ギリシャの一都市を征服したマケドニアのフィリップ二世は、アテネ・テーベの連合軍を破り、ギリシャの支配者となります。そしてその後を継いだアレクサンダーは、ペルシャ帝国に遠征し、驚異的な戦闘によってペルシャ勢力を打ち負かし、ギリシャに帝政をしきます。
歴史上最も偉大な英雄アレクサンダーの、奇跡のような遠征と領土拡大、大帝国の建設は、後のシーザーやナポレオンの憧れになったと思われます。そして、彼の13年間に支配はギリシャ史のターニングポイントになりました。二世紀にわたる輝かしい“古典時代”―都市国家制の時代―は終わったのです。しかし、この大遠征は今まで貨幣を持たなかったエジプト・ペルシャ本国などの地域にギリシャコインを広めることになりました。
アレクサンダーは遠征の後、まもなく病死し、その結果、大帝国は統一が実現して間もないというのにマケドンからインドまで拡大した大領土をめぐって将軍たちの間で抗争が起こり、激しい覇権争いが続きました。アレクサンダーの幼い息子、アレクサンダー四世や、知能の弱いフィリップ三世が形式的に王位に就きましたが、帝国を監督する権利は別の者たちが握りました。セレウコス、プトレマイオスなど、そのうち幾人かは何代も続く王朝の基礎となった人物です。
不幸なアレクサンダー四世とフィリップ三世は、アレクサンダー大王の死後12年の間に殺され血統は断絶します。実力者たちは次々に王を名乗り、王国が乱立し、コインもそれぞれ独自に発行し始めます。
マケドニアは、フィリップ五世がその復興に努力しますが、カルタゴに勝利しシシリーを占領し勢いに乗って東方に進出したローマ帝国に敗れ、前168年には一介の属州に没落してしまいます。やがて、ヘレニズム王国を代表する二つの大きな王国が誕生します。プトレマイオス将軍のエジプト王国と、セレコウスの治めるセレウキト王国(後のシリア)です。
ローマの次の相手は、セレウキト王国でした。アンチオコス三世は、ローマと激しく対立しギリシャに侵攻しますが敗れ、小アジアに逃れます。ローマは執拗に追跡し前190年にセレウキト王国の戦力は壊滅します。小アジアの領土、属国はローマの同盟国ベルモガンに譲られ、王国の領土はシリアとその周辺を残すのみとなり、まもなく降伏しました。
そしてかの有名なクレオパトラを戴くエジプトのプトレマイオス王朝が最後のギリシャ系王国となりました。クレオパトラは、その美貌でローマの首領カエサル(シーザー)と手を組み、王国の復興を目指します。カエサルは暗殺されますがその後を継いだアントニオスまでがクレオパトラを愛します。しかし、政争に敗れたアントニオスは戦死し、クレオパトラは毒をあおり、最後のギリシャ王朝エジプトはローマの属州となりました。
*上の写真は天候、特に雷を司どる天空神ゼウス。オリンピュス十二神をはじめとする神々の王で、ギリシャ神話の主神。
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