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本日は古代ギリシャのコインをご紹介します。
今回は、アレキサンダー大王による征服後、エジプトを支配した「プトレマイオス朝」のコインに関する記事です。
プトレマイオス朝エジプト
プトレマイオスコイン
プトレマイオス朝エジプトの始祖
プトレマイオス1世ソーテール
特徴的な彼の顔つきは、コインの上にリアルに、そして2世紀以上の長きに亘って刻まれることになった。
プトレマイオス朝以前からエジプトには、ファラオを頂点とする高度な文明社会が栄えていました。ギザのピラミッド建設に代表されるように、高度な建築技術や数学知識を古くから有した国であり、また古代エジプト神話に基づく神権政治が数世紀に亘って続けられていたのです。
しかしピラミッドが建設された頃、または少年王ツタンカーメンが健在であった時代には、エジプトには「コイン」といった貨幣は存在しませんでした。古代エジプトは高度な文明社会を形成していましたが、経済的には麦といった食糧や、貴金属製品などを介した物々交換が基本となっていたのです。
ギザの三大ピラミッド
紀元前2500年前後に建設されたとされる。数十年以上の年月をかけ、膨大な労働力が費やされた。
古代エジプトで、現在の我々がイメージする「コイン」を造り始めたのは、古代エジプト史でいえば末の末、最後の王朝となったプトレマイオス朝の時代になってからでした。このプトレマイオス朝は、ギリシャ系マケドニア人が建設した外来の王朝でした。プトレマイオスは、ギリシャの「ドラクマ」を基準とする通貨制度を持ち込み、ギリシャ式のコインをエジプトで造幣・発行しました。このことからプトレマイオス王朝がエジプトで造ったコインは、広い意味での「ギリシャコイン」に含まれます。
プトレマイオス朝を興したのは、かのアレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)の腹心将軍の一人であったプトレマイオス1世ソーテール(BC367年~BC282年)です。なお、「ソーテール」とはプトレマイオスに付けられた尊称であり、「救済者」の意味です。
プトレマイオスはアレクサンドロスが幼少の頃よりの友人であり、よく行動を共にして信頼関係を深めたと云われます。プトレマイオスはアレクサンドロスによる東方遠征にも同行し、大王と呼ばれた友をよく補佐しました。伝統的にマケドニアの王と将軍達の関係は、厳格な臣従関係というよりも「信頼できる友人」という間柄に近かったとされています。王と将軍達は、主君・部下の関係でありながら友情関係で結ばれており、戦場でも行動を共にする「戦友」の関係でもありました。
マケドニア軍がギリシャ全土を席巻し、東方の大国ペルシアをも倒す軍事力を養えたのは、この信頼関係が大きな役割を果たしたと云われています。それは、当時のギリシャの市民参加型民主政治とも、エジプト、ペルシアの絶対君主制・神権政治とも異なるものでした。
BC323年にアレクサンドロス大王が亡くなると、プトレマイオスはエジプトのサトラップ(総督)となりました。やがて大王の遺した巨大すぎる帝国を巡り、「後継者(ディアドコイ)戦争」が勃発します。かつて、大王の下で共に戦った将軍達が、敵同士となって勢力圏争いを繰り広げ、やがて各地で独自の王朝を打ち立てるようになったのです。
プトレマイオスはBC305年から「プトレマイオス1世」としてエジプトのファラオ(王)となり、そこから「プトレマイオス朝エジプト」の歴史が始まったととらえられています。このプトレマイオス朝エジプトは、BC30年にクレオパトラ女王(クレオパトラ7世)の自決によって滅亡するまで、およそ270年近く続きました。
プトレマイオス1世が「ファラオ」を称したのにも分かるように、彼はエジプトの伝統や社会を尊重し、現地の風俗を王朝にも取り入れました。外来のギリシャ人によって建設された王朝でしたが、自分達の文化を一方的に押し付けることなく、上手く溶け込もうと努力したことが功を奏し、王朝が長く繁栄する基礎を築いたのです。
ファラオとしてのプトレマイオス1世ソーテール像
また、プトレマイオスは武勇だけでなく学問にも優れた統治者でした。王朝の首都となったアレクサンドリア(アレクサンドロス大王の名に因んだ都市)には、当時、世界最大の図書館を建設し、地中海世界の知識を多く収蔵しました。そのためアレクサンドリアには、ギリシャなどからも学者や学生が多く集まる学問都市として栄えました。商業にも栄えた貿易都市であったアレクサンドリアは、地中海各地から来航する大型商船によって、富や産物、人以外にも「情報」が齎されました。それらは学者達によって「知識」として書物に記され、巨大な図書館に集積されたのです。
図書館に併設された「ムセイオン」と呼ばれる学問研修施設は、当時の地中海世界随一の「学問の殿堂」として広く知られ、後に英語の「ミュージアム」の語源となりました。
アレキサンドリア図書館(後世の想像図)
エジプトの統治と基盤づくりに力を入れたプトレマイオスはBC282年に亡くなりました。彼はアレクサンドロス大王の「後継者」たちの中で雄一、自らのベッドの中で息を引き取った人物でした。他の後継者が戦いに明け暮れ、戦場で命を落としてゆく中、プトレマイオスの最期は安らかなものだったのです。
プトレマイオス1世亡き後のプトレマイオス朝は、ギリシャ人(マケドニア人)の血統を「高貴な王家の血筋」として保とうとし、エジプト人の血を加えることは極力避けました。これも、古代から続くエジプト歴代王朝に倣ったものと考えられていますが、その結果としてプトレマイオス朝は古代エジプトの諸王家と同じく兄弟婚・近親婚を繰り返しました。
プトレマイオス朝最後のファラオとなったクレオパトラ7世女王は、イメージでは褐色の妖しげなオリエンタル風味漂う美女として描かれていますが、実際の記録ではギリシャ人と同じく白い肌であったと伝えられています。プトレマイオスの出身地、マケドニアの血筋は、250年を経ても保たれ続けていたのです。
プトレマイオス朝はギリシャ系の血を保ちつつ、セレウコス朝シリアなど周辺諸国の王朝と政略結婚も行いながら国家の基盤を安定させましたが、勢力を地中海全域に拡大させていたローマの力には敵わず、BC30年以降、エジプトはローマの一属州となり、東地中海の大国としての歴史を終えたのです。
さて、プトレマイオス朝で発行されたコインは、代表的なものとして「プトレマイオス1世」の肖像が打たれたコインがよく知られるところです。
プトレマイオス1世は総督時代にもコインを発行しましたが、それらは主君であるアレクサンドロス大王の神格化された肖像が打たれたものでした。しかしファラオに即位した後は、自らの肖像をコイン上に打たせることになるのです。
テトラドラクマ銀貨 総督時代(BC323-BC305)の発行
アレクサンドロス大王(ヘラクレス)/ゼウス神坐像
テトラドラクマ銀貨 総督時代(BC310-BC305)の発行貨
アレクサンドロス大王/アテナ女神立像
象の皮を被った大王が打たれた銀貨は、総督時代のプトレマイオスが統治したエジプトで発行された。一般的な「獅子の皮」に代わった亜種として知られるが、希少性が高い一枚として知られている。
当時のギリシャ本土では、生存する実在の王が、自らの肖像をコイン上に表現させることはほとんど例がありませんでした。しかしアレクサンドロス大王とその父フィリッポス2世は、自らの肖像を「ギリシャ神話の神」として打たせ、慣例を打ち破ったのです。
プトレマイオスはさらに伸張させ、神としてではなく「ファラオ」としての自らの姿をコイン上に表現しました。これは、ファラオは「神」に近しい存在と考える、現地のエジプト人の考え方にはよく合ったものでした。プトレマイオスはエジプトとギリシャ、両方の文化・価値観を巧みに融合させ、新しい形のコインを発行するに至ったのでした。
興味深いことに、プトレマイオス1世の肖像は、本人が死去して以降も長くコイン表面に打たれ続けました。若干の例外もありますが、その慣習は王朝の滅亡まで続けられたのです。
プトレマイオス1世ソーテール ファラオ時代の発行貨
(BC305-BC283)
テトラドラクマ銀貨 プトレマイオス1世ソーテール/ゼウスの大鷲
この時代より、プトレマイオス自身の肖像が刻まれる。裏面の大鷲の左側には、発行者である「プトレマイオス」の名がギリシャ文字で刻まれている。そのことから現地エジプトでの流通に重きをおかず、むしろ地中海沿岸のギリシャ系諸国との交易決済用に多く造られた銀貨とも考えられる。首都アレクサンドリアで発行された。
プトレマイオス2世時代の発行貨 (BC253-BC252)
テトラドラクマ銀貨 プトレマイオス1世ソーテール/ゼウスの大鷲
プトレマイオス1世亡き後を継いだ、プトレマイオス2世時代のテトラドラクマ銀貨。しかし表面には先代と同じく、プトレマイオス1世の肖像が打たれた。この慣習は引き継がれ、王朝末期まで続いた。
裏面には稲妻を掴んだ大鷲が表現されている。この大鷲はギリシャ神話の最高神ゼウスの聖鳥であり、エジプトにおけるプトレマイオス王朝の権威を示すものとされている。
尚、プトレマイオス2世はコイン収集家としても知られている。かつて商業・学問の都として繁栄したアレクサンドリアには地中海沿岸各地から富と人、文物が集まり、その流れに乗って各地の多種多様なコインも集まったことだろう。その恵まれた環境が、ファラオのコインコレクションを充実させるのに大いに役立ったと推測できる。
プトレマイオス5世時代の発行貨 (BC204-BC180)
テトラドラクマ銀貨 プトレマイオス1世ソーテール/ゼウスの大鷲
プトレマイオス朝時代中期の発行貨。コイン全体の彫りや造形に変化がみられる。
プトレマイオス12世時代の発行貨 (BC80-BC58)
テトラドラクマ銀貨 プトレマイオス1世ソーテール/ゼウスの大鷲
プトレマイオス朝時代末期の発行。アレクサンドリアの造幣所で造られたが、銀の品位は低下し、明らかに造形のレベルも落ちていることがわかる。当時のエジプトは伸張するローマの前になすすべも無く、内政の混乱によって国内は不安定であった。
なお、プトレマイオス12世はクレオパトラ7世女王の父親であり、このコインはクレオパトラが少女の時代に発行されたものである。
女王アルシノエ3世時代の発行貨 (BC221-BC204)
ペントオボル銅貨 ゼウス神/ゼウスの大鷲
またプトレマイオス朝時代のエジプトでは、見事な大型銅貨が多数発行されたことでも知られる。このペントオボル銅貨は45g以上ある。
尚、プトレマイオス朝時代の最後を華々しく飾った女王といえば、クレオパトラ女王ですが、彼女の時代にもコインは発行されました。しかし、彼女の肖像が表現されたコインは基本的に小型の銅貨であり、現存するもののほとんどは状態が良くありません。状態が悪くとも、コインの市場では高値で取引されています。
コインにかろうじて表現された絶世の美女王 クレオパトラは、輪郭もぼやけ、はっきりしない肖像ですが、明らかにギリシャ人風の高貴な女性として表現されています。コインは往時の彼女の美貌を知るうえでの、貴重な史料でもあるのです。
囚人で毒を試すクレオパトラ7世女王 (1887年 アレクサンドル・カバネル)
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