今回で連載第六回目を迎えます「アール・クラシック」。いつも多くの方にご覧くださって、嬉しさと共に感謝の気持ちでいっぱいです。
古代ギリシャ時代、ギリシャにはたくさんのポリスという都市の単位があり、それぞれが自由に貨幣を作っていました。そのデザインは多種多様で、実に繊細かつ美しい...まさに芸術品と呼んで違いない代物でした!そんなコインの魅力を伝えるべく今回はギリシャコインの変遷について書いていきたいと思います。
“100のポリスに100のコイン、
ギリシヤ人は自由なクリエイター”
リディアと国境を接する小アジアの沿海部、イオニア地方のギリシヤ諸ポリスは、アテネを除くと、当時、最も早くポリスを完成させた地域でした。そこでは早くから、文化の花を咲かせ、交易の中心として繁栄し、ギリシヤ本土を除く各地に再植民を積極的に展開していきました。
従って、リディアで発明された貨幣は、紀元前7世紀末には、隣接するイオニス諸ポリスに波及し、各種の動物や人物をデザインしたエレクトラム貨を一斉に製造し始めました。何らかの宗教的モチーフが存在していたとみられるこの多様なデザインにギリシヤコインが、美術ないし芸術作品と称せられる萌芽と、統一された規格の中に多様な表現を試みる個人主義の表れが明瞭に見て取ることができます。
先進的なイオニス地域に対し、ギリシヤ本土で最も早く貨幣を製造したのは、アテネとは目と鼻の先にあるアイデナ島で、それは紀元前570年ごろとされ、銀貨でした。以降、ギリシヤ世界では小アジアの沿岸部を除き、銀貨が通貨の主流を成していきました。
それに対し、金貨は、マケドニアのフィリッポス2世やアレキサンダー大王の時代まで、どの地域においても特殊な場合に限られて使われました。
青銅貨はマグナ・グラエキア(南部イタリアとシチリア島のギリシヤ植民地)では、紀元前5世紀中ごろには製造され始めました。しかし、ギリシヤの本土においては紀元前4世紀の初頭に初めて造られるようになりました。
このような理由から、現代のギリシヤコイン収集というと、金貨や青銅貨ではなく、銀貨収集が好まれ、ギリシヤコインは銀貨に尽きるといわれるゆえんです。
では、なぜ古代ギリシヤでは銀貨が多く造られたのでしょうか?
答えはすごく単純なのですが、当時ギリシヤ本土では金、銅鉱山よりも銀鉱山が豊富にあったことによるものといわれています。また、マグナ・グラエキアは前8~6世紀に大量植民地の時代を迎えましたが、銀鉱山がほとんどありませんでした。それでもフェニキア人を通じて入手したと推測されるスペイン産の銀と、本土から生まれ出た彫刻家たちにより、前550年頃から貨幣製造が始まりました。
アテネの貨幣製造はアイギナ島より少し遅れて、紀元前560年頃、ペイシストラトスの時代に登場します。“フクロウ”といえば貨幣を意味すると言われる程、後に世界的通貨となった“アテネ”と“フクロウ”の組み合わせの銀貨が、前520年ごろ登場し、以来デザインの変更はあっても450年近くの間、ギリシヤコインを代表するコインとなります。アテネがペルシア戦争の後に全ギリシヤの盟主となるのも、この銀貨の大量製造を可能としたローリオンの大銀山が小さな領内に存在していたからこそでした。
ペルシア戦争の後、クラシック期に入り、ギリシヤの貨幣製造は飛躍的に発展しました。スパルタのような貴族政農業国を除き、今までのよう海上取引が盛んな沿岸や島部のポリスのみならず貨幣を必要としたほとんどの有力ポリスが貨幣製造をはじめました。
素材となった銀片は次第に円形に整えられ、均一の厚みになります。彫刻技術のさらなる発達は貨幣の刻印にも如実に表れ、両面を均等に表現することも可能になっていきました。動物や一部の人物に代表された“静”の図案も、彫刻と同様に、人間の動きを持つ多種多様な神々を描き、動物たちは躍動し、植物や生物は細かい描写がなされるようになりました。特にシチリア島で製造された銀貨は、クラシック期後期を通じて、非常に芸術性が高くギリシヤコインの白眉です。
前5世紀半ば、アテネは、自国通貨の優位制を保持するため、デロス同盟諸国の鋳貨を禁止しました。鋳貨の禁止を受けて、これらの諸ポリスでは一時的に製造が中止されましたが、反発をまねき、やがてペロポネソス戦争に突入していきます。スパルタの勝利の一因となったのは、ローリオン鉱山の破壊があげられますが、後のマケドニアの台頭と同様、如何にこの時代、貨幣が必需品となっていたのかを物語っています。
ペロポネソス戦争中、前5世紀末に始まるクラシック期後期に入ると、デザインの緻密さと造形美に対するこだわりは、神々をさらに優雅に表現し、神話を題材にとった斬新な構図も想像されました。中には、それまで美的感覚から難しいとされてきた正面象(コインは薄い金属片に凹凸で効果を出そうとするものであるが、このことは凸だけの立体感を与えることと両立しない)を採用したところもありました。これらの試みはまるで円形の素材の中に一つの彫刻を完結させようとしたとしか思えない程で、多くの名品はこの時期に出現しました。まさにほかの美術品同様、ギリシヤコイン芸術の最盛期、絶頂期の到来です。
また、この時代ギリシヤ式貨幣鋳造はギリシヤ世界以外の地、すなわちフィニキア、エジプトにまで広く普及いたしました。
コインペンダント専門店 『World Coin Gallery』
よろしければクリックお願いします。
最近のコメント