コインで巡るローマ皇帝伝として、シリーズ化して毎回皇帝を一人取り上げ、コインと共にレポートして行きます。
まず、最初は初代皇帝『アウグストゥス帝』から始めていきたいと思います。
アウグストゥス帝(インペラトル・カエサル・ディウィ・フィリウス・アウグストゥス)
紀元前63年9/23ー紀元14年8/19(76歳)、在位:BC27年~AD14年
アウグストゥス帝は紀元前と紀元後、共和政と帝政のはざまに生きた風雲児で創始者であった。
志半ばにして倒れた養父カエサルの後を継いで内乱を勝ち抜き、帝政(元首政)を創始。
「ローマの平和(パクス・ロマーナ)」を実現し,ほぼ半世紀にわたって権力の座にあり、暗殺される事もなく生涯を全うした偉大な指導者。
☆ BC44年、カエサル暗殺⇒後継者に指名!ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス(Gaius Julius Caesar Octavianus)を名乗る。
☆ BC43年10月、オクタウィアヌス、アントニウス、レピドゥスによる会談により第二回三頭政治が成立した。
☆ BC42年 ギリシアのフィリッピの戦いで元老院派のブルトゥス、カッシウスらに勝利し、カエサルの仇を討つ。
☆ BC31年、アクティウムの海戦でアントニウスとクレオパトラを破り、最高権力を掌握した。
☆ BC27年、元老院は満場一致で「アウグストゥス(尊厳なる者)」の称号を贈ることを提案し、国の全権を掌握する。この日以降正式にインペラトル・カエサル・アウグストゥス(Imperator Caesar Augustus)と名乗るようになった。初代ローマ皇帝アウグストゥスの誕生である。
☆ アウグストゥスが作ったローマ市
Bc1世紀のローマの人口は100万人で溢れていたが、社会整備は行き届かず、まずローマ市を14の行政区に分けて、警察隊・消防隊を新設。水道を建設し、莫大な費用を投じて公共の建築物(フォルム・パンテオン・大浴場等)を次々とレンガ作りと大理石の都を建設。
☆ アウグストゥスの私生活
生活は非常に質素で、邸宅はつつましく調度品や家具等も市民と同じ物を使用、食事も小食で、粗末なパン、手造りチーズを食べ、青いイチジクが好物。
☆ ユリウス暦
八月の英語名『August』はこのアウグストゥス(Augustus)に由来している。8月の日数をそれまでの30日から31日に変更し、2月の日数を減らし28日とした。
☆ アウグストゥスの財産
その在世中(BC27~AD14年)にローマ市民に多くの現金や食糧を与えた、それらに使われた金額は約20億5千セステルティウス(現在の貨幣価値で数千億円)。
遺言では、亡くなったとき、ローマ市民に4000万セステルティウスを現金で支払い、又、各兵士(護衛隊・警備兵・軍団兵)にも支払っている。
相続人への遺産が1億5000セステルティウスもあり、国庫、元首金庫にも莫大な財源が残されていた。
資金源は、カエサルからの相続、プトレマイオス朝の財宝(皇帝の所領)&租税、元老院の国庫等などであった。
☆ アウグストゥスとアグリッパ
アウグストゥス政権の重要閣僚がM。ウイプサニウス・アグリッパ。10代の頃からの親友で、内乱時には将軍として数多くの勝利に導き、水道橋整備では
ユリア水道・ウイルゴ水道を建造。アウグストゥスの娘ユリアと結婚し岳父にもなるが、元首より先に死去してしまう。
☆ アウグストゥスの統治
当時は元老院属州が10地方(マケドニア・ギリシャ・アフリカ・シチリア等)皇帝属州が21地方(ゲルマニア・シリア・ヒスパニア・トラキア等)
☆ アウグストゥスの軍隊
軍団は25個軍団(1軍団5000名)で、皇帝属州に配置されていた。ローマ市民とイタリア人で構成され、勤務年数は20年、+予備役5年で年俸は225デナリ。有名な百人隊長(ケントゥリオ)の給料は約15倍。 補助軍は属州民から応募して、歩兵・騎兵隊を編成し、25年勤務すればローマ市民権を与えた。
☆ アウグストゥスの領土拡大
ローマ史上最大の征服者はアウグストゥスだった。唯一の最高司令官ではあったが、自らの指揮は無く、アグリッパ・ティベリウス等が活躍。
BC30年・エジプト、BC29年・モエシア、BC25年・ガラティア、BC17年・カンタ
☆ 後継者問題
政争・内乱を防ぐために世襲王朝制を選択、彼自身には息子が無く、正妻リウィアは前夫との間に、クラウディウス家の血統を継ぐティベリウスとドルルスがいて先妻には娘のユリアしか居なかった。色々と後継者作りと探しをしたが最終的にはティベリウス一人であった。
☆ 安らかな最期
紀元14年8月19日、体調を崩したアウグストゥスは息を引き取る。最後の言葉は『私は人生という喜劇を演じきった。私を喝采で送ってくれ』
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