前回から連載が始まりました「アール・クラシック」。前回は“西洋文化のあけぼの”ということで、古代ギリシャの文化の成り立ちや背景をご紹介しました。今回は古代ギリシャの黄金時代であるクラシック期の美術や彫刻についてご紹介いたします。古代ギリシャ文明のアートは、「古拙、若々しい」と称されたアルカイック期の美術からどのような変化をとげたのでしょうか...
“自由と栄光を求めて”
クラシック期は、ペルシア戦争に勝利した後の復興とともにやってきました。私たちが古代ギリシヤの政治・芸術・文芸・思想・建築物を考えると、まずアテネをイメージするでしょう。この時期、人類史上初めての民主主義、民主政治がアテネに定着します。これによって古代ギリシヤの黄金時代、つまりアテネの全盛期が始まります。
再建されたパルテノン神殿は前時代に比べて、均衡のとれた調和を保ち、科学的理論に基づいて、重厚ではあるけれども重苦しさは感じさせない作りになりました。これは現代建築の祖となるクラシック期の傑作です。
彫刻においても進歩は著しく、科学に基づいた人体の動きは軽く、まったく無理がありません。理にかなった空間と奥行きは、均整のとれた優雅な美しさを強調しますが、反面、感情の動揺や特殊な動きは見られませんでした。
ギリシヤの覇権をめぐってのアテネとスパルタの戦いであるペロポネソス戦争は、紀元前404年、スパルタの勝利を以て終結します。この頃から始まるクラシック後期に、ギリシヤ美術はさらに発展します。
自然の摂理にのっとった肉体の動きは、完全に理解、吸収され、静かなくつろいだ表情も、感情的な激しい動きも自由自在に表現できるようになりました。また、柔らかな肌、リアルな髪とひげ、衣服の切れ込み、均整のとれた身体の官能的な美は彫刻を完全なものとし、まさに生命を与えられたかのようにまで発展しました。以後、19世紀の印象派の登場まで、ギリシヤ的“完全”さは、人類至高の美となります。
ギリシヤ人の個人主義は次第に利己主義に変わっていき、ペロポネソス戦争後も、各ポリスは離合集散、内部抗争を繰り返し、その後紀元前336年、アレクサンドロス3世が登場します。
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