こんにちは。
長かった今年も残すところあと一週間。今年も一年間、本当にありがとうございました。
2021年は東京オリンピック・パラリンピックをはじめ様々なことがありましたが、常にコロナの心配はつきまとっていました。「毎年恒例」を予定通り毎年実施できるということが、どれだけありがたいことなのかを実感させられました。
どうか来年は健康の心配のない、平穏で健やかな一年になることを願っております。
なお、年末年始のワールドコインギャラリーは12月29日(水)~1月5日(水)の一週間をお休みとさせていただきます。
来年も皆様にお会いできるのを心より楽しみしております。2022年/令和四年も何卒よろしくお願い申し上げます。
本日はクリスマスイブですので、新約聖書に登場する「ピラト総督」にまつわるコインをご紹介します。
イエス・キリストは西暦30年頃(*西暦33年頃とする説もあり)、イェルサレムで十字架に掛けられ殉教したと伝えられています。当時のイェルサレムはローマ帝国の支配下に置かれ、現地のユダヤ人たちはローマ本国から派遣された総督によって統治されていました。しかし一神教を奉ずるユダヤの戒律はそのまま残され、宗教指導者(祭司長)の権威を認めることで彼らの忠誠を得ていました。
1世紀頃のユダヤ属州
当時のユダヤの周辺はサマリアやガリラヤなどの地域があり、各地域を統治する王族や宗教指導者が存在しました。ローマは彼らに特権を与え、子弟をローマに留学させるなどして懐柔し、間接的な統治体制に組み込んでいました。
その時代を扱った映画に1959年のハリウッド大作『ベン・ハー』があります。60年以上前の映画ですが、今も色褪せることの無い圧巻の映像美が繰り広げられています。この時代のユダヤ属州、ローマ帝国を扱った作品としてオススメのエンターテイメント作品です。
この映画にはローマから派遣された総督ポンティウス・ピラトゥスが登場し、ストーリー上でも重要な役割を演じています。日本では「ピラト」の名で知られるピラトゥスはローマ皇帝ティベリウスによってユダヤ総督に任命され、西暦26年から西暦36年までの10年間に亘ってイェルサレムとユダヤ属州を統治しました。
同時代を生きたフラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』や、新約聖書の『ルカによる福音書』では、頑迷で融通が利かない性格ゆえユダヤ人たちと対立し、ピラトゥスを解任するようローマ皇帝に陳情が送られたとまで記されています。
ユダヤ教の指導者たちは自分たちの脅威になるイエスを告発し、ピラトゥスに処刑の判断を下すよう迫ります。ピラトゥスはイエスに直接尋問を行いますが、「わたしはこの男に何の罪も見出せない」(ルカによる福音書)と言って判断を先延ばしします。しかしユダヤ人たちの圧力に押され、不本意ながら最終的には処刑を認めたとされています。
(ムンカーチ・ミハーイ, 1881)
ピラトとイエス
(イグナツォ・ジャコメッティ, 1852)
新約聖書においてイエスが拷問され、茨の冠を被せられた場面。自ら処刑の判断を下すことができなかったピラトゥスは、群集の前に鞭打たれたイエスを引き出してその反応を確かめました。
ピラトゥスはユダヤ教の過越しの祭り(ペサハ)に恩赦を行うと宣言し、イエスと暴漢のバラバ、どちらを赦すかを民衆に問いかけました。群衆はイエスを侮辱し、バラバを赦せ、イエスを処刑しろと叫ぶ中、ピラトゥスはイエスを指して「Ecce homo (*ラテン語で"見よ、この人を"の意)」と問いかけたとされています。最終的な判断をユダヤの民衆に委ねたことで、ピラト=悪役としてのイメージが和らぐ結果となりました。
新約聖書に記されているピラトゥスの複雑な態度は、後世の作家のインスピレーションを掻き立て、様々な派生物語が書かれました。生没年が不詳なことも手伝い、その最期をドラマチックにする例が多いようです。(熱心なキリスト教徒に改心する、皇帝に追放される、自害する等・・・)
軍事力を背景にユダヤを支配した多神教徒であり、イエスの処刑を直接命じた人物であるにも関わらず、後世のキリスト教ではあまり悪役として描かれていない点が特徴的です。
ただしこうした描写の多くは後世に書かれたものが大半であり、どこまでが史実であるかは議論の余地があります。
石碑をはじめローマ側の記録から明らかなのは、ポントゥス・ピラトゥスという騎士階級のローマ人が西暦26年からの10年間、ティベリウス帝の命によりイェルサレムとユダヤ属州を統治したという点のみです。
ピラトゥスの在任期間中、ユダヤ属州ではいくつかのプルタ銅貨が発行されました。それらはイェルサレムの造幣所で製造され、現地のユダヤ人社会で広く一般的に流通したコインでした。
プルタ(*ギリシャ語の聖書では「レプタ」と表記)は大変小さな銅貨ですが、刻まれている銘文や年代は当時を知るうえで貴重な情報源となります。当時のプルタ銅貨にはヘブライ文字は刻まれず、東地中海の共通語であったギリシャ文字が刻まれています。
表面は聖水を汲み取るための柄杓。周囲部には「ΤΙΒΕΡΙΟΥ ΚΑΙCΑΡΟC LIS (ティベリウス・カエサル 治世十六年)」銘。西暦29年~西暦30年に造られたことを示しています。
裏面には三本の麦穂が表現され、周囲部にはティベリウス帝の母親リウィアを示す「ΙΟΥΛΙΑ ΚΑΙCΑΡΟC (ユリア皇太后)」銘があります。
表面にはローマの祭儀でも用いられた曲がり杖(卜占官の象徴)が表現され、周囲部には「TIBEPIOY KAICAPOC (ティベリウス・カエサル)」銘が配されています。
裏面にはティベリウス帝の治世18年目(=AD31-AD32)を示す「L HI」銘があります。イエスが十字架に掛けられたとされる時期にはリウィア皇太后も没したため、ティベリウス帝のみを示す銘文へと変化しています。
これらのプルタ銅貨にはピラトゥス自身の名は刻まれていないものの、ティベリウス帝の名とその治世年によって、それがイェルサレムを監督していたピラトゥスの下で発行されたことが分かります。古代コインの大家デイヴィッド・R・シアー氏が、ローマ帝国属州コインをまとめた著書『Greek Imperial Coins and their values』(1982)においても、上記二種類のプルタ銅貨は「Pontius Pilatus」のカテゴリーに分類されています。
芸術性や技術性、金属的価値は乏しい粗末なコインですが、新約聖書に記された時代を文字通り手にできるコインとして欧米では人気があります。もしかしたらイエス・キリストやその弟子たちが手にしたかもしれないコイン、十字架を背負ったイエスが往くイェルサレムの街道沿いの露店で支払われたコインかもしれないからです。
プルタ銅貨は民衆用の貨幣であることから大量に発行されましたが、そのために安価=保存状態には難があるのが常です。銘文・発行年が明確に残されているものは稀であり、オークションでも高値で取引されています。運よく乾燥地帯の砂によって守られた奇跡的な一枚があれば、ぜひ入手するべき一枚といえるでしょう。
今年も一年間このブログをご覧いただきありがとうございました。来年もコインに関する情報を発信できるよう努めたいと思います。
皆様にとって楽しいクリスマス~年の瀬でありますように・・・。
《古代ギリシャ・ローマコイン&コインジュエリー専門店》
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