こんにちは。
だいぶ涼しくなり、すっかり秋らしい日も多くなってまいりました。
さて、前回はギリシャコインに関する記事をご紹介したので、今回は古代ローマコインに関する話題をご紹介します。
ローマ帝国コイン
古代ローマコインは大きく「共和政時代」と「帝政時代」に分けられます。
共和政時代のコイン様式はギリシャコインと似ており、神話に登場する神々の姿が表現されています。
ローマ共和政時代のデナリウス銀貨に表現された代表的な神は「ローマ神」です。
ローマ神は都市国家であったローマの守護女神であり、その姿は翼の付いた兜を被った横顔が表現されていました。細かく見ると、イヤリングなどの装飾も刻まれており、女神であることが分かります。
共和政時代を通して長く表現されたローマ神は、共和政ローマそのものを具現化した存在であったと考えられます。
(写真はBC111年頃のデナリウス銀貨)
一方、帝政時代のコインは、その時々のローマ皇帝の肖像が表現されているという特徴があります。共和政時代の末、ローマの実質的な独裁者となったユリウス・カエサルが自らの肖像をコインに表現させて以降、オクタヴィアヌスやマルクス・アントニウスなど、実在の人物がコイン上に表現されるようになりました。長年、共和政を国是としていたローマのシステムが行き詰まり、強力な指導者の登場を時代が求めた故の現象といえます。
BC27年、オクタヴィアヌスは元老院より「アウグストゥス(尊厳者)」の尊称を授けられ、これをもってローマの帝政時代の開始とされます。以後、初代皇帝アウグストゥスの時代から5世紀の西ローマ帝国滅亡まで、イタリア半島で発行されたコインには皇帝の肖像が打たれるようになったのです。
(写真は皇帝に即位する前のオクタヴィアヌスを表現したデナリウス銀貨[BC32年])
コインにはその時々の皇帝だけでなく、皇妃や副帝といった皇族の肖像も打たれ、その人物が当時、ローマ帝国の中央政界でいかに大きな影響力を持っていたのかが伺えます。
五賢帝の一人、マルクス・アウレリウス帝の副帝時代に発行されたデナリウス銀貨。トレードマークの豊かな髭が無い若者の姿。(AD140年発行)
アントニヌス・ピウス帝の皇妃ファウスティナを表現したデナリウス銀貨。
AD140年に崩御したファウスティナ妃は、死後にローマ元老院によって「神」に列せられた。この銀貨はAD145年に発行されたもの。
15世紀末にイタリアを中心に興った古代文化・文芸復興運動「ルネサンス」の時期には、帝政時代のローマコインを体系的にまとめて研究し、そこからローマ時代の歴史、政治、文化を明らかにする取り組みが試みられました。コイン上に刻まれた皇帝の肖像と銘文を手掛かりに、その時代の政策や歴史的事件、信仰を解き明かそうとしたのです。
歴代のローマ皇帝の肖像を刻んだコインは、イタリアやドイツ、フランスの文化人や王侯貴族を魅了しました。貴族や王侯は出入りの骨董商にローマ時代のコインを見つけさせては、屋敷や宮殿の宝物庫に納めさせました。書斎や図書室の引き出しに収納できる、小さな古代ローマ帝国の遺物は、ルネサンス時代を生きた人々を古代のロマン溢れる世界へ誘ったのです。
当時の王や貴族、富裕な商人や文化人も、現代の我々と同じように夜な夜な一人書斎に篭ってコレクションを眺め、それらが実際に使用されていた古代の世界に想いを馳せていたことでしょう。
また、歴史的にヨーロッパの王侯貴族は、子弟の帝王学教育、歴史教育の教材としてもローマコインを用いました。ルネサンス時代に起こった古代コイン収集熱は、今のコインコレクション市場の基礎となったのです。
神聖ローマ帝国皇帝でありスペイン王であったカール5世(皇帝在位:1519年~1556年)も、熱心なコインコレクターの一人でした。宮廷に出入りするイタリア人商人に注文し、イタリアで発掘された古代遺跡から出土した珍しいコインをドイツまで送らせました。
このイタリア⇒ドイツへの古代ローマコイン供給によって、ドイツにはローマコインが多く流れ込み、コイン収集・研究の土台ができました。現代でもフランクフルトやミュンヘンでは、古代ローマコインが盛んに取引されています。
カール5世 (カルロス1世)
(神聖ローマ帝国皇帝在位:1519年~1556年、スペイン王としては「カルロス1世」 在位:1516年~1556年)
また、近現代では、イタリア王 ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世(在位:1900年~1946年)も古代コインに魅了された王の一人であり、彼に至ってはコイン研究書まで著しています。
さらにコイン発行の最高権限者でもある自らの地位を最大限活用し、イタリア本国と植民地で多種多様なデザインのコインを発行したことでもしられます。その多くは、古代ギリシャ・ローマのコインからインスピレーションを受けたと思われるデザインが多くを占めています。
自らが理想とする芸術的なコインを実際に造り、それを公的に発行してしまうのは職権乱用のような感じもしますが、それらのコインは収集家の人気の的となり、現在でも市場で高値で取引されています。
国王は第一次世界大戦とファシストの台頭、第二次世界大戦の敗北に伴う王国の消滅を経験し、失意のうちに亡命先で亡くなりました。20世紀前半の世界情勢に翻弄された、苦労の多い君主でしたが、彼の作品とも言えるコイン達が今も尚、世界中のコインコレクターを魅了し、垂涎の的となりえていることを考えれば、コインコレクター冥利に尽きるといったところではないでしょうか。
1914年発行の2リラ銀貨。肖像はヴィットーリオ・エマヌエーレ3世。
裏面には四頭立て馬戦車を操るミネルヴァ女神が美しく表現されています。彫刻法や製造法は近代的ですが、裏面の構図はローマ共和政時代のデナリウス銀貨裏面と類似しています。
三頭立て馬戦車(トリガ)を操るヴィクトリー女神が表現されています。この構図はローマ共和政時代のデナリウス貨裏面に多くみられました。馬戦車がビガ(二頭立て)であったり、または山羊であるなど、多様な種類が存在します。馬戦車を操る神も様々です。
さて、話題をローマコインそのものに戻しましょう。
ローマ時代のコインがローマ帝国史を知るうえで重要な史料となると考えられたのは、コイン上に表現された歴代のローマ皇帝達の肖像は、今は亡き本人の顔つきと性格を巧みに表現していると考えられるからです。
ネロ帝の二重あごから、ウェスパシアヌス帝とティトゥス帝の親子がみせる、よく似た頑固そうな顔つき、ネルヴァ帝の鷲鼻からユリアヌス帝の豊かな哲学者風山羊顎髭まで、歴代皇帝達の個性あふれる風貌を時に大げさに、時に写実的に表現しています。
ネルヴァ帝(AD97年) ユリアヌス帝(AD361年-AD363年)
日本では明治時代に入るまで、一般民衆は天皇や将軍の顔を知ることなく一生を終えていたことを考えると、大変興味深い文化の差だといえます。
しかし帝政後期に入ると、初期キリスト教主義の影響から写実性はあまり重視されなくなり、形骸的な無個性の肖像が多く用いられるようになります。時代が下るより、むしろ帝政時代の初期の方が、顔だけで皇帝を判別することが容易なのです。
現代の我々が見ても、コインの肖像を見ただけでどの時代のローマ皇帝かを判別することは容易です。コインに打たれた肖像は、現存する皇帝の胸像と極めてよく似ているからです。
ただ、皇帝によっては自らの肖像を修正させ、理想的な姿を打った例も見られます。最も顕著なのは初代アウグストゥス帝(在位:BC27年~AD14年)です。
アウグストゥスは威厳に満ちた自らの肖像を、ローマ帝国に住む多くの住民に知らしめることに腐心しました。
アウグストゥスの妻リウィアが所有していたプリマ・ポルタの別荘に置かれていたアウグストゥスの立像は、威厳に満ちた最高権力者であり、勝利者の彫像です。
プリマ・ポルタのアウグストゥス
発掘された際は既に白色だったが、当時は着色されていたことが判明している。
これら彫像は多くコピーされ、ローマ市内をはじめ帝国各地の公の場に立てられました。アウグストゥスの公的なイメージを広める意味でそれ以上に重要な役割を担ったのが、経済流通で人から人の手に、広い大帝国内を無限に渡り歩く媒体「コイン」でした。
BC2年~AD12年に発行されたアウグストゥス帝のデナリウス銀貨。
治世初期の肖像は共和政時代末と同じく無冠でしたが、政権が安定すると勝利者の証である「月桂冠」を戴いた端整な顔立ちの肖像を表現させました。
この様式はその後も継承され、コインに表現されるローマ皇帝の肖像は月桂冠を戴いたものが標準と成りました。
ローマ帝国時代のコインは支配者たる皇帝の顔を、帝国に住む末端の民に至るまで広く知らしめる役割が期待されていました。そのため、皇帝は自らの政治信条や戦場での勝利を、肖像の裏面に寓意的なモティーフとして打たせたのです。今では、その特徴的モティーフと当時の文献史料とをすり合わせることで、そのコインがいつごろ造られたのかを特定することができるのです。
本日はここまでとさせていただきます。
次回もお楽しみに。
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