こんばんは!
今回で第4回を迎えます『ギリシャコインの世界』…
本日も、「ギリシャ史概論と貨幣の発展」について続きを書いていきたいと思います。
ギリシャ史概論と貨幣の発展④
紀元前357年、フィリップ2世は、東マケドニアのパンガィオン銀山近くのアテネの植民地アンフィポリスを手に入れた。9年後には、カルキディケ同盟の一員であるオリントスの戦いでアテネとテーベの連合軍を破ると、フィリップ2世は、ギリシャの支配者として認められることとなった。
コリントで開かれたギリシャ諸国家議会は、小アジアのギリシャ都市解放を目的としたペルシャ帝国への遠征軍の指揮を、彼に任せることに決定した。遠征への準備も十分に整った前336年にフィリップ2世が暗殺されると、後に『大王』として知られる息子のアレキサンダーがマケドニア王の座を継いだ。
ペルシャ帝国を滅ぼし、そこにギリシャ帝国を築くことになった驚異的な戦闘についてはここで詳述しない。彼の13年にわたる支配が、ギリシャ史のターニングポイントとなったということで十分であろう。都市国家の時代は終わり、エジプトのプトレマイオス王朝やシリアのセレウコス王朝のような大王国の支配する時代となった。これらの王国が弱体化し分裂していくに従って、ローマ帝国の勢力が、東地中海に拡がった。
これらの政治的大変化は、コインにも影響を与えた。多くの都市国家が民主政治時代の最後を謳歌していた前4世紀の前半頃、芸術性に優れたギリシャコインの傑作がいくつか造られた。
アポロの肖像が描かれたアンフィポリスのテトラドラクマ貨、裏面に堅琴が描かれた『カルケディケ』という名のオリントスのコイン、ゼウスと妻のヘラが上品に描かれているオリンピアでへレア人が発行したスターテル貨、裏面に岩に腰掛けるパンが描かれたアルカディア人のスターテル貨は、注目に値するものである。フィリップ2世時代の初期マケドニアコインにも芸術性の高いものがあるが、フィリップ王の領土が拡大してコインが増産され続けると職人の質が低下してしまった。この事は、彼の死後もフィリップ王の名で発行され続けたコインで特に目に付く。
アレキサンダー大王の貨幣は、ペリレクス時代のアテネのテトラドラクマを除けば、ギリシャ世界には未だかつてない、あらゆる点で定刻らしいコインだった。しかし、帝国の発行物として、独立国家が自力で発行したコインに代わって広い地域で大量生産されるようになると、数世紀間に渡って使われたパターンがつくられた。この事は、必然的に芸術性の衰退を招いた。紀元前2世紀に多くの都市が独立性を回復したが、盛り返していくには時が経ちすぎていた。
後期ヘレニズム時代の自治発行コインのなかには、個性的なものがいくつかある。しかし、美しいというよりは興味を引くといった程度のものである。
前323年6月、アレキサンダー大王がバビロンで病死すると、広大な領土をめぐり将軍達の間で争いが起こり、それが延々と続いた。しばらくの間は統一の体裁が保たれたが、「ディアドコイ(後継者戦争)」の結果、独立した諸王国が形成されるに至った。
形式的には、幼いアレキサンダー4世と大王の知的障害者の兄アルリダイオス(フィリップ3世)が大王の跡を継いだ。王が未成年の間は、ペルデイッカス・アンティパトロス・アンティゴノス・プトレマイオス・セレウコス・リシェマコスといった人々が、広大な帝国を監督する権利を握った。彼らこそが本当の大王の後継者であり、そのうちの幾人かは何代も続く王朝の基礎を築いた。
不幸なアレキサンダー4世とフィリップ3世は、アレキサンダー大王が亡くなってから12年もたたないうちに暗殺された。
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資料:『Greek Coins and Their Value』
Seaby社刊/David R Sear著/SPINK社発行
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