10月に入り、すっかり秋らしい日が増えてまいりました。
涼しい秋晴れの日には外出するのも心地良いですね。
スポーツの秋、食欲の秋、読書の秋など、何をするにも最適な気候です。
何かと気を付けることも多いご時世ですが、楽しい季節にしていただけると幸いです。
さて、今回は古代ギリシャ・ローマ時代に珍重された幻の薬草「シルフィウム」が表現されたコインをご紹介します。
このコインが発行されたのはアフリカ大陸北部、現在のリビア東部に存在した古代都市キュレネです。
キュレネは紀元前7世紀頃にティラ島から移住したギリシャ人たちによって建設されたと云われています。最初の移住団はアポロ神の神託によってこの地を選んだことから、アポロ神と恋人キュレネが逃避行した先をこの土地と設定しました。都市名は恋人の名からそのまま「キュレネ」とし、のちにこの都市を中心とする一帯が「キュレナイカ」と呼ばれるようになりました。
キュレネの位置。近隣にはアポロニアと名付けられた植民都市も建設された。
キュレネの都市はアフダル山地から流れ出る水脈に恵まれた、緑豊かな高台に建設され、周囲にはアフリカ大陸の珍しい動植物がみられました。
やがてこの地に移住したギリシャ人たちは、周辺一帯に自生する不思議な植物を発見します。これが「シルフィウム」と呼ばれる花でした。
古代の記録によると高さ50cmほど、黒い樹皮に覆われた太い根と中が空洞になっている茎、黄色の葉を有すると記されています。キュレネを中心とする地中海沿岸部の狭い地域にしかみられず、採取できる場所は限られていました。
そしてこの草花から採れる樹脂を煎じると、調味料や香料、媚薬になることが発見されました。特に避妊薬、堕胎薬としての効果が広く宣伝され、たちまちキュレネの特産品として輸出されるようになったのです。
現在このシルフィウムが何の種であったかを特定するのは困難ですが、セリ科の多年草であるオオウイキョウの一種だったという説があり、コインの図像とも類似しています。
オオウイキョウとコインのシルフィウム
オオウイキョウも弱毒性があり、家畜が口にすると出血性の中毒症状が現われるとされています。
なお「シルフィウム」の名称は現在、キク科のシルフィウム属として残されています。「ツキヌキオグルマ」とも称される現在のシルフィウムは北米原産であり、形が古代のシルフィウムに似ていることから名づけられました。
現在のシルフィウム=ツキヌキオグルマ
キュレネにとって貴重な輸出品となったシルフィウムは、建設されたばかりの植民都市の経済に潤いをもたらしました。西にカルタゴ、東にエジプト、北にギリシャ本土を配したキュレネは地理的にも恵まれ、周辺の大国にも盛んに輸出されました。
効果的な避妊方法が確立されていなかった時代、飲むだけで避妊効果が得られるシルフィウムは需要が途切れることがなく、遠くギリシャ本土でも高値で取引されました。古代ギリシャの名医ヒポクラテスも、シルフィウムは解熱作用、鎮痛作用があり、咳の緩和や消化不良の改善にも役立つ薬草として推奨したと云われています。
シルフィウムによって富を得たキュレネは大規模な神殿や公共建築物が次々と造営され、北アフリカ有数のギリシャ植民都市として発展してゆきました。
経済的に発展したキュレネは独自のコインを発行しましたが、その裏面には都市に富をもたらしたシルフィウムを刻みました。現代となっては、失われたシルフィウムの姿を記録した貴重な史料になっています。
BC500-BC480 ヘミドラクマ銀貨
ハート形の意匠はシルフィウムの種とされています。
BC435-BC375 テトラドラクマ銀貨
BC322-BC313 1/4スターテル金貨
三本のシルフィウムが放射状に表現されています。
シルフィウムはキュレネの象徴となり、キュレネ=シルフィウムと認知されるほどの産品になりましたが、それはこの植物がキュレナイカ一帯でしか採取できなかったことを意味していました。栽培は試みられましたが、土壌や気候など、生育環境の不一致などから成功しなかったようです。
キュレネは王政や共和政を経験しながらも独立を保っていましたが、紀元前4世紀末からプトレマイオス朝エジプトの支配下に入り、紀元前1世紀半ばにはローマの庇護下に入りました。支配者が代わってもキュレネの自治は保たれ、シルフィウムの輸出によって経済的・文化的な繁栄を享受していました。
しかしその繁栄もやがて終わりを迎えます。建国以来長らく繁栄を支えていたシルフィウムが、ついに絶滅したためでした。
理由には乱獲や砂漠化による環境変化など、様々な理由が考えられていますが、少なくとも紀元前1世紀頃から徐々に減少し始め、紀元1世紀に入るとほとんど採取できなくなっていたようです。もともと自然に自生している植物であったため、経済的な理由から乱獲し続ければ枯渇するのは時間の問題でした。
大変な希少品となったシルフィウムはデナリウス銀貨と同じ重量で取引され、時には金と同じ重さで買われることもあったと伝えられています。
ローマの博物学者プリニウスはキュレナイカ産のシルフィウムの茎が、珍品として皇帝ネロに献上されたことを記録しており、これが古代の文書における最後の記録とされています。
シルフィウムを輸出できなくなったキュレネは交易の中継地として維持されましたが、262年と365年に大地震が襲い壊滅的打撃を受けます。これ以降、都市は完全に打ち捨てられ、巨大な廃墟群が往時の繁栄を物語るのみとなりました。キュレネの都市が遺跡として再発見されるのは18世紀になってのことでした。
キュレネの急速な発展はシルフィウムによってもたらされたため、当時のキュレネ市民たちはアポロ神からの贈り物だと考えていました。しかし皮肉にもキリスト教が伸張し始め、古代ギリシャ・ローマの信仰が終焉を迎えようとする節目にシルフィウムは姿を消し、それに支えられていたキュレネもまた衰退したのでした。
現在、キュレネ発行のコインは僅かな種類しか確認されておらず、発行していたのは限られた時期だったとみられています。それらには都市の繁栄を支えた、今はなきシルフィウムが表現されており、キュレネの繁栄とシルフィウムの姿を現代に伝えています。皮肉にもシルフィウムなき今、この花を表現したコインが、珍品として高値で取引されているのです。
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