こんにちは。
10月は秋らしい日が続いておりますが、台風や大雨による天候不順・災害も多い月でした。
被害に遭われた方々へは、心よりお見舞いを申し上げます。
今回は古代ローマの皇帝 マルクス・アウレリウスのコイン肖像を取り上げたいと思います。
マルクス・アウレリウス・アントニヌス(在位:AD161-DA180)はローマ五賢帝の一人として知られ、高校世界史などでは『自省録』を著した哲人皇帝として有名です。
彼は2世紀後半のローマ帝国を20年近く統治しましたが、その治世は疫病や戦争も多く、哲人皇帝にとっては必ずしも平穏な時代とはいえませんでした。
統治期間中、それまでの皇帝たちと同じように多様なコインが発行されていましたが、マルクス・アウレリウスの場合、義父である皇帝アントニヌス・ピウスの時代 (在位:AD138-AD161)に後継者となったため、既にコインにその姿が表現されていました。
マルクス・アウレリウスのコインは周囲の称号と肖像の推定年齢が大まかに一致するため、コインが新たに製造される際には肖像が年齢相応のものに更新されていたとみられます。
初代皇帝アウグストゥスや二代皇帝ティベリウスは70代までその地位にありましたが、コインの肖像は常に30代の若い姿で固定されていました。対して非常に若々しい青年時代~晩年・死後の発行貨まであるマルクス・アウレリウスのコインは、当時のローマ人の年齢変化、人生観を鑑みる上で大変貴重な史料です。
尚、共同統治帝として共に即位した義弟ルキウス・ウェルス(在位:AD161-AD169)は即位前のコインは無く、在位期間も短かったため、コインの肖像はほとんど変化をみせませんでした。
また、マルクス・アウレリウスの妻ファウスティナは、父帝アントニヌス・ピウスの時代からコインが発行されていますが、髪形に多様な変化が見られる一方で顔つきは大きく変化しておらず、少女のように若々しいままでした。
【青年期 (副帝時代)】
AD140-AD144 デナリウス銀貨
AD140-AD144 デュポンディウス貨
マルクス・アウレリウスが初めてコインに表現されたのはAD140年、義父アントニヌス・ピウス帝の治世下でした。その前年には義父によって副帝(CAESAR)の地位に就けられています。
表面に冠を戴くアントニヌス・ピウス帝、裏面に無冠の青年マルクス・アウレリウスが表現されています。発行年代から考えると18歳~20歳頃の肖像とみられます。哲人皇帝の象徴といえる髭はまだなく、青年というよりは少年のような幼さを残しています。しかし豊かな巻毛は年を経ても変化せず、現存する彫像の特徴とも一致しています。
同時期に製作されたマルクス・アウレリウスの彫像
AD140-AD144 デナリウス銀貨
マルクス・アウレリウス単体で表現されたコイン。若々しく利発そうな青年として表現されています。裏面には儀式で使用する神器群が表現され、神祇官としての権威を象徴しています。
微笑むような優しげな表情は、将来の皇帝の人徳に対する期待感の表れかもしれません。
AD144 デナリウス銀貨
AD143 デナリウス銀貨
20歳以降の青年像。顔つきは大人として変化し、頬と口の周りには若干の髭が生えているのが確認できます。マルクス・アウレリウスはストア派の哲学者を意識して顎鬚を伸ばしたとされていますが、既にこの頃から少しづつ髭を伸ばし始めていたことがわかります。
同時期の彫像にも、同様に若干の髭が見受けられます。
AD151-AD152 デナリウス銀貨
30歳頃の肖像。既に髭は生えそろい、良く知られるマルクス・アウレリウス像に近い顔つきになりました。
【壮年期 (治世初期)】
AD161 デナリウス銀貨
アントニヌス・ピウス帝が崩御し、マルクス・アウレリウスが皇帝に即位した直後の時期に発行されたコインの肖像。即位時の年齢から39歳~40歳頃を表現したものとみられます。聡明そうな目つきと立派な髭は、まさに哲人を思わせる風貌です。
皇帝となっても副帝時代と同様、無冠の姿で表現されています。これ以降、月桂冠を戴く姿で表現されるようになります。
AD166 デナリウス銀貨
AD166 アウレウス金貨
対パルティア戦争の戦勝記念コイン。マルクス・アウレリウス帝の治世はその初期から対外戦争の遂行に費やされました。東方のパルティアを攻めるため、マルクス・アウレリウスは義弟で共同統治帝のルキウス・ウェルスを派遣し、自らは首都ローマで帝国内の統治を行いました。
髭が増え瞼の表現が変化したせいか、肖像も即位当初より老けて見え、心なしか疲れたような印象を受けます。先帝アントニヌス・ピウス帝の治世とは異なり、コインにも軍事色が強い意匠が多く採用されるようになりました。
【中年期 (治世中期)】
AD172 セステルティウス貨
AD172 デナリウス銀貨
50歳頃の肖像になると、即位当初より明らかに老け、顔つきも快活なものから老練で落ち着きのある人物像に変化しています。
パルティア戦争後は疫病の流行やルキウス帝の死去、ゲルマニアでの反乱、信頼する忠臣の謀反、さらに妻ファウスティナの不貞や息子コンモドゥスの不品行によってマルクス・アウレリウスの心身は疲弊していきました。首都ローマを離れ、奥深い森が広がるゲルマニアを転戦する陣中で『自省録』が著され、現代に至るまでマルクス・アウレリウスの考えが伝えられています。
生来生真面目なマルクス・アウレリウスは厳しい陣中にあるときでさえ政務をこなし、辺境の地で戦いながら帝国を統治しようと努めていました。しかし身体の不調を抑えるために服用していた薬にはアヘンが含まれていたため、徐々に身体を蝕まれていたと云われています。
【晩年期 (治世後期)】
AD173-AD174 デナリウス銀貨
AD178-AD179 デナリウス銀貨
50歳代末、晩年に発行されたコインの肖像は、目の表現に差異が見られるものの、より年老いているように見えます。既にこの頃、皇帝がローマに常時滞在することはほぼなくなっていました。そのためローマ造幣所の彫刻師は、なるべく最新の彫像などを参考にしながら新コインを作成したと考えられています。
AD180年、マルクス・アウレリウスはドナウ川方面で戦っている軍を指揮するために赴いたウィンドボナ(現在のオーストリア,ウィーン)で体調を崩し、側近や息子に囲まれながら60年の生涯を閉じました。
【没後 (コンモドゥス帝治世下)】
AD180 デナリウス銀貨
息子コンモドゥスがローマに帰還した後、元老院はマルクス・アウレリウスを神格化しました。このコインは神格化されたマルクス・アウレリウスを顕彰する為、コンモドゥス帝によって発行されました。
60歳で亡くなったマルクス・アウレリウスの肖像。従来の肖像と比べると最も老齢になっていますが、顔つきは凛凛しさを取り戻しています。また、即位前の青年時代と同じように無冠の姿です。皇帝という重責を全うして解放され、神となった哲人皇帝の姿を見事に表わしています。
マルクス・アウレリウスは副帝時代を20年、皇帝時代を20年経験しているため、合計40年分のコインが存在します。肖像も10代後半~60歳までと幅広く変化が見られます。一連のコインを並べて比較すると成長と変化を追うことができるので、収集にも最適なテーマといえるでしょう。
肖像から千年以上前を生きた人間の人生を辿ることができるという点で、コインの史料的価値の高さが改めて実感できます。
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