こんにちは。
年の瀬になり一気に寒くなってきましたね。寒波の到来によって歳末感が増したように思います。
2023年も残すところあとわずかです。大掃除や新年の準備で忙しない時期ですが、どうか健やかに歳末を過ごされることを願っております。皆様にとって素晴らしい年明けになりますように。
本年最後の更新は「古代ギリシャコインの重量基準」についてご紹介します。
古代ギリシャのコインと一言で表しても、実際には広範囲かつ長い時代があるため、範囲によって基準が異なります。それらは地域的な特色や経済的・政治的背景が絡んでいますが、同じ「ドラクマ」「オボル(=1/6ドラクマ)」といった単位でも重量や品質は異なるのです。
そもそも現代のコインと異なり、古代のコインには額面が表記されていません。そのため金属の品位と重さが価値を決定する上で重要な要素になります。逆に言えば、それらの基準を満たしていれば、発行国以外の地域で通用することも可能だったのです。
初めてリディアでコインが発行された当時、銅貨は発行されていなかったため、エレクトラム貨も金貨も銀貨も極小のものが造られていました。それは基準となる1スターテルの1/2、1/3、1/12というように、細かく重さで調整する必要があったからです。最も小さい単位では1/48スターテルのコインも造られていました。ごく小さなコインを製造する人的な労力や高い技術力はコストとして見做されず、あくまで金属の重さが価値基準だったことを示しています。
リディア王国 BC620-BC539 1/12スターテル
金銀合金エレクトラムによって製造。わずか1.13g、7mmの極小コイン。
【リディア基準】
リディアで発行された基準はその後、当地を征服したアケメネス朝ペルシアに引き継がれます。広大な領域で流通したペルシアのダリック金貨とシグロス銀貨は、リディアの金貨・銀貨の基準に基づいていました。これらのコインは小アジアを中心に発行され、遠く中央アジアやインドでも流通しました。
アケメネス朝ペルシア BC485-BC450 シグロス銀貨
リディアの中心都市サルデスで製造。5.35gの銀で造られています。
【アイギナ基準】
ギリシャ本土において最初期に独自コインを発行した地とされるアイギナ島は、カメをコインに表現したことで知られています。アイギナ島は地理的条件からエーゲ海交易で栄え、そのコインも貨幣の基準として伝播していきました。
1スターテル銀貨は約12.4gあり、そこから重量を下げた1/2スターテル、1/4スターテルなどがありました。このうち1/2スターテル(=約6.2g)をドラクマとする場合もあります。
アイギナ島 BC525-BC475 スターテル銀貨 ウミガメ
この基準はエーゲ海島嶼部からペロポネソス半島に至るまで広い地域で採用され、テーバイやテッサリアでも取り入れられました。しかし紀元前5世紀にアテナイがアイギナ島を占領すると、経済的覇権もアテナイに移りました。
アイギナ島 BC404-BC350 スターテル銀貨 リクガメ
紀元前456年にアテナイに敗れたのを境に、コインの意匠はウミガメからリクガメに変化しました。
【アッティカ基準】
ペルシア戦争を経てデロス同盟の発展をみたアッティカ地方のアテナイは、他の都市国家を勢力下に置き、古代ギリシャ世界における覇権を確立しました。トラキアから産出される良質かつ大量の銀は、アテナイの富の源泉であり、発行するコインをギリシャ世界の交易決済通貨の地位に押し上げました。
アテナ神とフクロウの意匠でおなじみのテトラドラクマ(=4ドラクマ)銀貨は約17.2gあり、ほぼ純銀の高品質な銀貨でした。紀元前6世紀に製造が開始され、アテナイの最盛期ともいえる紀元前5世紀初頭には大量生産が開始されました。それらのコインは軍艦やパルテノン神殿の建設といった公共事業費、または他国との交易決済手段として用いられました。
なお、基準となる1ドラクマは4.3gですが、現存数はテトラドラクマと比べても圧倒的に少ない数です。これはテトラドラクマがギリシャ全土での需要を目的にしていたのに対し、1ドラクマはアテナイ内の市民間での取引に限られていたためと考えられます。同じ一打で1ドラクマを製造するならば、4倍のテトラドラクマを製造した方が経済的です。
アッティカ基準のフクロウコイン=テトラドラクマ銀貨は、エーゲ海を中心とする東地中海で広く流通しました。紀元前4世紀、ギリシャの覇権を握ったマケドニアのアレキサンダー大王は、東方遠征に伴い征服した各地で新しい銀貨を発行します。この際に広く受容されていたアッティカ基準を継承し、各地で1ドラクマとテトラドラクマを発行しました。
アッティカ基準はアレキサンダー大王の征服地拡大に伴いオリエントへ伝播し、アケメネス朝滅亡後のペルシア~中央アジアに根付いていきました。
【フェニキア基準】
フェニキアでは「シェケル」を単位とする独自の貨幣制度が発展し、およそ14.5gのテトラドラクマ銀貨が発行されました。フェニキア商人の取引範囲は広く、その経済的影響力からフィリッポス2世治世下のマケドニア王国やプトレマイオス朝エジプトでも採用されました。
プトレマイオス朝 BC255-BC254 テトラドラクマ プトレマイオス1世
プトレマイオス2世の治世下に発行
セレウコス朝 BC149-BC148 テトラドラクマ アレクサンドロス・バラス
フェニキアの都市ティルスで発行されたタイプ。アンティオキアタイプより軽量の14.18g、裏面は大鷲の意匠となっています。
【フォカイア基準】
フォカイア BC478-BC387 1/6スターテル アテナ女神
フォカイアで発行されたコインは裏面が四分割の正方形陰刻になっています。
多くの地域で金貨・銀貨・銅貨による貨幣体制が確立された後も、小アジアのフォカイアでは古典時代のエレクトラム(金銀合金)コインを発行し続けていました。最も大きな1スターテルは16gあり、一般的に多くのバラエティがみられる1/6スターテル(*ヘクテと称される)はおよそ2.7gほどの小さなコインです。この基準はキジコスやレスボス島のミュティレネと同じであり、これらの地域が経済的に強い結びつきを持っていたことを示唆しています。
キジコス BC550-BC450 1スターテル スフィンクス
表面に配されたマグロがキジコスの象徴です。
レスボス島 ミュティレネ BC521-BC478 1/6スターテル ライオン/子牛
【キストフォリ基準】
紀元前2世紀以降、小アジア西部のペルガモンでは蛇と籠が表現されたテトラドラクマ銀貨が発行されました。この銀貨はおよそ12.6gの量目を有し、籠(Cista)のデザインからキストフォリ(またはキストフォルス)の通称で知られ、ペルガモンやエフェソスを中心とする小アジア西部のギリシャ系諸都市で広く流通しました。
紀元前133年にペルガモンはローマの属州となりますが、キストフォリ銀貨は引き続き製造されました。現地では1枚で4ドラクマの価値がありましたが、ローマの貨幣制度では3デナリウスの重量にほぼ等しかったため、現地に駐屯するローマ兵への給与としても用いられていました。マルクス・アントニウス以降、デザインは人物の肖像に置き換えられましたが、重量基準自体はその後も長く継承されました。
エフェソス BC39 キストフォリ マルクス・アントニウス&オクタヴィア
今年も一年お読みいただきありがとうございました。来年もコインに関する情報を発信し、何らかの参考になれば幸いです。
来る2024年が皆様にとって素晴らしい年になることを願っております。
どうか良い新年をお迎えください。
《古代ギリシャ・ローマコイン&コインジュエリー専門店》
コメント