今回で連載第7回目を迎えます「アール・クラシック」。
古来より、ギリシヤ神話の神々が描かれてきたコインですが、ある時をきっかけに諸王の肖像がコインに彫刻されるようになります。それは、その人物の権力の強さだったり、国の繁栄の仕方によって、完成度の高さが決まっていました。コインを見れば、その時代の様子が読めてくる・・・そんなロマンあるギリシャコインについて今回もアツく語っていきたいです!
“世界を征服したギリシヤ人は、
やがて世界に征服される”
クラシック期末期の前4世紀後半、辺境の地マケドニアに2人の英傑父子が登場します。ご存知フィリッポス2世とアレクサンドロス3世です。彼らの政治的事蹟は衆知の通りですが、実は経済的にも後世に著しい影響を与えていました。
彼らの登場まで、ギリシヤ諸ポリスは地域により異なる重量基準を設けており、おなじドラクマ銀貨でも異なる3系統のシステムがありました。そこで、この二人は政治の世界同様に統一した重量基準を作りだしました。
その後、フィリッポスは領有する大金山・銀山から金銀を集め、アレクサンドロスはペルシアから金銀を略奪し、その金銀を用いて、統一基準による金貨・銀貨を大量に生産いたしました。このギリシヤ式貨幣は、ギリシヤからはるか遠くの、北西インドの地域にまで普及することになります。
また同時に、地中海内陸部のヨーロッパに住むケルト族をはじめ、半未開人の間にも貨幣製造が伝播し、これらの模造貨を造らせました。
つまり、ギリシヤ的貨幣は、東アジアを除く当時の全世界の貨幣の模範となったのです。また、その基本的スタイルは今日にも引き継がれていくことになります。
貨幣の製造方法に関しても、ハンマーコインと呼ばれる手打ち打刻のスタイルが踏襲され、水力、人力などによる機械式製造方法に移行する15世紀後半まで続きました。その後も、蒸気機関・電力の発明により、機械の性能はアップしましたが、貨幣製造の原理は基本的には変わっていません。
前323年、アレクサンドロスの病死後、かの大帝国は分解され、ヘレニズム期に入ります。アレキサンダー大王が偉大すぎたためか、大王が生存中に製造した“ヘラクレス”と“ゼウス”の貨幣の信認があまりにも普遍的だったためか、遺領の100以上の製造局で同一のデザインの製造が継続され、地域によっては200年以上も忘れられることなく製造されました。このような、広範囲にわたる同一デザインの貨幣の製造はほかに類をみず、まさに世界通貨となりました。
ヘレニズム期は、ギリシヤ文化の拡大、定着、改良、土着化の時代ですが、逆に言えば、オリエント的な政治、宗教、文化の逆輸入の時代でもありました。
貨幣においても著しく変化していきました。大王の諸将たちは分立割拠し、各々の王国を成立させていきます。初めのころこそ、大王タイプのコインを引き続き製造していましたが、まもなくプトレマイオスが画期的な貨幣のデザインを採用することになります。それは象皮を被るアレクサンドロスをコインの神の肖像に変えて描いたのです。それまでも実在の人物を描いたとみられるコインが少数のポリスで発行されたことはありましたが、人物の特定ができるものなど一つもありませんでした。それに対し、このコインは一国を代表する通貨でありながら、なんと実在した人物を肖像にしたのでした。
かくして、金属は神が与えた神の財産であるという宗教的束縛は破られることになったわけです。一度タブーが破られると、大王の後継者は競って自らの肖像をしかも生存中にコインに描くようになり、以後、各地で歴代の諸王の肖像コインが製造されることになりました。この場合、これらの諸国がギリシヤ人の王でありながら、東洋的神制政治の国であったことは当然のことでしたが、やがてギリシヤ本土にまで波及するのは時間の問題でした。そして、この伝統はローマ帝国に受け継がれ、現代にいたるまで存続しているのです。
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