こんにちは。
ご無沙汰しておりました。
すっかり更新が滞ってしまい、誠に申し訳ありません。
今回から、また定期的に、少しずつではありますが、ブログを更新していきたいと思います。
さて、今回からは、古代ギリシャ・ローマコインに関する情報を発信していきたいと思います。
毎回、古代ギリシャ・ローマの代表的なコインを紹介し、そのコインに関することをお伝えします。
今回は、古代ギリシャの代表的コインであるアレキサンダーコインをご紹介します。
アレキサンダーコイン
アレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)は、BC336年からBC323年まで在位した古代マケドニア王国の若き王です。彼は少年時代より数々の武勇を誇り、その存在は当時から生ける伝説として知られました。
マケドニア王 アレクサンドロス3世
(英名:アレキサンダー 在位:BC336年~BC323年)
父王フィリッポス2世亡き後、父の領土拡大路線を引き継いだ20歳のアレキサンダー大王は、ギリシャ全土に留まらず、小アジア(現在のトルコ)、シリア、エジプトへ遠征し、広大な領土を我がものとします。
エジプトで「ファラオ」の地位を得たアレキサンダーは、長年ギリシャ世界の脅威であったペルシアへ遠征し、これを征服しました。さらにそれでは飽き足らない大王は、中央アジアを経てインドへの遠征を行いますが、部下の疲労や自身の体調不良から侵攻を諦め、ギリシャへと帰還する途上で亡くなりました。
32歳という若さでしたが、彼が戦いに明け暮れた12年の間に帝国はかつて無いほどの広がりをみせ、ギリシャ世界と東方文明の融合という「ヘレニズム時代」を築きました。
征服地には、部下を入植させて現地人女性との結婚を奨励しました。そうして築かれた都市は、大王の名から「アレクサンドリア」と呼ばれるようになり、現在残る地名ではエジプトのアレクサンドリアが最も有名です。
アレキサンダー大王の帝国(最大版図)
さて、ここで取り上げるアレキサンダーコインとは、通常ヘラクレスの肖像が表現されたテトラドラクマ銀貨を指します。テトラドラクマの「テトラ」とは、古代ギリシャ語で「4」を示し、ドラクマ銀貨4枚に相当した大型銀貨です。
アレキサンダー大王時代より以前から、テトラドラクマ銀貨はギリシャ諸都市で発行され続けていましたが、重量はほぼ等しいものの、そのデザインは各都市によって異なりました。
当時のテトラドラクマ銀貨は日常的に使われていたコインではなく、交易や戦争、神殿建設など大規模な出費が伴う際に、対外決済用として発行されていたものでした。
アレキサンダー大王は、自らが征服した地域内の交易が円滑に進むように、また、東方遠征の戦費を調達するために統一されたデザインのテトラドラクマを発行させました。
アレキサンダー大王の在世中に発行されたテトラドラクマ銀貨
表面にはヘラクレスの肖像が、裏面にはギリシャ神話の最高神ゼウスの坐像が表現されています。ゼウス神は右手にゼウスの聖鳥である大鷲を休ませています。ゼウス坐像の右側には、古代ギリシャ語で「アレクサンドロス」を示す「AΛEΞANΔPOY」の名が刻まれています。
この組み合わせのモティーフは、ドラクマ銀貨など、他のコインにも用いられました。
アレキサンダー大王は生前より、自身をギリシャ神話の英雄ヘラクレスの末裔と自称していました。
ヘラクレスはゼウスの子であり、神の力を備えた猛々しい英雄として、当時のギリシャ男児の憧れの存在でした。北方のマケドニア王国は、当時のギリシャ人からは周辺に住む「蛮族」と見做されていたため、ギリシャ地域で権威を持たせる意味合いもあったのです。
この銀貨に表現されたヘラクレスのモデルは、アレキサンダー大王本人であったと考えられています。
当時のギリシャ諸都市で発行されたコインには、存命中の人物が表現されることは無く、多くはギリシャ神話の神や女神でした。アレキサンダー大王もそれに従い、文字通り表面上は「ヘラクレス」として表現させましたが、実際はライオンの皮を被った自らの肖像を打たせ、自身の権威が神に並ぶものとして示したと考えられます。
当時のギリシャ人やマケドニア人は、武功のある軍人や王に対しては「優れた指導者」と見做していました。一方、エジプトやペルシアなどのオリエント諸国では、王は「神に近しい存在」と考えられていました。
オリエント諸国を征服し、自らの大帝国を夢見る大王にとっては、ギリシャ風の「機能的な指導者」像よりも、エジプトやペルシアのように強く、神聖不可侵な帝王像が魅力的だったのです。
アレキサンダー大王が亡き後、大王の後継者達が各地で発行したコインをみると、アレキサンダーが自身を「神」に見立てていたことがよく分かります。後継者達は亡き大王の権威と名声を最大限活用し、自らの正統性をアピールしました。その過程で、大王の神格化がコイン上でも進められていたのです。
その為、従来のヘラクレススタイル以外の肖像でも、数多くのアレキサンダーコインが造られました。
プトレマイオス朝エジプトをはじめとするいくつかの地域では、角の生えたアレキサンダーの肖像をコインに表現しました。これはエジプト遠征の際、アレキサンダー大王本人が現地の神官より、「大王はアモン神の生まれ変わり」との神託を受けたことに由来しています。
アモン神の角を有した大王を表現したテトラドラクマ銀貨
(この銀貨は大王の死後、トラキアで発行されたもの)
また、東方に遠征し、最終的にインド征服を企てていた大王の姿は、象の皮を被ったスタイルでもコインに表現されています。
当時、象は戦闘において「戦車」の役割も果たしました。敵方を威圧し、戦意を喪失させるには大変効果的であったと思われます。象皮の頭巾は言わば武功、武勇の象徴でもありました。
象の皮を被るアレキサンダー大王
(大王の死後、エジプトで発行されたもの)
象戦車を用いた古代の戦闘風景
(BC326年 ヒュダスペス河畔の戦い)
大王が亡くなった後も200年以上の長きに渡り、地中海を中心として多くのアレキサンダーコインが各地で発行されました。それはかつて大王が示した経済的、軍事的威光が、後世まで広い地域に影響を与え続けていたことの証でもあります。
長い年月、地中海各地で造られ続けたアレキサンダー大王のコインは、「ヘラクレス/ゼウス神坐像」という基本的なスタイルを保ちながらも、各時代、地域の彫刻師による個人差が表されています。同じテーマを与えられても、描く人によって差異が出るのと同じように、アレキサンダーコインは当時の人々や地域の持つ技術力や美意識が反映されています。
古代コインコレクションを行うにあたって、多種多様なアレキサンダーコインの中から「これは!」と目に付いたものがあれば、それはその人の感性と、そのコインが造られた時代、地域、造った彫刻師の感性が見事にシンクロした瞬間といえるでしょう。古代に生きた人々と現代を生きる人々をつなぐところに、古代コインのロマンがあると感じます。
アレキサンダーコインの面白味は、そういったところに感じられる「感性の個人差」でもあります。
アレキサンダーコインに関するお話は尽きることがなく、アレキサンダーコインのみについて書かれた専門書も存在するほどですが、ここでは割愛させていただきます。
今回はこの辺で。
次回からも、代表的な古代ギリシャ・ローマコインの紹介をさせて頂きます。
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