こんにちは。
すっかり桜も散り、春から初夏へ移り変わろうとしていますが、コロナの話題は相変わらずですね。
先日、4月25日より三度目の緊急事態宣言が出されました。
それに伴い、当店ワールドコインギャラリーが入る東京・御徒町の商業施設「2k540」も、5月12日(水)まで臨時休館となりました。
この臨時休業期間中も、インターネットでのご注文やメール・お電話でのお問い合わせには随時対応しておりますが、外出するのにちょうど良い気候、そしてゴールデンウィークにも関わらずお店に直接お客様をお招きできないのは、残念な限りです。
詳細は以下をご参照ください。
ちょうど一年前と全く同じ状況ですが、一年経ってもほとんど状況が好転していないことに暗い気分になります。
それでも日々変化する状況に応じて、臨機応変に努めていきたいと思いますので、何卒よろしくお願い申し上げます。宣言が解除されましたら、お店にもお越しいただけますと幸いです。
さて、今回は古代ギリシャの極小コインである「オボル銀貨」を取り上げます。
「オボル」は古代ギリシャの通貨において最小の単位であり、6オボルで1ドラクマとなります。発行された地域によって基準が異なりますが、おおむね0.6g前後、サイズ1cm以下というとても小さな銀貨であり、紀元前3世紀初め頃までギリシャ文化圏の各都市で発行・使用されていました。
時代を経ると小さな単位のコインは銅貨や青銅貨にとって代わられ、やがてヘミドラクマ(=1/2ドラクマ)以下のコインは銀で作られなくなっていきました。
しかし青銅貨が普及する以前には、貨幣といえば「銀」が基準であったため、基本的な単位であるドラクマ銀貨の1/6の重さにあたる小額貨幣として、非常に小さな銀貨が造られていたのです。比較的小規模な都市ではテトラドラクマ(=4ドラクマ)のような大型銀貨は造られなくとも、市民が日常の取引で使用するオボル銀貨は発行されていました。古代ギリシャの人々にとって、最も身近で馴染み深い銀貨だったのです。
市民たちは都市のアゴラ(市場)での買い物で頻繁にオボル銀貨を使用していたとみられます。とても小さな銀貨だったため、当時は紛失しないよう口の中に入れて持ち運び、買い物時は吐き出して支払っていたようです。
古くから銅貨が使用されていた中国や日本などの東洋から見れば、とても使いづらそうな貨幣です。逆に銅貨のみの流通が一般的だったため、高額の支払いには大量の貨幣が必要になるという不便さがありましたが・・・。
ドラクマ銀貨以上の銀貨や金貨は高価値だったため蓄財として退蔵されましたが、小さなオボル銀貨は普段使いの貨幣として流通し続けました。そのため、摩耗していない状態で現存しているものは希少です。
テッサリア ファルカドン 紀元前5世紀末~紀元前4世紀初頭
タソス島 紀元前412年~紀元前404年頃
キリキア タルソス 紀元前380年頃
キリキア タルソス 紀元前380年頃
リカオニア ラランダ 紀元前324年頃
ミュシア キジコス 紀元前525年~紀元前475年頃
コインの意匠も、ドラクマ銀貨をそのまま縮小したようなものだったため、1cmほどのスペース内に刻印を打ち出す時点で熟練の技術が求められました。当時から両面ともに完全に打ち出されたものは少なかったことでしょう。その小ささ、意匠の細かさから短期間流通しただけでも摩耗しやすかったはずです。
奇跡的に美しい状態で現存したものは、古代の技術で作られたとは思えないほど微細であり、ルーペで覗いてもその細かさには驚かされます。現代のような彫金技術や照明器具、ルーペもなかった時代に造られたとは思えないほどです。
銀の価値を基準にしている以上、小さくせざるを得なかったオボル銀貨は、製造の難しさから、大量に発行されることはなかったと考えられます。都市内の市民による、限られた範囲での経済活動で使用されたため、貿易で用いるテトラドラクマ銀貨のように必要以上製造する理由もなかったでしょう。
こうしたオボル銀貨は古代ギリシャ人が埋葬された古墳墓から発見される例が多くあります。ギリシャ神話では人間は死後、冥界を流れるステュクス川を渡らなければならないとされ、渡し守であるカロンの船に乗る必要があると考えられていました。カロンは気難しい老人であり、渡し賃として1オボルを支払わなければ船には乗せてくれないと云われていたため、遺族たちは生きているときと同じように死者の口内にオボル銀貨を入れて葬ったのです。
日本でも「三途の川の六文銭」としてお馴染みですが、洋の東西を問わず死後の世界でもお金が要るという考え方が根付いている点はとても興味深く感じられます。こうした副葬品として用いられる貨幣は「冥銭」と称され、古代ギリシャや中世ヨーロッパ、現代の中国や日本でもみられます。貨幣経済が浸透するにつれ、現世と同じような仕組みが死後の世界にもある、または死出の旅という観点から旅費が要るという発想が根底にあったとみられています。
日本における六文銭は、江戸時代の民間信仰の一種として広まったとみられ、興味深いことに古代ギリシャの老人カロンのように、懸衣翁と奪衣婆という老人が三途の川におり、六文銭を払わないと衣服をはぎ取って川を渡らせてもらえないと云われていたようです。(または六道の地蔵尊に供えるためとも)
現代では火葬が一般的になったため、金属である貨幣を入れることが難しくなり、代わって六文銭を模した紙を入れています。事実上の「紙幣」といえるでしょう。なお、真田家の家紋として有名な六文銭は、死出の準備はできている=命を惜しまないという意味が込められているとされています。
中国では線香などともに仏具の一種として冥銭が売られています。形式は現代の紙幣に準じており、金額はとにかく高額面になっています。道教の祖霊信仰が関係しているとされ、あの世で先祖たちが生活に困らないように葬儀の際だけでなく、墓参りの際にも燃やしてあの世に送金します。こうした風習は台湾やベトナム、沖縄でも「ウチカビ」という名称で残されています。
古代ギリシャのオボル銀貨や日本の六文銭が、冥界へ渡る際の渡し賃=旅費という使用目的があるのに対し、中国の場合は死後の世界=現世と同じように生活費が要る、と見做されている点が根本的に異なります。そのため、ギリシャや日本では一般庶民が日常的に使用できる(=副葬品として埋葬できる)金額の貨幣が設定されていたのでしょう。
古代ギリシャの人々の日常生活、そして死後の世界でも必要とされたオボル銀貨は、現在では古代の人々の経済活動と技術力の高さを知るうえで重要な史料となっています。非常に小さなコインですが、その繊細な彫刻に魅力を感じるコイン収集家も多いようです。
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