紀元前42年11/16ー紀元37年3/16(77歳)、在位:AD14年~AD37年
アウグストゥスは遺言でティベリウスを後継者に指名したが、皇帝に就いたのはティベリウスが55歳の時である。
ティベリウスは皇帝と元老院との関係を調整しつつ、緊縮財政で在世の立て直しをし、貿易路の開発と安全に力を入れ、帝国の安全と国力の維持を強力に推し進めた。
☆ 若き頃のティベリウスは、アウグストゥスの下でゲルマニア戦争・パンノニア反乱等の第一線でローマ軍を率いて活躍した優秀な軍人であった。
☆ モムゼン著によればローマ人で初めてギリシャのオリンピア競技会で優勝した人は、当時41歳のティベリウスであると記されている。紀元1年の195回オリンピア競技会の優勝者にその名が記されていて、参加種目は、4頭立て戦車競走!あのベンハーの一場面を思い出す。
☆ 身長は通常人よりも高く、肩胸とも厚い頑強で均性の取れた体格、眼光は鋭いだけでなく視力も抜群、そして生まれて病気知らずの健康の持ち主。
☆ 控え目に徹した皇帝。与えられた特権をことごとく断った“皇帝らしからぬ“ふるまい歴史家の記述も、スエトニウス著『彼は歩く時は首を前に傾けたまま動かさず、常に厳しい表情をしていた。無口な人物で友人と打ち解けて話す事は無かった。』
☆ ゲルマニア・パンノニア・ダルマティア戦争における確執~アウグストゥスの血を引く、ゲルマニクスと息子ドルーススの活躍により戦線を納めたが、若くして後継者の二人が急死。
☆ ティベリウス帝の財政再建・・アウグストゥス帝の時代はローマ領土の拡大は出来たが、国庫は豊かとは言えず、さまざまな政策を施行した為に人気がない皇帝ではあったが、二代目皇帝としての使命は十分すぎる程果たし、後世に繋がる基盤を構築した皇帝でもあった。財政緊縮政策
① 属州からの徴税強化 ② 有罪判決を受けた富裕者層からの財産没収 ③家具等の間接税導入 ④ 競技会や剣闘士試合の削減 ⑤ 食量価格の統制 ⑥ コンギアリア(市民への賜金)
☆ ティベリウス自身も、前日の残り料理を正式な晩餐会に出す等、節約を怠る事は無かったと言われる。
☆ 人気の無さがもたらした猜疑心と恐怖から生まれた、親衛隊の権力が大きくなり親衛隊長のセヤヌスを通じて政治を行い、後に陰謀に気が付き元老院を巻き込んだ粛清へと発展して行った。
☆ ティベリウス帝と云えばカプリ島がすぐ思い出される。塩野七生さんの本も、カプリ島からの書き出しで始まっている。68歳になった時からローマを離れカプリ島に隠遁生活に入り、首都から統治を続ける皇帝であった。
☆ ティベリウス帝の晩年は恐怖政治と云う表現で数々の過ちを犯したが、77歳にて病死を迎えた。
☆ いつの時代も2代目の重圧が有り、守りに徹す政策を採り地盤固めに力を注いだ皇帝。日本でも江戸時代の2代目将軍、徳川秀忠と相似している部分を感じてしまうのは、私だけでしょうか?
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