こんにちは。
本日は、代表的なギリシャコインについての記事をご紹介させていただきます。
今回はロードス島 ヘリオス神のコインの紹介です。
ロードス島 ヘリオス神のコイン
ギリシャ神話に登場するヘリオス神は、クァドリガ(四頭立て戦馬車)に乗って天空を駆ける「太陽神」として描かれています。ヘリオス神はローマ神話では「ソル」の名で知られるようになり、ソル(Sol)はやがてラテン語圏で「太陽」を意味するようになります。
ヘリオス神は長髪の若い美男子として表現されることが多く、その頭には太陽神としての光明を表す「光の冠」が乗せられた姿である場合が多く見受けられます。また、ヘリオスの聖鳥は朝の到来を告げる「雄鶏」とされました。
太陽神ヘリオス
ヘリオス神のクァドリガは太陽をひくと考えられ、それが周期的に天空を駆け巡ることから、一日の間に朝・昼・夜と変化すると考えられました。尚、ヘリオス神のクァドリガの後ろには、月の女神セレーネがついてゆくとも捉えられ、天空の動きを説明する要素のひとつになりました。
彼の息子にパエトンという人物がいます。彼は父親のクァドリガを借りて、自らが太陽を率いようとしましたが、初めての運転は上手くゆかず、やがて地上へ向かって走り出させてしまいした。太陽が近づき過ぎた地上は草木や農作物が枯れ、水は干上がりそうになります。そこで大神ゼウスは自らの雷をパエトンに放ち、パエトンを殺して太陽を天空へ戻したとされます。
(※伝承によっては、サハラ砂漠ができたのも、アフリカ人の肌が黒くなったのもパエトンが太陽を地上に近づけさせた為、と説明されることもあります。)
ゼウス神の雷で射落とされるパエトン
暴れ狂い、混乱する馬車はヘリオス神のクァドリガ
さて、ヘリオス神とロードス島の関連ですが、ロードス島には「ロードスは太陽神ヘリオスに捧げられた島」という伝承があり、島の各所でヘリオス神を祀っていたと考えられています。
最も有名な逸話では、世界七不思議の一つに数えられる「ロードス島の巨像」です。
ヘレニズム時代、亡きアレキサンダー大王(マケドニア王アレクサンドロス3世)の部下達は後継者戦争を東地中海各地で繰り広げました。エーゲ海に南部に位置したロードス島は海運で栄え、アナトリア(現在のトルコ)にも近いことから、軍事的な要衝でもありました。
この戦争中、ロードス島はプトレマイオス陣営に付き、対岸のアナトリアを支配したアンティゴノスの軍を牽制するのに活躍しました。後にプトレマイオスが興したプトレマイオス朝エジプトはこの功績を称え、ロードス島の庇護者となり、海運業を保護して繁栄を約束したとされます。
アンティゴノスとの戦いに勝利したロードス島民は、この勝利を守護神ヘリオスのおかげとして、戦勝記念の巨大なヘリオス像を建設しました。これが後に「ロードス島の巨像」と呼ばれることになるヘリオス像です。
ロードスの巨像
(画像は後世の想像図。その具体的な姿は未だ不明である。)
ヘリオス像は海運の中心地であるロードス港に建てられた高さ50メートルにもなる巨大なブロンズ像であったと考えられています。ヘリオス像の持つ松明は夜になると火が灯され、灯台の役割も果たしたといわれています。
BC284年に完成したこの像は、地中海世界の代表的名所として、当時の記述にも多く登場しました。海運業で港に停泊した船の乗組員は、ロードスの港で目にした巨大な像の話を、誇張を交えながら目的地やふるさとで話したと思われます。
一大観光名所となった巨像ですが、BC226年の巨大地震で倒壊。当時のエジプト王プトレマイオス3世は再建を申し出るも、島民は「大き過ぎる像を建てた人間達に対するヘリオス神の怒り」によって像は倒壊したのだと考えて申し出を断り、二度と再建されることはありませんでした。
土台や残骸は長らく放置され、それも一種の観光地となりましたが、後にロードス島を占領したイスラーム教徒の軍団、ウマイヤ朝軍によって跡形もなく持ち去られたといいます。
紀元前3世紀に存在した超巨大な像は、もはや伝承によってしかその存在を確認できず、姿かたちを全く留めていないことから「世界七不思議」の一つとされました。
ロードス島のドラクマ銀貨(BC166-BC88)
表面にはヘリオス神。裏面には四角陰刻内のバラ。
そのロードス島で造られた古代コインの多くは、そのほとんどにヘリオスの肖像が表現されています。表面にはロードス島の守護神ヘリオスの肖像、裏面にはバラの花が打たれています。
かつて、ロードス島がヘリオス神に捧げられた際、その島には美しいバラの花が咲き乱れており、ヘリオス神はこの島を大層気に入ったという伝承に由来するデザインです。今でもロードス島は「太陽とバラの島」と称され、風光明媚なエーゲ海の島として人気が有ります。
ロードス島とヘリオス、バラの関係性は諸説あり、その由来は定かではありませんが、少なくとも現存するコインを見る限り、「ヘリオス」と「バラ」が古代のロードス人にとって重要なモティーフなっていたことは間違いありません。全時代を通してみても、「ヘリオス/バラ」の組み合わせ自体は長く継承されていたことが分かります。
コイン上のヘリオスは横顔だけでなく正面を向いたもの、斜め前を向いたもの、光の冠を被ったものとそうでないものなど、バラエティに富んでいます。裏面のバラも、小さな葡萄房が入ったものや太陽が入ったものなどが確認されており、一応に「ヘリオス神/バラ」といってもバラエティに富んでいます。
これはギリシャ・ローマコイン全般に言えることですが、同じ組み合わせのモティーフであっても、造られた時代や彫刻師の個人差によって趣向が大きことなります。そこが古代コインの面白さでもあります。
ロードス島のドラクマ銀貨(BC150-BC125)
光の冠を戴くヘリオス神。裏面はバラの花と小さな太陽。
ロードス島 ディドラクマ銀貨(BC340-BC316)
斜め前を向いたヘリオス神。光の冠は被っていない。
裏面にはバラと共に葡萄の房が表現されている。
ロードス島 ディオボル銀貨(BC188-BC84)
表面はヘリオス神の横顔。裏面は四角ではなく、円に縁取られた囲いの中にあるバラの花。
ロードス島 ドラクマ銀貨(BC200-BC101)
長髪を逆立たせ、斜め前を向くヘリオス神。裏面は縁が全く無いバラの花。
ロードス島 ドラクマ銀貨(BC170-BC150)
光の冠を被ったヘリオス神の横顔。裏はバラの花と共にカデュケウス(伝令の杖。ヘルメス神の持物)が打たれている。
様々なタイプがあるヘリオス/バラのコインですが、時代が下がってゆくとマケドニアなどの地域でも、ロードス島のコインを模倣したような「ヘリオス/バラ」のコインが造られました。
エーゲ海の要衝であり、東地中海交易の中心地のひとつであったロードスのコインは島内に留まらず、交易で立ち寄った船に乗ってギリシャやエジプトなど、東地中海各地へ旅したと考えられます。
余談ですが、時代が下がって中世の時代、ヨーロッパのある小さな教会で、「ユダがイエスを裏切った際に得たシュケル銀貨」として大切に納められていた銀貨は、なぜかロードス島のヘリオス神が描かれた銀貨だった、という逸話が残っています。
(※ローマ帝国時代初期のパレスティナでは、皇帝の肖像を刻んだデナリウス銀貨が流通しており、ユダの受け取った銀貨30枚もデナリウス銀貨だったと考えられる。)
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