こんにちは。
9月も終わり、だんだんと秋らしい空気になっていますね。
10月1日から消費税が8%→10%に値上げされ、今後の消費傾向も気になりますが、古代コイン市場の動きも少しずつ変化しています。
昨年~今年にかけて、海外のコインオークションをみると値上がりがますます大きくなっているように感じられます。
それ以前の問題として、状態の良いもの、ありふれた種類のコインの出物自体が減少し、結果として相場に反映されている印象です。
オークションでなかなか落札・入手することができず、入荷数の減少が最近の悩みですが、古代のコインは現存していること自体貴重であり、数に限りがあるものなので、納得できる傾向でもあります。
どこかの遺跡から大量にコインが出土し、市場に供給されれば別ですが、
今の時代はそれも難しそうです・・・。
さて、今回は古代ギリシャを代表するコインのひとつ、古代都市キュメで発行された女戦士 アマゾネスのコインをご紹介します。
このコインも、大型の古代ギリシャコインとしては比較的入手しやすい一種でしたが、やはり近年は状態が良いものは値上がり傾向が激しく、納得のいくグレードのものが入手し難くなっています。
BC155-BC143 テトラドラクマ銀貨
このコインは紀元前2世紀半ばの小アジア西部、アイオリス地方の古代都市キュメで発行されました。キュメはエーゲ海の近くに位置し、同地方の主要都市のひとつとして繁栄していました。アイオリスの諸都市はペルガモン王国に従属しながら、高度な自治権を認められていました。
この時代のキュメで発行されたテトラドラクマ銀貨は、直径約30mm、重量約16gの大型コインです。こうした大型銀貨はヘレニズム期、小アジア西部の各都市で流行し、類似の例が多くみられます。
アイオリス地方の位置
アマゾネス(またはアマゾン)はギリシャ神話に登場する女戦士部族であり、黒海周辺に住むとされていました。アマゾネスたちは女王を中心としながら集団で狩猟生活を営み、狩猟の女神アルテミスを崇拝しているとされ、その先祖は軍神アレスにつながると位置づけられていました。
また馬術と弓術に長けたことから戦闘に強く、周辺諸国に従属せず独立した勢力を保つ武装集団とされました。こうした特徴は北方のスキタイ人などに類似していることから、実在の騎馬民族集団を基にしてアマゾネス伝説が生まれたと考えられています。
アマゾネス像 (カピトリーニ博物館)
子どもは他部族の男と交わって得るも、生まれた子が男児ならば殺してしまい、女児だけを育て、女だけの集団を維持すると云われました。彼女たちは弓を引くときに邪魔にならないよう乳房を切除したため、「a(否定形)+mazos(乳房)=アマゾン」と呼ばれるようになったと伝えられますが、実際の彫刻や壺絵に表現されたアマゾネスは乳房があり、名称とは相反する表現が大半です。
尚、南米のアマゾン川はヨーロッパ人が同地を探検した際、女性だけの部族に襲撃されたことから名付けられたという説があります。
アマゾネスはトロイ戦争やヘラクレスの功業、アレキサンダー大王の伝承にいたる様々な神話・伝説に登場します。特に小アジアには数多くの伝説があり、ホメロスの『イリアス』には小アジア各地を制圧したアマゾネス軍が、英雄たちによって退けられる物語も語られています。
このコインに表現されたアマゾネス像は、都市名の由来になった「キュメ」というアマゾネスとされています。アマゾネス軍が小アジアを南下する過程で、アイオリスで武功を立てたキュメが自らの名を冠した都市を建設し、そのまま都市の象徴になったと伝えられています。
都市の名称に由来する神やニンフ(妖精)をコインに表現する例は多く見られますが、アマゾネスを表現する例は小アジアの幾つかの都市にのみ見られます。
髪の毛は紐によって結い上げられ、短髪のようにも見える姿。動きやすく、活発で逞しい女性像です。
しかしアルテミスのように弓矢を有する姿ではなく、武器をはじめ他のモティーフが排除されたすっきりとした造型です。このコインがキュメで発行されたものと分からなければ、この女性像が勇ましいアマゾネスとは認識できないでしょう。
左のキュメ像には刀傷のような線が見られます。陽刻であることから極印に最初から入っていたものですが、右のキュメ像にはありません。
他のコインにも同様の線があるものがみられることから、製造時のミスではなく、何かの印だった可能性があります。
裏面には月桂樹のリースに囲まれた馬が表現されています。馬には手綱がつけられており、軍馬であることが分かります。当時のキュメの主要産品、またはアマゾネス・キュメの武功を象徴しているといった解釈ができます。
なお、裏面デザインをリースで囲むスタイルはヘレニズム時代に広く流行したスタイルであり、他の都市でもほぼ同時期に多く造られました。
当時のテトラドラクマ銀貨は貿易で多く利用されたことから、他の地域でも流通したと考えられます。当時のギリシャ人たちはコインのデザインから、この銀貨がアイオリスのキュメで造られたことをすぐに理解できたと思われます。
しかしこのコインが造られた紀元前2世紀以降、キュメをはじめ小アジアの大半はローマの支配下に入り、徐々に独立性が失われていきました。ローマ時代は独自の大型銀貨を発行することもなくなり、都市内で流通する小銀貨や銅貨のみになってしまいました。
アマゾネス・キュメのコインは、アイオリスの主要都市キュメが最も繁栄し、華やかだった時代の象徴になっています。
現在では芸術性の高い古代コインの一つとして、多くのコレクターや古代愛好家から注目されています。
出土したキュメのテトラドラクマ銀貨(アンティオキア博物館)
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