今回で第8回を迎えます「アール・クラシック」。そろそろ、古代ギリシャの時代の終わりが近づき、大詰めとなってきました!
コイン貨面には「ギリシヤの神々」を描く、といったタブーが破られ、王の肖像を描いた貨幣は国の象徴となっていきます。忍び寄る新たな時代の脅威を目の前にして、ギリシヤの貨幣製造はどのようになっていたのでしょうか?
“世界を征服したギリシヤ人は、
やがて世界に征服される”
紀元前3世紀は、ギリシヤ人諸王朝の貨幣が中心となり、国力を失ったアテネなどの有力諸ポリスは、断続的にしか貨幣製造を継続することができませんでした。
時代の変遷とともに、多くのコインの貨面を飾るのはギリシヤの神々ではなく諸王の肖像が描かれるようになりました。また、かつてはポリスの名が記載されていたのですが、後期のこの時期には諸王の名が記載されるようになっていったのです。しかし、マケドニア、セレウコス朝などの隷属した本土や小アジアとは異なり、アレクサンドロスの東征の影響をほとんどうけなかったマグナ・グラキア植民地では、クラシック同様の美しいデザインのコインを輩出していました。が、結局多くは前世紀からの踏襲、模倣にすぎないもので、新たな発展などは起こりませんでした。
また、忍び寄るローマの脅威は、現実のものとなり、2回に渡るローマとカルタゴの戦い、ポエニ戦争を通じ、前2世紀末に全てローマに併合され、その鋳貨の歴史に幕を閉じることになります。栄華を極めた古代ギリシャもあっけなく、舞台から降りてしまうのですね。
ローマが勝利したこの時期、コインの製造法に改良が見られるようになります。従来の肉厚の金属は、さらに真円に近づき、薄くなっていきました。つまり、同じ重量でありながら、直径が大きくなり、今日の貨幣により近づいていったのです。これは、実は、偽造防止と、貨幣の刻印をよりし易くするといった両面の効果があったようです。
前2世紀に入ると、ギリシヤと小アジアの諸ポリスは同盟を組み、第二ポエニ戦争に勝利したローマの助けを借り、マケドニア、セレウコス朝シリアからの再独立国を果たします。再び各地で、大型の金属による新デザインの貨幣が製造されるようになりました。神々の肖像は、クラシック期に比し、貨面いっぱいに大きく表現され、装飾もより精妙を極め、裏面には多くの場合、月桂樹などの冠が配されました。
しかし、これらの新生ギリシヤコインの寿命は短く、うたかたの春を満喫したギリシヤ諸ポリスは、再び内部抗争の結果、アテネなどローマに味方したポリスを除き、前146年、マケドニアと共にローマに併合されます。ローマはいくつかの造幣局で、ギリシア神話式貨幣の製造を許していましたが、やがてローマにの地方造幣局となり、ローマ史の中に埋没していくことになるのです。
さしもの栄華を誇ったヘレニズム諸王朝も例外ではなく、滅亡後、独自の貨幣制度は存続したものの、ローマ帝国成立後、ローマと同様の皇帝の肖像コインに徹することになりました。その後、ローマ以上のコインを製造する術も失い、やがて長い暗黒時代を迎えることになります。
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