こんにちは。
11月も終わりに近づき、本格的に寒くなってまいりました。
世の中は少しずつクリスマスの雰囲気に近づいています。色々なことがあった今年も残すところあと一ヶ月。心穏やかに新しい年を迎えたいものです。
さて、今回は来年初めに東京国立博物館で開催される特別展『ポンペイ展』をご紹介します。古代ローマのポンペイ遺跡をテーマにした展覧会は過去に何度か日本で開催されていますが、今回もナポリ国立考古学博物館の協力によって充実した内容になりそうです。
数々の素晴らしいモザイク画から人々が実際に使用していた日用品まで、150点に及ぶ多種多様な出土品が展示される予定です。またポンペイで見つかった邸宅を再現展示するなど、2000年前のローマ人の生活ぶりを目の当たりにできる、大変貴重な機会と言えるでしょう。
詳細は以下の特設ページにてご確認ください。
ご周知のとおり、ポンペイはイタリアを代表する古代ローマの都市遺跡であり、当時の都市生活がそのまま残された稀有な遺跡として知られています。
79年のヴェスヴィオ火山大噴火によって埋没したポンペイには1万人~2万人ほどが生活していたとされ、劇場や神殿、公衆浴場や広場といった公共施設が存在していました。ローマ時代のイタリア半島の市民社会を知る上で、大変重要な場所です。
ポンペイ最後の日
(アンリ=フレデリック・ショパン, 1850年)
ポンペイが壊滅した直後、当時の皇帝ティトゥスは復興支援のためにローマから人と救援物資・義援金を送り、自らも直接現地を視察しました。しかしポンペイがあった場所に同規模の都市が再建されることはなく、また掘り返されることもなかったため、ポンペイの遺構は火山灰の下に埋没し続けることになりました。その後もヴェスヴィオ山は幾度か噴火を繰り返し、その度に周辺一帯は火山灰が降り積もりました。長い年月が過ぎ、ポンペイの存在は歴史書の上に記録されているのみとなり、正確な位置は忘れ去られていきました。
しかしイタリア・ルネサンスによって古代ローマの文化芸術に再び脚光があたると、当時の遺跡や遺物に対する関心が高まりました。知識人や王侯貴族はこうした遺物を高値で買い取ってくれるため、イタリアの各地で遺跡探しが盛んに行われました。
歴史書に記されたポンペイも当然注目されましたが、その正確な場所を特定することは困難でした。当時、ポンペイのあった周辺には民家が建ち並び、火山灰に埋まった面積の大半はブドウ畑になっていました。しかし開墾や工事の度に地中から建築物の断片が見つかっていたため、価値を知らない地元の人々は出土した遺物を石材として再利用していました。18世紀に入るとこのことが外部に知られるようになり、やがて王や貴族の主導で本格的な発掘調査が開始されました。
当初、学者たちはどの辺りを発掘すべきか悩んでいましたが、地元の人々がブドウ畑のある一帯を「チヴィタ」と呼んでいることに着目しました。チヴィタとはローマ時代のラテン語で「都市」を意味する「Civitas」からきているのではないか。早速チヴィタと呼ばれたブドウ畑の下を掘り進めると、見事な壁画や青銅器、さらにはネロ帝やウェスパシアヌス帝のアウレウス金貨が発見されました。
発掘開始から15年後の1763年には男性の大理石像が発見され、その台座に「ウェスパシアヌス帝の名において、この土地をポンペイ市に返還する」という一文が刻まれていたことから、この地こそ間違いなくポンペイであることが確認されたと伝えられています。
その後、ポンペイの発掘は大々的に進められ、学術的な調査が進んだ18世紀末~19世紀にはイタリア観光の名所のひとつにもなっていました。発掘によって現れたローマ時代の都市はヨーロッパの文人たちにインスピレーションを与え、ドイツの文豪ゲーテも『イタリア紀行』にその情景を記録しました。
また歴史画の主題としても描かれるようになり、失われた古代都市ポンペイの認知度はますます高まっていきました。
ポンペイの発掘
(エドゥアール・アレクサンドル・セイン, 1865年)
19世紀のポンペイ遺跡を描写した作品にゴーチエの『ポンペイ夜話』(原題:Arria Marcella)があります。1852年に書かれた短編小説ですが、ポンペイを題材にした小説としてお奨めの作品です。岩波文庫から出版されているゴーチエの短編集に収録されており、手軽に読むことができます。
ナポリを訪れたフランス人青年オクタヴィアンは博物館を見学し、ポンペイから出土した噴火の犠牲者たちの石膏押し型を目の当たりにしました。
そこに展示されていた女性の胸の押し型に心を奪われたオクタヴィアンは、友人たちと実際にポンペイ遺跡を訪れてもそのことばかり考えていました。眠れないオクタヴィアンは一人宿を抜け出し、夜のポンペイ遺跡を彷徨いますが、気が付くと壊滅前のポンペイの街路に立っていた―というあらすじです。
幻想小説と呼ばれるゴーチエの作風が表されており、夢なのか現実なのか、不思議な世界観が描かれています。人気のない夜の街を散策して、過去にタイムスリップしていたという設定は様々な作品(映画『ミッドナイト・イン・パリ』(2011)など)にみられますが、ゴーチエの作品は19世紀半ばに書かれていることを考えると、当時としては斬新な切り口だったことでしょう。
ロマンチックな儚い恋物語として描かれた作品ですが、19世紀半ばのポンペイ遺跡の様子や周辺の雰囲気、古代ローマの街中が詳しく、リアルに描写されています。作者ゴーチエが単なる想像ではなく、しっかりと下調べをしていたことがうかがえます。発掘途中の寂しい遺跡が、人々の行き交う活きた都市に甦っていく描写は幻のようであり、現実のようにも思えます。
なお作中に登場する女性の胸の押し型は実在し、当時はナポリの博物館で展示されていましたが、戦争中に失われてしまいました。
翻訳者である田辺貞之助氏の訳も素晴らしく、読みやすく活き活きとした光景が展開されています。この作品を読めば、ポンペイに対するイメージも強まり、特別展への期待も高まると思われます。
特別展は来年1月14日から4月3日まで東京・上野の国立博物館で開催され、その後は京都(京セラ美術館, 4月21日~7月3日)と福岡(九州国立博物館, 10月12日~12月4日)を巡回予定です。ぜひ足を延ばしていただき、ありし日のポンペイに思いを馳せてみてください。
ポンペイの発掘
(フィリッポ・パリッツィ, 1870年)
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