日が続いています。暖かい春の陽気が待ち遠しい限りです・・・。
ところで、本日3月15日は、古代ローマの歴史上最も有名な英雄ユリウス・カエサルが暗殺された日です。
ガイウス・ユリウス・カエサル(BC100年~BC44年)は古代ローマ共和政時代の末期、ガリアでの武功や行政面での諸改革など、ローマの国家体制を左右するほどの影響力を持った人物でした。
尚、今年2月29日は「閏年」であり、この4年に一度の暦上の調整も、カエサルによって制定されたものです。
気前がよく、既存の考え方に囚われないカエサルの姿勢は民衆の心を巧みに掴み、当時から「英雄」として讃えられました。
しかし一方で、絶大な影響力を集中させたカエサルを「独裁者」と見る勢力も多く、ついにBC44年3月15日、カエサルはブルートゥスやカッシウスら過激な共和主義者たちによって刺殺されました。
その劇的な最期は永く語り継がれ、「紀元前44年3月15日」は世界史において特に有名な日付けの一つになったほどです。
その前日、カエサルの妻カルプルニアが悪夢を見たため、夫に元老院への出席を止めるように忠告したと云われています。また伝承によれば、以前に占い師によって「3月15日に気をつけよ」と忠告されていたともいわれます。
妻の忠告にも関わらず、カエサルは3月15日に元老院へ出席することになります。元老院議場へ赴く途中、その占い師に会ったカエサルが「3月15日になったぞ」とからかうと、占い師は「そうですカエサル、しかしまだ終わってはいません」と応えたとされます。
カエサルの最期
(作:ヴィンチェンツォ・カムッチーニ)
ブルートゥスをはじめ多数の共犯者たちによって計画されたカエサル暗殺は、議場で全身をメッタ刺しするという劇的な方法で成し遂げられました。このとき、襲い掛かる暗殺者達の中に、信頼していたブルートゥスがいることに気づいたカエサルは、「Et tu, Brute! (お前もか、ブルートゥス!)」と叫んだとされ、これがローマの大英雄の最期の言葉になったと云われています。
この顛末は劇作家ウィリアム・シェイクスピアの作品『ジュリアス・シーザー』に描かれ、世界的に有名になりました。特に「お前もか、ブルートゥス」のセリフは名台詞として、言われたブルートゥスの名と共に有名になったのです。
尚、古代ローマ時代の文献では、ギリシャ語で「Kai su teknon (お前もか息子よ)」と叫んだと書かれているため、実際にカエサルがなんと言ってその激動の人生を終えたのかは、今となっては知ることが出来ません。
血にまみれたカエサルの遺骸は暗殺者が去った後、三人の奴隷によって議場から運び出され、妻の待つ自宅へ帰還したということです。
カエサルの死
こうして、ローマの紀元前44年3月15日は過ぎていきました。その後、重要なキーパーソンを失ったローマでは、政治的な変動が生じてゆくことになります。ブルートゥスやカッシウス、マルクス・アントニウス、オクタヴィアヌス、エジプトのクレオパトラなどの間で権力闘争が起こり、やがて歴史上の重要な区分として、古代ローマの共和政時代が終わりを迎えることになるのです。
古代ローマでは死者を土葬するよりも、日本と同じように火葬するのが一般的でした。国家をあげてカエサルが火葬される際には多くのローマ市民が集まり、偉大な英雄の死を悼みました。その後、ローマ市内には雨が降ったため、カエサルの遺灰は雨水と共に流れ去ってしまったとされます。
自らの遺灰すら残せなかったカエサルですが、彼の業績や遺産は様々な形で後世に引き継がれ、現在に残されています。コインもまたその一つです。カエサルは暗殺される直前のBC44年1月から、自らの肖像を刻んだコインを発行し始めました。その姿は大神祇官としてヴェールを被ったものや、英雄らしく月桂冠を被ったものなど様々です。
BC44年の1月~2月にかけて造られたデナリウス銀貨
表面には月桂冠を戴くユリウス・カエサル、裏面にはヴィクトリー女神を手に乗せる美女神ヴィーナスの立像が表現されています。
カエサルの肖像左側には、三日月を間に挟んだ「P M」の銘が刻まれています。これは当時カエサルが有していた「大神祇官(Pontifex Maximus)」の尊称号を略したものであり、カエサルの権威を象徴しています。右側には「CAESAR IM (カエサル最高司令官)」の銘が刻まれています。
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しかし共和政時代のローマでは、王や専制政治を嫌う風潮から、生存中の人物をコインに刻むことをよしとしませんでした。とりわけカエサルの伸張に危機感を募らせていた人々は、「いよいよカエサルが独裁者として、ローマの王になろうとしている」と捉えたことでしょう。
カエサルが自身を刻ませたコインもまた、彼自身を滅ぼし、歴史を動かした媒体になったのかもしれません。
その後、カエサルの跡を引き継いだマルクス・アントニウスやオクタヴィアヌスは、カエサルに倣って自らの姿をコインに刻ませ、市民生活の中に溶け込ませました。自らの存在を市中の必需品に刻むことで、常に自らが国家と社会の中心であることを示したのです。
カエサルは大衆の支持こそ、権力の強力な基盤になりうることを理解していました。その為、自らの姿をコインに刻ませたのです。なぜなら、工場や大量生産の技術など存在しない古代ローマ時代にあって、コインのみが誰もが持っている「複製品」だったからです。
この慣習は後にローマ帝国の歴代皇帝たちにも継承され、広大で多様な帝国の各地に、同一人物の肖像を刻んだコインが流通することになりました。その様式はカエサルが始めたものと同じものであり、表面には自らの肖像+名前+称号を刻ませ、裏面には所縁深い神の全身像を刻ませました。
ちなみに「CAESAR」という名前はオクタヴィアヌス(アウグストゥス帝)以降、皇帝(=アウグストゥス)の後継者を表す称号とされ、副帝を示す称号として用いられました。コイン上に「C」「CAES」などの称号だけが刻まれている場合は副帝を、「CAES」「AVG」というように二つとも刻まれている場合は、正式な皇帝を表します。
3世紀の軍人皇帝時代、闘争によって取りあえず帝位に上った皇帝達がまず最初にやったことは、軍の支持を取り付けるためにボーナスを支給すること、そしてそのためにも、自らの肖像を刻んだコインを作らせることでした。
これは軍の支持を得るために一時金を支給するだけでなく、一般の民衆に「現在は自分が正式なローマ皇帝である」ことを知らしめる目的がありました。その為、在位期間が3週間にも満たない短命皇帝や、地方で帝位を宣言した自称皇帝などのコインも、少なからず残されているのです。
在位期間があまりにも短いと、コインを造るように命令して刻印彫刻、試作、生産の開始などの工程を経る間に、実際にコインが出来上がった頃には皇帝本人が殺されていた、なんてこともありそうです。
AD238年 プピエヌス帝のアントニニアヌス銀貨 (在位期間:約3ヶ月)
裏面の握手図は、皇帝と軍団との友好の証とされています。
尚、肖像の周囲部に名前と尊称を共に刻むという慣習は、イギリスやスウェーデン、デンマークをはじめとするヨーロッパの君主国に採用され、現在も世界中のコインに引き継がれています。
カエサルは現代のコインの世界にも、実に大きな影響を与えているのです。
2000年前に凶刃に倒れた英雄カエサルを偲び、彼の発行した古代ローマコインを眺めながら、3月15日を過ごしたいと思います・・・
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