こんにちは。
本日は古代ローマ帝国のコインをご紹介します。
今回は五賢帝の一人として名高いアントニヌス・ピウス帝の時代に発行されたコインです。
アントニヌス・ピウス帝
アントニヌス・ピウス帝の「ピウス」とは、「敬虔者」「慈悲深き者」の意味であり、皇帝即位後に元老院から授けられた称号です。後世、カラカラ帝なども「ピウス」の尊称を授かりましたが、通常「ピウス」といえば、ローマ五賢帝の一人 アントニヌス・ピウス帝を指します。
彼はAD86年に政治家の息子として生まれました。祖父と父は執政官を務めた富豪であり、恵まれた環境で育ちました。元老院議員、財務官、法務官、執政官など、ローマ政治の中枢で要職を歴任し、属州の総督も経験しました。
AD138年、当時のハドリアヌス帝の養子となり、「副帝」として事実上の帝位継承者となります。
実際には、ハドリアヌス帝はマルクス・アウレリウスを後継者としたかったようですが、マルクスがまだ若すぎるということもあり、行政経験豊富で人格者として知られたアントニヌスを後継に指名したのです。尚、その後をマルクス・アウレリウスに継がせることもこの時から決まっていました。
「高潔」『謙虚」という言葉がぴったりのアントニヌスは、皇帝に即位してもその姿勢を曲げることはありませんでした。元老院や軍との関係にも気を配り、持てる莫大な富を市民に還元することを忘れませんでした。贅沢に溺れることはなく、素朴で静かな生活を好み、公私を混同させることは無く振る舞いました。彼は国庫の金を自らのために使うことはせず、極力自分の私財から支出しました。
謙虚で相手を敬う気持ちを持ち続けた皇帝はあらゆる人々から幅広い支持を受け、まさに「聖人君子」という言葉がよく似合う治世を実現します。トラヤヌス帝や先代のハドリアヌス帝が独断・強行型の強い指導者であったのとは対照的に、アントニヌス・ピウス帝は合意形成を重視する協調型の指導者でした。
アントニヌスの共同浴場 [世界文化遺産]
アフリカ属州(現在のチュニジア)の中心都市カルタゴに建設された大型公衆浴場。巨大なサウナ室もあり、地中海に面した風光明媚な立地に建てられた。
アントニヌス・ピウス帝の治世下に建設され、通称「アントニヌス浴場」の名で呼ばれた。
トラヤヌス帝時代に領域を最大化し、ハドリアヌス帝によって防御強固なものとしたローマ帝国は、空前の平和と繁栄の時代を迎えました。いつしか当時のローマ人は「黄金世紀」、後世の人々からは「パクス・ロマーナ」と呼ばれる時代の到来です。ローマにとって幸運であったのは、この絶頂の時代にトップに君臨したのが暴君や暗君、浪費家ではなく、高潔で人徳にあふれ、人望を大いに集めることの出来た大人物であったということでしょう。
アントニヌス・ピウス帝時代は周辺諸国との紛争も少なく、皇帝は首都ローマから離れることなく広大な帝国の統治を行えました。行政機関が確立されていた、平和な時代のローマ帝国ならではといえるでしょう。また、周辺諸国との対立が起こりそうな場合も、アントニヌス・ピウス帝は相手国に直接書簡を出し、平和的に収めさせたといわれています。
アントニヌス・ピウス帝は即位時に52歳であり、当時のローマ人から見れば既に高齢でしたが、彼の治世は23年に及びました。平和な時代で皇帝自ら外征に赴くことも無く、また本人も規律正しい穏やかな生活を送っていたことから、長寿を実現できたのです。
彼は23年にもわたる在世中、大きな改革や変更を行わず、また大事件や戦役も起こりませんでした。皇帝自身の人柄や人間関係も良好であり、個人的なスキャンダルとも無縁でした。欲望や人間味溢れるドラマテックなローマ帝国史にあって、あまりにも完璧すぎ、特筆すべきことの無いアントニヌス・ピウス帝の治世は異例中の異例でした。後世の歴史家は、彼に「歴史無き皇帝」という評価を下したほどでしたが、それは決して批判的評価ではなく、むしろ戦争や虐殺で彩られたローマの歴史にあっては最大限の賛辞といっても差し支えないでしょう。
アントニヌス・ピウス帝顕彰レリーフ
ローマの神々に祝福されながら天に召されるアントニヌス・ピウス帝と皇后ファウスティナ。アントニヌス・ピウス帝亡き後に作られました。
平和と秩序を愛し、繁栄した治世を実現させたアントニヌス・ピウス帝時代のコインは、皇帝の財政健全化政策もあって金性や価値が安定していました。治世中、数多くの尊称を元老院から贈られた皇帝は、コイン上の自らの肖像周囲部に細かくその称号を刻みました。
デザインとしては、他の皇帝と同じく表面に月桂冠を戴く皇帝の肖像が打たれています。アントニヌス・ピウス帝のコイン肖像の特徴は、面長で豊かな髭を蓄えた皇帝が、上目遣いで表現されている点です。また、その鼻は高く、教養溢れる落ち着いた紳士の風を醸し出しています。
美男としても知られた皇帝の謙虚な人柄を巧く表現した彫刻になっています。なお、コイン肖像では首が非常に長く表現されているのも特徴です。目元は他の皇帝のように力強いものではなく、目尻が下がったように表現されています。ここからは裏面も合わせて、代表的なコインをご紹介します。
デナリウス銀貨 (AD145-AD147)
表面にはアントニヌス・ピウス帝の肖像。
裏面には「握手」の図。これは皇帝とローマ軍団との信頼・友好関係を示しているとされます。
デナリウス銀貨 (AD150-AD151)
裏面は平和の女神 パックスの立像。平和を尊び、安定した治世をローマに実現させた、アントニヌス・ピウス帝の信条を明確に表しています。立像の下部には、「PAX」の刻銘。
アス銅貨 (AD138-AD161)
裏面には希望の女神 スペースの立像。女神を挟むように打たれた「S/C」の刻銘は、「元老院決議に基づく」のラテン語略銘です。当時、銀貨と金貨の発行権限は皇帝に属していましたが、銅貨の発行に関しては元老院の管轄でした。
アウレウス金貨 (AD158-AD159)
裏面は神祇官のトーガを身に纏ったアントニヌス・ピウス帝自身の立像。アントニヌス・ピウス帝は武人として表現されるより、文官、神官としてコインに表現される例が多く見られます。同様のデザインは、デナリウス銀貨にも打たれました。
アウレウス金貨 (AD140-AD143)
表面 上目遣いのアントニヌス・ピウス帝の肖像周囲部には、「国父にして護民官権限を持つ皇帝アントニヌス・ピウス 執政官三回目」との銘文がある。
裏面には最高神 ユピテル(ジュピター)の立像。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
次回も宜しくお願いします。
コメント