金は旧約聖書にも登場しているし、紀元前4000年に作られた金製品も現存している。
人類と金のつきあいは、7000年の昔から続いていると考えられる。
金は現在まで、歴史のなかで様々なドラマを生み出してきた。
権力や富のシンボルとして、抗争のタネになることもあれば、芸術の分野ではほかに類を見ない貴重な素材でもある。
また、金貨が初めて登場したのは紀元前7世紀といわれ、世界各国で価値の基準として大きな役割を果たしてきた。
不滅の価値を誇りながら、しかも永遠に輝いているこの魅力的な物質に、人類はいまも夢をかけているのかもしれない。
※ 日本を黄金の国ジパングとしてヨーロッパに紹介したのは誰?
「宮殿の屋根はすべて黄金でふかれ、その価値はとても評価できない。宮殿内の道路、部屋、床は、まるで板石のように4㌢もの厚さの純金の板で敷きつめられている」と13世紀末、『東方見聞録』に書いたのは、イタリアの旅行者マルコ・ポーロである。
平泉の黄金文化のウワサを、中国を訪れたマルコ・ポーロが聞いて書きとめたものとも考えられるが、実際のところはよくわからない。
『東方見聞録』によって、黄金の国ジパングの名がヨーロッパに広まり、東方探検ブームを起こし、コロンブスのアメリカ大陸発見につながったともいわれている。
※ 金と日本人との付き合いはいつごろ始まった?
これは対馬で金が産出されたためと伝えられている。
ただし、これは朝鮮産かもしれないという説もある。
7年後、武蔵国秩父から銅が産出され、年号は和銅と改元された。
さらに40年後、陸奥国で大量の砂金が発見され、それが奈良の大仏用に献上されたらしい。
このころが、日本の本格的な金の歴史の始まりとみられる。
奈良の大仏が作られる前までは、仏像の鋳造には朝鮮から入ってきた金や銅が使われていたようだ。
日本産の金が見つかるようになり、奈良の仏像を一つの契機として、人々の金に対する興味は深まっていった。
※ 世界で一番大きな奈良の大仏。 メッキするのにどのくらいの金が必要?
西暦741年、聖武天皇によって建立の詔(みことのり)が出され、それから11年後の752年にやっと完成した。
何度かの火災にも遭い、今は青銅色の地肌を見せている大仏も、当初は、全体に金箔が施してあり、ぴかぴかに光っていたという。
文献によれば、この時に使用された金の量は、440㌔。
現在のレートだと、約17億円にもなる。
世界一の大きさを誇ると同時に、例のないほど、高価な仏像だったわけだ。
金製の仏像はなにも日本だけのものではない。
金の神聖なイメージが、宗教的なものに利用されるのかもしれない。
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