こんにちは。
いよいよ1月も最後となりました。
まだまだ寒い日々は続いていますが、2月に向けて頑張りましょう。
さて、本日のブログ記事は、先週に引き続き古代ローマ人の日常に関しての知識をお伝えします。
近頃は寒い日が続いて、家の中の掃除や冷たい水を使う家事が億劫になっていませんか?
と、いうことで今週のテーマは、古代ローマ人の「家事」についてです。
古代ローマ人の日常では、家庭内での家事はどのように捉えられていたのでしょうか?
また、古代ローマの「主婦」とはどのようなものだったのか?
今回は「家事」というキーワードを基にして、古代ローマ人の日常を御紹介したいと思います。
古代ローマ人の日常③
・家事
古代ローマにおける家庭内の仕事とはいかなるものであったのか?
現代の感覚から捉えれば、掃除、料理、洗濯、ベッドメイキング等がまず思い浮かぶ。
しかし、これらは現存する資料からはまず分からないし、そもそも中流階級以上の主婦はこのような仕事を行うことはなかっただろうと考えられている。
というのも、これらは典型的な奴隷の仕事であったからである。
大きな世帯では、一部は専門の使用人が、中流家庭では1人~3人の奴隷が家庭内の家事をこなしていたと考えれている。
このような家事を調整し監督するのは、もちろん一家の主婦の責任であった。
「家を守る」ことは、夫と妻の古典的分業の範囲内では、当然主婦に帰属すべき管理機能であった。つまり、古代ローマの社会では、家庭内の雑務の有無に関わらず、ほとんどすべての家政は主婦の担当であると考えられていたのである。
サー・ローレンス・アルマ=タデマ『婦人と花』(1868年)
一方で、豪邸に住まう一族や地方で荘園を経営するような階級に属した多くの主婦は、その監督義務をも「ウィーリカ」と呼ばれる不自由身分(奴隷)の女管理人に委ねることが多くみられた。特に大きな屋敷ではそうした伝統が代々引き継がれ、農園を管理する不自由身分の管理人の妻が、その家庭の他の奴隷たちの家事を監督していた。
つまり、多くの使用人たちをまとめるチームマネージャーのような存在であり、ヴィクトリア朝時代の英国にみられた「メイド長」のようなものである。
ウィーリカは住居を清潔に保ち、家人から使用人たちの食事にまで気を配っていたのみならず、大きな農場を有している屋敷では、果実の収穫、穀物挽き、家禽の世話等、夫の役割も補佐していた。
そのことから、郊外の大荘園主の妻は家事をほとんど行わなかったのではないかと推察される。
都市部に住む上流階級の邸宅 「ドムス」
荘園を持たない都市の上流階級の大屋敷でも、多くの奴隷が使用人として存在していた。料理、掃除等の日常的な家事は、そうした奴隷たちが担当していた。
都市部の家庭でも、家事を女監督人に委ねることが多かったが、一般的には世帯主の妻自らが監督責任を担った。食事の作り方や掃除の仕方、日々のやるべきことを使用人たちに教え込み、また日頃からその働きぶりをチェックしていたのである。
また、妻は家計簿の管理も行い、家庭の金の出入りを厳しくチェックしていた。
この辺りは、現在の社会にも通ずるものがあるように感じられる。
しかし、大多数の一般的な市民の家庭には、奴隷などを抱えることは出来なかった。奴隷を使えない以上、当然 家事は家族が自らこなさなくてはならなかった。
家事の大部分は、ローマの社会に深く根差した役割の規範に基づいて、妻が受け持ってきたといえるだろう。 上流階級の妻や母に期待された役割は、ローマの社会全体で理想化され、それが無差別に社会の全階層に転用されていたようである。
加えて羊毛の加工作業は、中流階級以上の女性にとって模範的家事の一つとして認識されていたようである。 現在のように機械の並ぶ工場がない時代には、細かな手仕事で、しかも家庭の中で行えるとあって、女性向の仕事と捉えられていたのかもしれない。
事実、羊毛加工の仕事は、貴婦人に相応しい家事の一つとして長年讃えられてきた。
亡くなった妻を讃えたいと思う夫は、墓石の上に「貞潔」「優しさ」「従順」等の愛と感謝の言葉と並んで、当たり前のこととして羊毛加工の仕事(ラーニフィキウム)を刻ませたほどである。
都市部では乳母、女優、芸人、踊り子、売春婦等が女性の代表的な仕事であり、加えて小売業や織物業でも女性の姿が多くみられた。その中で家事も担っていたことを想像すると、家庭内での女性の負担は大きかったと思えてしまう。
ただ、ローマ等、都市部の住居の質素な調度とその量の少なさが、負担を軽くしてはくれていた。また、洗濯業では多くの男性従業員が働いていたことからも推測できるように、男性の洗濯屋が一般家庭の洗濯仕事を受け持っていた可能性もある。
料理に関しても、下層階級が住む「インスラ」と呼ばれた集合住宅には、住居に台所もかまどもなかったので、そもそも家庭内で料理ができないことが多かった。家に台所が無い人々が温かい食事を口にするには、ローマ市内の至る所にあった軽食堂を利用していたと思われる。
日常的に屋台や軽食堂を利用することで、あまり料理をしないという食生活は、現在の東南アジアの都市部でもみられる生活スタイルである。
古代ローマの集合住宅 「インスラ」(写真は復元模型)
軽食堂は道路上に出店された、いわば屋台であり、サービスカンターに加えて簡単な椅子とテーブルが路上に並んでいた。その為、帝政期のローマでは街中の交通の流れを滞らせ、多くの苦情も寄せられていたが、ローマ市内に住む庶民にとって、そこが唯一温かい食事を口にできる場所であった。
したがって、ローマ市内に住む女性が家事に費やした時間とエネルギーは、全体として見ても今日の一般的な量にはるかに及ばなかったといえるだろう。
しかしそれ以上に、型にはまった家事を「天職」だの心からやりたいことだのと感じた人はほとんど誰もいなかったと思われる。
しかし、「家を守る」という役割を期待された女性に対し、夫は様々な形で愛情と感謝を表したと思われる。「幸福な家庭」像は、現在と同じく古代ローマでも存在しており、男性にとってその理想と幸福を護ってくれる「家庭の天使」たる妻は、大切な存在だったのだ。
サー・ローレンス・アルマ=タデマ『ローマ人の家族』(1868年)
様々な文献、石碑には妻を思い慕う夫の想いが残されている。愛妻が亡くなった際、残された夫はその愛と感謝の気持ちを、妻の墓石に刻ませたのである。
それらの史料は、夫婦の愛情が古今東西不変であることを、現代の我々に物語っているのである。
最後に、かつて、ローマ帝国初代皇帝アウグストゥス(在位:前27年~14年)が、妻リウィアに対して贈ったプロポーズの言葉を以下に御紹介する。
アウグストゥス帝(在位:紀元前27年~紀元14年)
ローマ帝国初代皇帝。アウグストゥスはラテン語で「尊厳者」の意。
オクタウィアヌスは紀元前27年に同称号を受け、帝政が開始された。
写真は紀元前18年~紀元前16年にかけて鋳造されたデナリウス銀貨。
http://www.tiara-int.co.jp/detail.html?code=654281
穢れなく家庭的で慎ましく、
子どもたちを正しく育て、
健康な者が病に罹った折には看病する
あなたと幸福を分け合いたい
もしも不運に見舞われたときには、
慰めてくれる女よりも良いものが果たしてあろうか?
カッシウス・ディオーン 『ローマ史』より
本日は以上となります。
皆様、御体にはくれぐれも気を付けて、新しい月を迎えましょう。
2月も宜しくお願いします。
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