アレキサンダー大王が築いた大帝国マケドニアは長くは続きませんでした。紀元前323年に33歳で大王が病死した後12年もたたないうちに彼の直系の後継者は暗殺されてしまいます。やがて王国は事実上分裂しヘレニズム王朝時代が訪れます。
そのうちの一国となったマケドニアでは、アンティゴノス・ゴナタナスが『王』の称号を獲得し、息子デメトリウス一世、二世と継承しましたが、フリップ五世が王位に就くと西方より強大な勢力を伸ばしてきたローマと対立しました。
そして紀元前197年に大敗し、その子ペルセウス王の治世に一回の属州に没落しました。そしてエーゲ海を中心としたギリシャの勢力は衰え、ローマにとって代わられてしまいます。
しかし、ローマはギリシャ文明に畏敬の念を持っていたので、マケドニアが属州に没落してもギリシャコインの鋳造技術は各地で受け継がれました。
図のコインは二つともマケドニアのものです。上のコインは前出のペルセウス王時代のもので、中期ヘレニズム時代の傑作の一つといわれるものです。表には月と貞節と狩りの女神アルテミスの肖像、その周りを囲むのはマケドニアの盾です。裏面は、マケドニアの始祖といわれるギリシャの英雄ヘラクレスの『棍棒』と、ゼウスの『樫の環』が描かれています。このコインは、アルテミスが少女から成人するまで四種類のデザインがあることでも知られています。
もう一つのコインは、現在ブルガリアにあったトラキアという国のものです。トラキアのメサンブリアという黒海沿岸の地域は、古くから貨幣を鋳造した地域でした。紀元前340年にマケドニアに
征服され、独自のコインの生産を禁じられましたが、紀元前2~1世紀にはマケドニアのアレキサンダー大王のコインを鋳造しました、貨面いっぱいの頭像はこの時代の特徴です。裏面は玉座に座り鷲を伴ったゼウス。彫刻は精巧で、技術が高水準であったことをうかがわせます。
マケドニアもトラキアもローマの干渉が次第に強くなり、紀元前146年にはマケドニアが、間もなくトラキアもローマに併合されました。
コメント